【ショートショート】大事な朝の連絡ノート #シロクマ文芸部
読む時間がなかった。まただ。もうずいぶん読んでいない気がする。桃子との朝の連絡ノート。
桃子が朝早い仕事を始めたので、夜遅くまで仕事する俺と生活リズムが合わなくなった。話す時間が減ることを気にした桃子の希望で連絡ノートを書くことにしたのだ。俺は「LINEでいいじゃん」と言ったのだが、「手書きだからいいんだよ、こういうのは」と桃子が言うので付き合うことにした。
始めてみると案外ハマって、お互い前日あった面白かったことや腹が立ったことなどを熱心に書いていた。しかし、日を重ねるにつれてだんだんと書く量が減っていき、最近の桃子からの連絡は「先に出るね。朝ごはん食べて鍵かけて仕事行ってよ」を基本としたバリエーション違いが連日続くようになった。俺の方はというと、何も書かなくなっていた。わざわざ連絡ノートに書きたい内容などなかった。
桃子への愛情が冷めたわけではない。桃子も同じだと思う。毎日朝ごはんを作っておいてくれるし。今日の朝ごはんのおかずはもやし炒めだった。あまり味がしなかったので醤油をかけて食べた。家を出て駅まで歩き、電車に乗って二駅過ぎたところで連絡ノートを読んでいないことに気づいた。朝はなかなか読む時間が取れない。正直、読まなくてもいいかなと思い始めていた。
昼休みに桃子からLINEが来た。
「おはよう。朝ごはんのもやし炒め、味薄くなかった?」
確かに味しなかったな。
「醤油かけて食べたらうまかったよ!」
「そう。なら良かった。午後も頑張ってね」
他愛のないやり取り。俺は午後からの仕事に頭を集中させた。
翌朝。気づくと桃子の私物が全て部屋からなくなっていた。桃子からLINEが届いている。
「もう限界です。別れてください。さようなら」
慌てて電話するが出ないのでLINEを打つ。
「急にどうして。せめて理由を教えてくれ」
返信が来た。
「これ以上、あなたに私を否定されたくないから」
すぐにメッセージを返す。
「いつ俺が桃子を否定した?」
もう返信は来なかった。俺が桃子を否定している?全く身に覚えがない。ふと連絡ノートのことを思い出し、昨日のページを開いて愕然とした。
(934文字)
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