【1】 掛谷英紀先生とのコロナ人工ウイルス説論文に関する共同研究が決裂した経緯について
コロナ騒動初期の2020年1月、インド工科大学の研究者達が武漢型コロナウイルスの配列に奇妙な点がある事を発見し、プレプリントを投稿しました。確かに大変興味深い内容で、当時それを読んだ私も新型コロナが人工ウイルスである事を疑い始めました。
その後自分自身でも改めて解析を行い、私が新型コロナが人工ウイルスであるという根拠を得たのは2021年の11月頃です。その解析を元に2021年12月26日にnoteの記事を書きました。
この記事を見た筑波大学の掛谷英紀先生が2022年1月16日に私にコンタクトを取って来られました。「自分でも計算をしているので共著で論文を書かせてほしい」との事でした。私は当時「オミクロンを含む新型コロナウイルスの7つの変異株は全て人工ウイルスではないか」という趣旨の論文を執筆中でしたので、「現在単著で論文を執筆中であり、先生が希望されるなら共著で発表しても良い」と返信しました。
ちょうどその頃のイタリアはコロナワクチン接種への強制が一層激しくなった時期でした。2021年年末からコロナワクチン非接種の私は公共交通機関を利用する事が禁止され、必要最低限の生活物資の為のスーパーと薬局以外の店や、銀行、郵便局を含む市中のありとあらゆる施設にも立ち入り禁止です。そして2022年1月中旬からは50歳以上の全ての業種の非接種者の労働者は職場に立ち入る事も禁止され、私は研究所に入る事すらもできなくなりました。その間を有給休暇扱いにする事も許されず給料も停止、さらには政府からの罰金です。そしてその措置はいつまで続くかも分からず、場合によっては無期限に続く可能性すら示唆されていましたので、私は研究を全てあきらめる事も覚悟しました。花伝社から緊急出版の依頼があったのもその頃で、当時私は自宅で拙著「コロナワクチンが危険な理由」とコロナ人工ウイルス論文を一人で執筆していたのです。
私が掛谷先生に自身の論文の草稿を送ったのは2022年2月1日です。論文では私が筆頭著者、掛谷先生を最終著者に置きました。その際、私は掛谷先生に共同研究者として論文を補強するデータやアイデアを自由に入れてくれるように頼んだのにも関わらず、一切何のデータやアイデアも出していただけませんでした。結局彼は武漢などでの機能獲得実験を批判する政治的な文章を論文の最後に付け加えてきたのみであり、私の解析とは論理的に何ら繋がらず、共同研究者としての貢献は事実上一切ありませんでした。
それどころか掛谷先生は「自分でも別にもう一報論文を書きたい」と主張され始め、私は不愉快でしたが承諾しました。そしてその掛谷先生自身の論文のために、私は掛谷先生に求められた全てのデータの解析をして渡したのです。事実上、彼の論文の「全データ」を出したのは私でした。そして掛谷先生がその私のデータを元にした論文を私に送ってきたのが2022年3月12日。さらにそこに来て突然掛谷先生は今まで研究に一切参加していなかったM先生を連れて来て最終著者に置いたのです (ちなみにM先生は掛谷先生の大学の同級生でご友人との事)。そして私は第二著者です。掛谷先生のこの論文のintroductionは事実上私のものと酷似しており、そしてデータ自体も私の論文のオミクロンのものをそのまま流用していました。私の論文も掛谷先生の論文も中心となる発見は「dN/dS (別名Ka/Ks) 解析による変異パターンの不自然さからオミクロン株は人工ウイルスである」です。
また、掛谷先生が新型コロナウイルス起源に関するパリグループの学会(Evidence-based investigation of the proximal origin of SARS-CoV-2)で論文の内容について発表した際には、「自分の研究の趣旨に賛同さえしてくれれば誰でも論文の著者に加えるので、著者に入れて欲しい人は声をかけてください。」とも発言されました。200人程の参加者のうちその場で賛同した人は0でしたが、私は正直その発言に驚き呆れ、「この論文の全データを提供した私が、ここで名前だけを募っているその他大勢の一人と同等扱いなのか」と深く失望するとともに、これは著者の研究貢献度についてのモラルに違反する行為ではないかと感じました。実際その後データには貢献しないまま著者に入ったのはM先生一人だけでした。
