見出し画像

長崎きまぐれ案内 その5 ーシュガーロード

今は自制してはいるが元来筋金入りの甘党だった。今はだいぶ脱砂糖に徹して体質改善を図ってはいる。

長崎は甘党にはたまらない土地である。甘い名産品がある。最も有名なものではなんと言ってもカステラである。カステラほど有名ではないかも知れないが長崎特有の料理に卓袱料理がある。卓袱料理は結構甘いものが多い。他にザボンもそうだし茂木のびわもそうだ。甘い。

日本に中華街があるのは横浜、神戸と長崎の3カ所である。それぞれに特色がありそこに住む華僑の人達も(中国のどの地方からやってきたのかという)出身は違うと思うのだが長崎の中華は一番甘い。(気のせいだろうか。)

シュガーロードという言葉を知ったのは比較的最近のこと。長崎街道は知ってはいた。中学時代の音楽の先生がカトリック信者で江戸時代のキリシタン迫害で京都から長崎に渡り殉教した信者をテーマにした曲を作曲されていた。

ちなみに中学から高校の5年間英語担当の神父様は学校の先生を引退された後に山陰の小京都である津和野のカトリック教会の司祭になられた。津和野もやはりキリシタン殉教の地である。

神戸に住んでカトリックの学校に通っていた頃長崎は隠れキリシタンの街であり殉教の地であり聖地だった。長崎街道とはキリシタンが殉教を覚悟で歩む道であり苦しく辛い道程であった。(少なくとも自分にとってはそんなイメージがあった。)

なのでシュガーロードと聞くと何か逆の印象を持つ。そのルートの示すところは九州内の道であり具体的には北九州小倉から長崎に至る街道を指すらしい。大半は佐賀県で長崎県に入ると大村もその街道が通る。そう言えば大村寿司はちらし寿司に似てやはりこれも相当甘い。

砂糖の由来は知らないが長崎と砂糖を結びつけるとしたらやはり出島になる。江戸時代唯一の海外との貿易が可能であった土地がオランダや中国との交易で砂糖を原料にした食べ物や名産品を扱ってきたとしても不思議ではない。むしろ自然なことだったろう。南蛮文化の影響だろうか。出島の資料館で南蛮人が出島で食する場面を描いた屏風か何かを見た記憶があるが当時の日本人が見た鼻の高い西洋人の印象がそのまま描かれていてそちらに関心がいってどんな料理が描かれていたかは覚えていない。

冠婚葬祭の盛んな長崎だからだろうか。お祝い事や法事などで甘いものにありつけた記憶も多い。豚肉を使った角煮も甘い。お祝い事と長崎と甘いもの、この3つを並べて最初に連想するものと言えば桃カステラではないだろうか。丸いデコレーションケーキの様な形をしたカステラの上に真っ白な砂糖の塊をふんだんに塗った桃カステラは地元で知らない人はいない。あの白い塊をほおばったときの罪悪感と舌がうなる感覚はそうやはり自分は相当の甘党だったなぁと思わず苦笑いしてしまう。

脱砂糖を標榜しながら一方で砂糖の話をするのはどうであろうか。ま、過去の歴史をすこしだけ紐解き長崎の土地柄の一端を知るきっかけになればと書いてみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?