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『全知無能の神に代わって』第三話「選ばれし者」

 至聖神殿は聖なる山の中腹に建てられている。
 女神ミアが降り立ったとされる山の頂きは禁断の聖域と呼ばれ、何人たりとも立ち入りを許さない。聖域を守るために神殿が建てられたのが始まり。やがて参拝者が増え、交易が盛んになり、山の麓に町が出来て発展した――ということらしい。詳しいことは無学の身でわかるはずもない。
 シャルドネリオンにとって重要なのは、帝国中のミア教徒達の寄進が至聖神殿に集められているという事実。そして神殿の者達は行方不明となった聖女の捜索に夢中で、警備が一時期疎かになっていたということだ。
(ついこの間までは、な)
 裏門の鍵を開けて敷地内に侵入。ひと月もの間通っていただけあって手慣れていた。
 シャルドネリオン――盗賊ギルドでは皆、通り名かあるいはシャオと呼ぶ。長過ぎる本名は養父母がつけたものだった。偉大なる闇の精霊にあやかった御利益満点の名らしいが、今のところ恩恵に預かった覚えはない。
 シャオは二十かそこらの青年だった。生まれた日がわからないので多少のズレが生じる。長身痩躯で、浅黒い肌。動作に合わせて一つに結えた後ろ髪が揺れる。が、音は全く立たない。音や気配を殺すように仕込まれたからだ。
 シャオは橋のたもとに捨てられていたのを拾われ、労働ができる年頃まで育つと盗賊ギルドに売られた。養父母は最初から売るつもりで拾い育てたのだろう。裏町では珍しくもない話だった。
 幸運だったのは、シャオが女性に生まれなかったことと、盗賊としての才能があったということ。もし女性だったのなら問答無用で娼館に放り込まれていただろうし、盗賊として使い物にならなかったら手っ取り早く金にするため炭鉱で働かされていた。いずれにせよ悲惨な末路を辿る。
 盗賊に必要なのは手先の器用さだけではない。標的を狙い定める眼力、状況を見極める判断力、突発的な事態にも対応できる機転や演技力、技術力や集中力と多岐に渡る。買われてすぐ、あらゆる技術を師匠に叩き込まれたシャオは、わずか三年ほどで独り立ちし、すぐさま稼ぎ頭となった。
 自身の借金も返済し終えて久しく、シャオは自由の身だった。盗賊ギルド内での評判も上々。いずれは幹部にとの声もあがっていることを、シャオは知っていた。
 だから、危ない橋を渡るつもりはなかった。
 五日前、聖女が帰還するとの噂をシャオは耳にした。邪教徒に攫われたはずの聖女が一体どんな奇跡の業で魔の手から逃れたのか。疑念は尽きないが、潮時だと判断した。目ぼしいものは、既に盗み出している。警備が通常の体制に戻る前に手を引いた。
 が、今宵は再び至聖神殿に足を運んでいる。不本意ながらだった。
 扉の警備や鍵は厳重でも、窓にまで注意を払う者はほとんどいない。至聖神殿も例に漏れず、天窓の一部の鍵が老朽化して意味をなさなくなっていた。いつも通りに天窓を開けて建物内へと侵入する。
 司教や神官達が寝泊まりする居住区とは違って、儀式を行うための部屋が多くある祭儀区に人気はない。明かり一つない闇の中を、シャオは足音一つ立てずに歩く。
 礼拝堂のさらに奥――たどり着いた聖堂もまた、静寂に包まれていた。賓客を呼んでの大体的な礼典を執り行なう際に使うだけあって、広さは民家が丸ごと入るほど。豪奢なステンドグラス、天井には絵師数十人によって描かれた壁画。何度訪れても圧倒される場所だ。
(入口は、と……)
 シャオは聖堂の隅壁に手を当てた。探り当てた隠し扉を開ける仕掛けを作動させようとした時だった。
「こんばんは」
 不意の挨拶に、心臓が跳ねた。腰に下げた短剣の柄に手を掛け振り返る。気配を感じなかった。まるでたった今、現れたかのようだ。