そもそもこの論文のオリジナルデータは私が自分自身のコロナ人工ウイルス説の論文のために解析したデータであり、そこから派生したものです。当然私は掛谷先生に抗議しました。科学者の共通認識として、学術雑誌には「二重投稿を禁止する規定」があります。そのため、同時期に同じ著者が論文を複数投稿する場合にはそのデータや内容が被らないように慎重に配慮する必要があります。もし被る場合には、第一論文の発表後にその内容を「引用」という形にする必要があるのです。
掛谷先生はこの「著者は同時に別の雑誌に共通の内容を持つ論文を投稿してはいけない」というルールに事実上違反したとその時私は判断しました。結果、共同研究関係は決裂し、私の論文からは彼の名前を抜き、また彼の論文から私の名前を抜いてもらいました。ある意味2つの「共同研究」の同時決裂です。私が自分自身の論文で用いたのは多数のウイルス配列の比較から推定したそれぞれの変異株の祖先型です。実際、解析すべき配列さえ分かっていれば類似の配列をデータベースから検索する事自体は容易です。そしてその後、掛谷先生は私が渡したものと類似の変異パターンを持つ配列を検索で探し出し、同様のデータを再現しました。そして「これで荒川には迷惑はかからないだろう」と主張し、論文を修正したのです。
事実上これは研究者としては重大なモラル違反です。しかし、研究者としてのモラルと理屈がここまで通用しない人物を止める事は自分にはもはや不可能だと判断し、それ以上の説得を私は諦めました。このやりとりがあったのは2022年の3月14日前後です。私自身は掛谷先生との関係はこの時点で破綻したと認識しています。実際このような人物にこれ以上関わりたくないと強く感じました。
当時掛谷先生とZoomでも話したのですが、掛谷先生は「これは自分のためではなく社会のためであり、1日も早く自分の論文が発表されなければいけない。危険な機能獲得研究を止めるためには一刻も早く自分の論文が出版される事が必要だ」と主張されていました。しかしながら私はこれは「荒川を出し抜いてでも一刻も早く自分が先に論文を出す為」のエクスキューズだと感じました。さらには「真理の探究などは誰か別の人にでもやってもらえば良い。自分の論文発表はある意味政治的行為として正義のために行なっている」といった事もおっしゃっていました。これも科学者として私には同意できない考え方でした。
また、まだ掛谷先生と共著であった頃の私の論文を投稿前に私のメンターでもある所属研究所の当時の所長に読んでもらったのですが、彼のコメントとしては、「あくまで政治ではなく科学研究としての論文にするように。論文の最後の2つの章は削るべきだ。何故あのような下品な文章を最後に入れたのか?」というものでした。そしてその部分こそが掛谷先生が追加した箇所でした。
また、掛谷先生は自身の論文を投稿する雑誌について、「計算さえ合っていれば内容はさほど吟味されず採用される雑誌」だとも言われていました。それを聞いた私は、掛谷先生が論文を投稿される先はウイルス学や分子生物学に関連した雑誌というわけでもなく、全く別分野の雑誌なのだろうと理解しました。
これは私のプレプリントと掛谷先生の論文のリンクです。何が違うかよりも「何が共通しているか」がこの場合重要なのです。
改めて今回の経緯を整理させていただきます。
1) 掛谷先生の依頼で荒川がコロナウイルス人工説についての共同研究を了承。その際には掛谷先生を最終著者とするために掛谷先生に論文を補強するデータやアイデアを出す事を荒川が依頼。しかしながら結局掛谷先生は最終著者にも関わらず何ら貢献は無し。
2) その後、掛谷先生が荒川の提供したデータで自前の別論文を書く。その際、全てのオリジナルデータは荒川由来にも関わらず、掛谷先生は荒川を貢献度の低いミドルオーサーとし、その時点での貢献がほぼ0のM先生を最終著者とした (掛谷先生とM先生は大学の同級生で友人)。これは荒川の貢献度を意図的に低く見せかけるためだと私は判断した。
3) 荒川の論文と掛谷先生の論文の骨子が被るために二重投稿禁止の規定への違反が濃厚。荒川がそれを容認できなかった結果、共同研究自体が決裂に至る。
4) 共同研究の決裂後、掛谷先生は類似の配列をデータベースから検索して微修正した上で論文を書き直して投稿。つまりは荒川を出し抜こうと画策していた。
