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ひたすら餅を焼くだけの人生 #シロクマ文芸部

最後の日は明日だと言われてもう十日経った。
あと何日ここで餅を焼けばいいのか。

私は大学卒業と同時に米菓子のメーカーに就職、最初は営業職だったが、理想の米菓子を作りたくなって商品開発部に異動した。餅米の焼きの食感にこだわった商品をいくつも開発してヒットを飛ばし、充実したサラリーマン人生だった。

しかし、退職後の選択を誤った。

今から考えると給与条件が良過ぎたように思う。三年契約で、八十歳まで生きても食うに困らないくらいの額を提示された。自分の実力からすれば当然だと自惚れてへらへらと向かった先は、ひたすら餅を焼く、奴隷工場のようなところだった。寮に入れられて家に帰ることも許されなかった。スマホを持っていない私は外部への連絡手段もない。妻は今も元気にしているだろうか。

焼いた餅を何に使っているかも教えてもらえず、ただ決められた量の餅を一定の品質で毎日焼くことを強要された。
頭で考えると気が狂いそうになるので、私は思考を停止した。毎日、ただ餅と向き合い、最高の焼き上がりとなるように神経を集中した。

正直に言うと、私の人生でこの三年間ほど充実した時間はない。毎日のように気づきがあった。餅を焼くという行為がこれほど奥深いものだったとは知らなかった。ここを出たら本を出そうと考えているくらいだ。

「米俵達吉さん、お待たせしました。明日が最終日となります」

工場長に声をかけられた。

「今度こそ、本当に明日まででいいんですね?」

「もちろんですよ、嫌だなぁ。
この前はね、上得意のお客様が『達吉さんの焼く餅じゃないとぜんざいに合わない』ってワガママ言ったんですよ。光栄なことですよね?」

「私には関係ないことだ」

「そうですか。じゃ、ま、明日の業務が終わったらお帰りいただいて結構です。お疲れ様でした」

翌日。いつも通り、自分史上最高の焼きを目指して、一日中、餅を焼いた。定時後、あっさりと帰宅を許された。

自宅に戻ると、妻の千代子が待っていた。

「千代子……生きていたのか」

「ずいぶん待ちましたよ」

「すまない」

「達吉さん、私にお餅を焼いてくれない?」

「……お前まで俺に餅を焼けと言うのか。俺がこの三年間、どんな思いで餅を焼いていたか」

「私はただ、あなたが私にお餅を焼いてくれるのを、ここで待っていました」

千代子は淡々とそう言った。
私の思いなど、どうでも良さそうだった。

「達吉さん。私はね、あなたの焼いた餅を食べて早く楽になりたいのよ」

「分かった」

何ひとつ分かっていなかったが、私は餅を焼いた。
そう言えば、元々は千代子を喜ばせる為に餅を焼いていたのだった。そんな事を思い出した。

「焼けたぞ」

千代子に焼いた餅を手渡した。
人生で一番うまく焼けたかもしれない。
千代子はカリッと良い音をさせて焼き餅をかじり、ペロリと食べ終えた。

「ああ、美味しかった!もうひとつ食べたい気がするけど」

「やめておけ。また来年焼いてやるから。来年はきっともっとうまく焼ける気がする」

そう言うと、なぜか千代子は笑い出した。

「あはは、馬鹿ね、達吉さん。もう充分。もう充分なのよ。私たち、とっくに死んでるんだから。私がね、達吉さんの焼いた餅を食べたくて留まっていただけなの。さあ、もう行きましょう。また逢えたらいいわね。ありがとう。さようなら」

「千代子!」

そう叫ぼうと思ったが、もう自分が何者かも分からなくなっていくような感覚が襲ってきて、私は考えるのをやめた。

(1397文字)


※シロクマ文芸部に参加しています

2023年の最後の作品投稿です。
noteを始めて、作品を読んでいただける喜びを知りました。
来年もよろしくお願いいたします。

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#短編小説
#最後の日

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