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『全知無能の神に代わって』第四話「三人の聖女」

 シャオは欠伸を噛み殺した。礼拝堂の隅とはいえ祭儀の最中に盛大な欠伸をしようものなら、後で何を言われるかわかったものではない。
 大聖堂には劣るものの、礼拝堂はそれなりの広さがあった。ざっと五十を超える祭司や神官、使徒達が規則正しく並べられた長椅子に座り、礼拝を行っていた。
 窓から差し込む朝日が、最奥にある女神ミアの像を照らす。希代の彫刻家が丹精込めて造り出したとされる女神像は、遠目から見てもその精巧さがわかる。閉じた瞼。凛としていながら穏やかな表情。今にも動き出しそうだった。きっと、値段はつけられない。盗むのには適していないとシャオは判断した。
「生命を司る女神ミアの祝福がありますように。全ての栄光は天に、地には平和と秩序が—―」
 女神像の前、壇上の説教台ではシャーロット大司教が祝祷の言葉を唱えていた。女性にしては少し低くて落ち着いた声音が眠りを誘う。
 そもそもシャルドネリオンは生まれてこの方神様なんぞを信じたことは一度たりともなかった。世界を創造した女神ミアに対する敬意を持ち合わせているはずもない。
「司祭さんの説教って、なんでこう長いのかね?」
「祭儀の最中です。私語は謹んでください。それと、司祭ではなく司教です」
 間髪入れずに小言を言ったのは、隣に立つリリエル。その視線は壇上に向けられている。
「じゃあ終わったら教えてくれよ、聖女サマ」
 シャオは意地悪く付け足した。
「……聖女じゃなくなるんだったな。これで次の聖女が選ばれれば、アンタはお役御免ってわけだ」
「次代の聖女が選出されてすぐに代替わり、というわけではありませんが」
 リリエルは事務的に言った。自分のことだというのにまるで他人事。鉄面皮という言葉がこれほど似合う娘はいないだろう――いや、そんなことより。
「え? まだ続くの?」
「諮問会、洗礼、勧告、祈祷式、燔祭、聖別の儀、戴冠式とおよそ二ヶ月の儀式と諸手続きを経て、ようやく正式な『聖女』と認められます」
 なんということだ。シャオは額に手を当てた。
「嘘だろ……」
「神の前で嘘偽りは申しません」
「いや、そういうことじゃなくて。俺は今日で護衛も終わりだとばかり、」
「選出の儀を執り行います」
 朗々とした声が遮る。いよいよ次の聖女が示されるらしい。待ち望んでいた時のはずなのに、全く喜べなかった。
(あと……二ヶ月)
 戒律によってがんじがらめの規則正しい生活。息の詰まるような日々をなんとかしのいだのは、聖女の選出が三日後だと言われていたからだ。それが二ヶ月に延長。気が遠くなる。
 呆然とするシャオを他所に、シャーロット大司教は宣言した。
「黙祷を捧げ、いと高き天の女神の啓示を受けた者は起立を」
 礼拝堂の信徒達が一斉に目を閉じ、女神ミアに祈祷を捧げる。隣のリリエルも黙祷していた。静かに、ひたむきに祈るその横顔は、元来の美しさも相まって彫刻のようだった。あの女神像を彷彿とさせる。
 何の気なしにシャオは顔を上げ、目をしばたいた。
「……なあ」
「黙祷なさい」
 間髪入れず咎められる。シャオは首の後ろに手を当てた。
「俺、ミア教徒じゃないんだが」
「ならばせめて目を閉じて沈黙なさい。それが礼儀です」
「でも、あの……ちょっと聞きたいことが」
「後にしてください」
 取り付く島もない。仮にも生きとし生けるものを慈しむ女神ミアの聖女ならば、もう少し優しくしてほしいものだ。
「できれば今だといいなー」
「後にして」
「聖女って三人もいるものなのか?」
「だから後に、」
 苛立ちが混じった声が途切れた。リリエルは目を開けて、礼拝堂を見渡した。
「……三人?」
「あ、お祈り中なのに目開けた」
「三人、起立していますね」
 シャオの指摘を流し、リリエルは呟く。
 全ての信徒が着席する中で、立ち上がっているのは三人の女性。礼服の衣装からして三人とも使徒だ。
「だろ?」
「何故?」
「んー……」シャオは天井を仰いだ「女神様が一人じゃ心もとないから三人選んだとか?」
「そんなわけないでしょう」
 黙祷を終えた信徒達も、遅ればせながら異常事態に気づいたようだ。動揺は広がり、礼拝堂は騒然となった。
 一番驚いているのは当の三人だろう。信じられないものを目の当たりにしたかのように、互いの顔を凝視していた。硬直状態から最初に抜け出したのは、気の強い顔をした娘だった。
「どういうこと?」
 詰問口調に他の娘の肩が跳ねる。上座にいる娘、たしか名前はセシルと言ったか、が困惑の表情のまま呟く。
「どうして、あなた達が」
「それは私の台詞よ。どういうつもり?」
「だって、聖女は私……」
「はあ? 私は御告げを聞いたのよ! 聖痕だって」
 気の強い娘が右腕の袖を捲った。現れたのは花の紋様。リリエルの右手の甲にあるものと同じだった。
「私だってあるわ」
 セシルもまた右腕の袖を捲った。全く同じ紋様があった。シャオは隣のリリエルに
「聖痕ってのは同じ場所に現れるものなのか?」
「いいえ、私は右手の甲だし、先代は左足だったわ。代によって違います」
 と、隅で言葉を交わしている間に、三人の口論は激化。気の強い娘がセシルに詰め寄り、それを気の弱い娘がおろおろと見ている。
「だったら女神様がなんておっしゃったのか、言ってみなさいよ。どうせ嘘でしょうけど」
 セシルが唇を噛み締める。人前で偽者呼ばわりされた屈辱に、思わず口を開いたその時、
「お控えなさい」
 凛とした声が割って入った。口論をしていた自称聖女達も、それを傍観することしかできない信徒達も、皆一様にこちらを見る。
「り、リリエル……」
「シャーロット大司教様、今この場で真偽を問うのは得策ではないかと思います。まずは別室にて各人の聖痕と神託の内容の確認をすべきかと」
「そうですね」
 至聖神殿の長なだけあって、シャーロットの判断は早かった。そばに控えている信徒に指示を出す。
「三人をそれぞれ祈祷室へ。司教と司祭も三班に別れて聴取なさい。後ほど臨時会議を行いますので、その際に報告を」
 そしてシャーロットは祭儀の中止を宣言。全員に解散を命じ、自身は壇上から降りた。
「後で私の執務室にいらっしゃい」
「承知しました」
 リリエルは小さく一礼した。シャーロットは微笑むと、優雅な足取りで歩いていった。踵を返したリリエルは、礼拝堂の中心へと歩き出した。シャオも後に続く。
「……いまいち状況がわからないんだが」
「一人しか選ばれないはずの聖女が三人いた」
 向かう先は壇上。奥に鎮座するミアの女神像を見上げる。仰ぎ見るのではなく、まるで挑むかのような苛烈な眼差しだった。
「ということは残りの二人は偽物。代替わりを行うには誰が本物の聖女かを見定めなくてはなりません」
「つまり?」
 リリエルはシャオを一瞥した。
「あなたの仕事があと一ヶ月で終わるかどうか、わからなくなった、ということです」
 シャオは女神ミアの像を仰いだ。一部始終を見守っていたはずの女神はしかし、何もしようとしない。ただ静かに微笑んでいるだけだった。

第五話:https://note.com/hiroshi_agata/n/n3ec76fc1e906

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