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夏の雲を外で眺めてはいけない #シロクマ文芸部

夏の雲をたまたま眺めていたらリクルートスーツ姿の女に話しかけられた。

「あなたもですか?」

何がだろう?
俺はアロハシャツと短パンにビーチサンダルといった格好をしていた。就職活動しているとしたら「希望職種は何ですか」と自問自答したくなる。疑問をそのまま返すことにした。

「何がですか?就職活動はしていませんけど」

女は少し微笑んで言った。

「いや、雲をずっと眺めていたみたいだったので」

「ああ、はい、確かに見ていましたよ。それが何か」

「私もつい眺めてしまうので。お仲間かと」

「お仲間?」

「帰りたいですよね」

「ああ、暑いですもんね。早く家に帰って冷たいビールでも飲んで涼みたいです」

「いえ、そうではなく。あの雲にです」

なんだか雲行きが怪しくなってきた。

「こっちの世界に来たものの、思ったよりもずっと大変で。とにかく暑いし。雲の中は、ほら、快適に過ごせるじゃないですか」

女が相槌を打って欲しそうにこっちを見た。どうする、話を合わせるか。もはや何の話をされているかもわからないのだが。

「雲の中に入りたい気持ちはなんとなく分かりますよ」

「そうですよね!だからね、ちょっとだけ戻りませんか?雲に」

「雲に戻る?」

「このままじゃ私、もう無理なので。一回リセットしないと。ちょっとだけなら上にもバレないですよ。だから、ね?」

「暇だし、別にいいですよ」
なんか面白そうだし。

「ありがとうございます!じゃこちらへ」

女に案内されて800メートルくらい歩くと、派手な装飾のビルに着いた。

雲ってなんとなく空中をフワーッて昇って行くのかなと思っていたのだけど、どうやって行くんだろう。このビルに秘密のルートでもあるのか。

「このエレベーターに乗ってください」

エレベーターで最上階まで行くのかなと思っていたら四階で降りるように言われる。嫌な予感が頭に鳴り響く。
150メートルほど歩いたところで女が「着きました。こちらです」と言った。ドアに「夏の雲」と書いてある。

「ちょっと姉ちゃん、アンタ、客引きやったんか!」

思わず本性丸出しの口調になってしまった。

「え?ちょっと何をおっしゃっているのかわかりません。とりあえず中に」
客引き女はしれっとそんなことを言う。

「いや、中に入ったら終わりやんか」

「何が終わるの?雲の中に帰るだけよ」

この女が真剣に怖くなってきた。

「姉ちゃん、ごめん、本当のこと言うわ。俺、雲から来たわけちゃうねん。外暑いのに雲眺めてた、ただのおっさんやねん」

「な、なんですって!」
女は表情を変えた。

「とりあえず中に入ってもらいます。雲の秘密を知ってしまった以上、これは義務です」

「嫌や、怖いわ」

「拒否はできません。入りましょう」

女が「夏の雲」の扉を開けた。
中に入ると黒服の男が2人現れて「いらっしゃいませ」と言った。

「いらっしゃいませ、言うてるやん!やっぱりアンタ、客引きやん」

女は俺を無視して黒服と何事か会話していた。

「さ、行きましょう」

「嫌や、チャージ料10万とか払いたくない」

「あなたは雲の秘密を知ってしまった。私と一緒に来てもらいます。私も何かしら罰を受けるけど仕方がないわ。ぐすん」

泣いてるのか?
でも、言ってることが意味不明過ぎて慰める気にもならない。

黒服に両腕を掴まれ、強制的に店の奥へと連れて行かれる。ここはトイレ?
女が何やら呪文めいたものを唱えて便座の蓋を開けると、ブラックホールみたいなものが渦巻いていた。

「姉ちゃん、アンタ、マジやったん?」

「あなたが何を言ってるのか全然分かりませんけど、私は雲に帰りたいだけです。秘密を知ってしまったあなたはたぶんもう戻って来れません。
話しかけちゃってごめんなさいね」

(1492文字)


※シロクマ文芸部に参加させていただきました

#シロクマ文芸部
#短編小説
#夏の雲

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