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【ショートショート】珈琲とトーストと…… #シロクマ文芸部

「珈琲とトーストをください」

最初はこの程度の、控えめな要求だった。

エアコンが壊れてメーカーに連絡したのだが、繁忙期でしばらく訪問できないと言うので、便利屋に修理を依頼することにした。

調べてみると近所に便利屋は沢山あり、どこにすれば良いか悩んだが、店の名前が「便利屋」の便利屋にした。なんとなく気が合いそうな気がしたから。

電話して30分もしないうちにインターフォンが鳴った。

「こんにちは!便利屋です!」

小柄で中性的な顔立ちの男性がやってきた。

「エアコンの修理ですよね。どちらのエアコンですか?」
「2階のです。送風しかできなくなっちゃって」

男を2階のエアコンのある部屋に案内した。
不思議なことに男は手ぶらだった。どうやって修理するつもりなのか。

「すぐ直しちゃいますね」

男は片膝をつき、左手を額に当て、右手をエアコンにかざすようなポーズを取った。
何のつもりか。「便利屋」を選んだことを後悔し始めた頃に男が言った。

「うん、直りました」
「嘘でしょ!」

声に出すつもりはなかったのに我慢できなかった。

「嘘じゃないです。リモコンをどうぞ」

冷房のスイッチを押すと涼しい風が、暖房のスイッチを押すと暖かい風が出た。当たり前のことではあるが、ちゃんと直って動いている。

「すごい!ちゃんと直ってます!一体どうやって?」
「こうやって」

男はさっきのポーズを取って見せる。ちょっとイラッとする。教える気はないようだ。

「ありがとうございます。こんなに早く直していただけるとは思いませんでした。お代はいくらになりますか?」
「簡単な作業でしたので、そうだなぁ……何か食べ物をいただけると。何も食べてなくて」

思わず吹き出してしまう。

「食べ物でいいんですね。何にしましょうか?」
「珈琲とトーストをください」
「フフフ、そんな朝食みたいなのでいいんですか?」
「ええ。ゆで卵もお願いして良いですか?」
「お安い御用です」
「あ、ミニサラダもお願いします」
「喫茶店のモーニングセットみたいになってきましたね」
「そうなんですか?」
「そうですよ。今もうお昼なんで喫茶店では食べられないですけどね。ウチでは出せますけど」
「じゃあ、ナポリタンに変更してもいいですか」
「えっ?まあ作れなくはないですけど」
「ナポリタンもなんかおいしそうだったんですよね」
「分かりました。じゃ作りますね。一階のリビングでちょっと座って待っててください」

キッチンでナポリタンを作っていると、いつのまにか男が隣に立っていた。

「ひっ!な、何ですか?」
「やっぱり、あなたがいいです」
「け、警察を呼びますよ!」
「大丈夫ですよ」

男の身体がゼリーみたいに透明になってチャポチャポ音を立て始めた。「この人、スライムか何かなの?」と思っていると、男が私に向かってジャンプして、私はチャポンと男の身体に取り込まれた。

「さて、モーニングセットとやらを作ってみるか」

男はポットに水を入れてお湯を沸かし始めた。

(1201文字)


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