 大聖堂の壇上に立っていたのは、美しい娘だった。一分の隙もなく結い上げた金髪。宝石のように澄んだ瞳。黒い衣装に映える白い肌。怜悧な美貌は精巧な人形を彷彿とさせる。神官か、あるいは助祭か。まだ少女と呼んでも差し支えない年齢のようだが、落ち着いた雰囲気とどこか冷めた表情が大人びて見せた。
「女神ミアの神殿へようこそ。こんな夜更けにどのような御用でしょうか」
 口調こそ丁寧だが情というものは一切感じられなかった。見ず知らずの、明らかに不審者である自分を前にしても驚く素振り一つない。
 シャオの来訪もとい侵入を予期していた。つまりはそういうことなのだろう。
「あー……これは、やっぱりバレてたってこと?」
「バレた、とは何のことでしょう」
 娘の目が眇められる。陰鬱で、どこか意地悪く。
「私が不在にしていたひと月の間に祭儀室の燭台七つと銀の食器一式、白銀の聖杯に水晶三つを盗んだことですか? 奉献室に保管されていた宝石も減っていましたね。全て女神ミアに捧げられた物のはずですが」
 へらりとシャオはしまりのない笑みを浮かべた。その裏では周囲の気配を探り、状況把握に努めていた。
 聖堂にいるのは自分とこの娘だけ。他には誰もない。
 ひと月不在にしていた、と彼女は言った。身に纏っている礼服は比較的簡素なものだが、使徒のそれよりも精緻な作りだ。司教か司祭に相当する位の聖職者で、なおかつ二十にもならない若い娘とくれば、正体は簡単に導き出せる。
(聖女だ)
 邪教徒に捕われていたというかの聖女が、じきじきにお出ましになったということ。おまけに盗人を捕らえて罰するだけなら神官兵を動員して取り囲めば事足りるというのに、そうしなかった。向こうも訳あり――まだ交渉の余地はある。
「盗んだとは人聞きの悪い。たくさんあるものの中からちょっと借りただけだって。ケチなこと言いなさんな」
「無断で持ち出せば立派な窃盗です」
 にべもない。お堅い聖職者らしい潔癖さだ。
「それで? 今宵は犯した罪の重さに気づいて懺悔にいらっしゃったのですか」
「そんな殊勝な盗賊に見える?」
「いいえ」自ら言っておきながら、聖女はあっさりと否定した「そもそも神を畏れているのなら神殿の物を盗むはずがありません」
「まあ正直に言うと、昨日から一人、ウチのもんが消えていてね。探しているんだ。聞いたところによると、俺の真似をして至聖神殿に忍び込む気でいたらしくて……あんた、何か知らない?」
 返答は期待していなかったが、意外にも娘は考える素振りを見せた。
「行方不明の方は赤髪ですか」
「うん」
「小柄で私より背は低い」
「そうそう」
「左目の上に火傷のような痕があって」
「まさに」
「名前はアレン」
「さすがは聖女様、大正解」
 冗談めかして拍手を贈る。聖女は僅かに眉を顰めた。気分を害してしまったようだ。
「で、今どこにいるのかな」
「神に仇なす不届者を手厚く保護しているとでも?」
 浴びせられたのは冷たい視線と言葉。慈悲深い女神ミアの聖女にはおよそ似つかわしくない。
「大げさだな。たかだか宝石の一つや二つで、」
「窃盗は罪です。罪には相応の罰があって然るべきです」
 シャオは舌打ちしたいのを堪えた。勝手に他人の稼ぎ場を荒らした不義理。犯行がバレた不手際。おまけに囚われたとなれば目も当てられない失態だ。
「あなたのことは彼から聞きました。シャルドネリオン。盗賊ギルドの幹部候補。窃盗を得意とし、スリにかけては天下一品。二つ名は『蛇ノ目』だとか」
 開いた口が塞がらなかった。
「信じらんねえ……あの野郎仲間を売りやがった」
 最悪の掟破りだ。非合法の組織だからこそ裏切りに対しては厳しい。仲間を売ったとなればまず間違いなく粛清だ。
「盗賊ギルドの方が二人、神殿に忍び込み人を殺めて盗みを働いた。ギルドに知られたらいくら幹部候補とはいえ、粛清は免れないでしょうね」
「わかりきったことをご教授くださりアリガトウゴザイマス」
「礼には及びません。本題はこれからです」
 涼しい顔で聖女は受け流した。