そして後日談です。当初私は自分の論文をただちにプレプリントに置く事も考えたのですが、一度プレプリントサーバに置いたデータは誰でも閲覧可能となります。掛谷先生は「プレプリントになった場合にはすぐにでもそのデータを使いたい」と主張され、それを聞いた私は掛谷先生に自由に自分のデータを使われる事に嫌悪感を感じました。しかし、投稿が長引いたため結局プレプリントとして発表する事にし、2022年6月4日にnoteの記事としても紹介しました。
その後、2022年の秋にまた掛谷先生が荒川と共著で論文を出したいと言い始めました。その論文で掛谷先生は私のプレプリントの図をそのまま自分自身の図表として使おうとしたのですが、私が「これは論外だ」と猛抗議したところ、彼は今度は私のアイデアだけを使い、別の図に置き換えました。私は論文の論理展開自体にも納得がいかず何度も強く批判しました。そもそも私が掛谷先生の共著に名前を連ねているのは彼の使用しているオリジナルデータが私のデータだからです。しかし自分のデータがここまで不本意な形で使われるのも、貢献が意図的に評価されないように工夫されるのも、論理自体が納得できない論文に参加するのも、私には今までの研究者人生において初めての体験であり、正直あらゆる意味で理解の範疇を超えており、私はこの事態にどう対処して良いものか当惑していました。
事実上、掛谷先生への信頼関係は2022年3月に破綻しています。彼の論文の謝辞に私の名前が入っているのは、その論文の本来のバージョンのオリジナルデータを出したのが私であるからに他なりません。共同研究のプレプリントも私には不本意なものです。返す返すも彼の論文に自分の名前を入れる事を明確に拒否しなかった事は大失敗であったと今も深く後悔しています。
そしてこの話にはおまけがあります。当時私を出し抜こうと画策する掛谷先生を見て、このままではこちらが二重投稿に違反する羽目になり論文自体が出せなくなってしまうと思った私はすっかり焦り、そのタイミングでたまたまちょうど依頼して来た新興雑誌にその論文を投稿したところ、それは架空の雑誌の詐欺だったのです。そして私は論文のcopyright (著作権) をこの詐欺雑誌に渡してしまったのです。そのため私のコロナウイルス人工説の論文は他の雑誌への再投稿ができなくなってしまい、結果、現時点でもプレプリントに置いたままのペンディング状態なのです。
実際このような投稿詐欺に遭うなど研究者としても誠に恥ずかしい限りなのですが、以上が掛谷先生との人工ウイルス説論文の共同研究が決裂した経緯となります。
思い返してもこの経緯は私の研究人生における「恥」だと感じています。この一連の話を私がこれまで話してこなかった理由は、これがあまりにも醜悪で「痛い」体験であり、いわゆる反ワクチン界隈の内輪的な揉め事や醜態を晒す事にもなるからです。そして、そもそも私はこういった相手への「正しい対処法」を知るわけでもなく、この件は実質的には泣き寝入りせざるを得ないと思っておりました。しかしながら、少し前からSNS上で直接的または婉曲的に私を揶揄するなどの掛谷先生の非礼な発言が散見され、もはや当人として看過する事はできなくなってきました。また掛谷先生は、mRNAワクチン反対運動やコロナワクチンへのDNA汚染問題、さらにはレプリコンワクチン問題の矮小化にも加担し始め、それどころか東京理科大学名誉教授の村上康文教授を含む問題を提起されている方達に対してまでも非礼な言動を始めました。もしこのまま私が沈黙を続けるならば、掛谷先生の行動を容認しているとも受け取られかねないと考え、ここで改めて掛谷先生の科学者としての姿勢を問うべきと思った次第です。そのような理由でこのタイミングになりましたが、今回ここで事の経緯を公表する事にしました。
さて、ここまで読んでいただいたという前提で、改めて掛谷英紀先生に質問をさせていただきます。
掛谷先生自らの言葉でお話しください。はぐらかしや誤魔化し、不誠実な回答があった場合、または返答の内容次第で私自身の次の対応を考えさせていただきます。回答をいただけなかった場合も同様です。
また、この件についての今後のやりとりは私信ではなく全て公開を前提とさせていただきたく存じます。返信をいただいた場合、公開に同意したものと受け止めます。この記事と同文のメールを記事の公開と同時に送らせていただきますが、先生も返答は同一文章のnote記事のコメント欄に書き込んでくださるようお願いします。返信は1週間以内にお願い致します。
以上、よろしくお願い致します。
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