「私はこの件を誰かに話すつもりはありません。あなたのおっしゃる通り、使いもしない祭具や無駄に豪華な装飾品が一つや二つなくなっても誰も困りません。現にひと月近く盗まれたことにすら誰も気づかなかったのですから」
「それはどうも」
 心にもない礼の言葉を口にして、シャオは首を傾げた。
「……で、その見返りに俺は何をすればいい?」
「話が早くて助かります」
「そりゃそうだろ。いくら女神様が慈悲深くてもタダで解放されるなんて思っちゃいない」
 祭壇、つまりは聖女の方へと歩を進める。足取りはゆったりとしているが、何が起きても対処できるよう油断なく気を配っていた。緊張していることをおくびにも出さず、シャオは笑んだ。余裕と嘲弄を込めて。
「何をしてほしい。肥え太った貴族どもから金銀財宝をいただいてこようか。権力をかさにきたお偉い司祭さん達の弱みでも探ろうか。それとも、」
 足を止め、こちらを見上げる聖女の顔を覗き込む。自分でもわかるくらい下卑た笑みを浮かべて、囁いた。
「あんたにとって都合の悪い奴を消そうか」
 下衆な提案に対しても、聖女の表情は揺るがない。透き通った蘭鉱銅色の瞳には、嫌悪や侮蔑の色もない。ただ氷のように冷めきっていた。
「あいにくどれも的外れね。あなたには、私の護衛役になっていただきたいの」
「あーなるほど。聖女様は恨みを買われる方なのか」
「先月の襲撃事件でかなりの神官兵が命を落としました。神殿は人手不足。猫の手でも借りたいところよ」
「ノミがついてない分、猫よりはマシだがね。そういうのは傭兵ギルドに相談した方がいいんじゃないかな」 
「表立って依頼できないから、あなたに頼んでいます」
 感情を押し殺した淡々とした口調だ。
「報酬は『この神殿からあなたが盗んだもの』でいかがかしら」
「目をつぶってくれるってこと?」
「破格の条件でしょう」
「それはどうかな」
 間違いなく好条件だ。神殿の物を盗んだだけで縛り首に値する。それを、たかが護衛の仕事で水に流してくれるという。
 素直に応じられないのは、矜持と疑心故。単純に歳下の小娘の言いなりになるのが癪だということと、話が美味過ぎて怪しいためだ。
「これでも俺は盗賊だ。盗賊が一度盗んだお宝を『はい。どうぞ』って返すとでも? 依頼の対価にはならないよ」
 整った鼻梁が微かに歪められる。
「なら、仕方ありませんね」
 青白い手がシャオに向かって伸ばされる。避けられるのに動かなかったのは、余裕の現れであり敵意を感じなかったからでもあった。
 細い指先をシャオの頬に添える。聖女は目を閉じ、もたれるようにして身を寄せた。
「……なに、を」
 言葉は塞がれた。柔らかい感触がした。焦点も合わないほど近くに聖女の顔がある。唇を重ねているのだと、そこでようやくシャオは理解した。あまりにも遅い思考だった。
 心臓が高鳴り、頭に血が上る。酩酊感に似て非なる眩暈。混乱の中、甘い香りが鼻腔を掠めたーー舌に刺さるような痺れも。
 シャオは華奢な身体を突き飛ばした。口元を押さえて、激しく咳き込む。そんなシャオを不思議そうに聖女は眺める。
「あら? キスは初めて?」
「いやさすがに初めてじゃないけど」
 毒だと直感した。今、この聖女は自分に毒を盛りやがったのだ。清廉そうな顔をして!
「そうじゃなくて! 何を飲ませ、」
「毒薬です」
 しれっと聖女は答えた。悪びれる様子は全くない。
「猛毒です。解毒剤はありません。意識を失う直前に天にも昇る心地を味わえるそうですが、いかがですか?」
 急速に冷えていく身体が、聖女の言葉を肯定していた。指先から感覚が消えていく。シャオはその場に崩れ落ちた。床に強かに打ちつけたはずなのに痛みすら感じない。
「う、そだろ……」
 意識が遠のいていく。抗う気力ごと根こそぎ奪われ、急転直下で闇へと堕ちた。

第四話:https://note.com/hiroshi_agata/n/n30fca14ba29b

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