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すべからく『愛』を謳え 第1話『蠢く』

すべからく『愛』を謳え    第1話『蠢く』


春原志保(すのはらしほ)
『うふふ……欲しいもの……あなたが欲しいものはなあに?』
『私が、私が欲しいものは、な、な、名護先輩!  名護先輩が欲しい!』


  そう叫んだ刹那、春原志保(すのはらしほ)は、ベッドの上で目を覚ました。
「ゆ、夢か…….あ、痛い……」
  目が覚めたのはいいものの、浮遊感と共に鈍く重い痛みが、こめかみを襲う。
  たまらずシーツの中に、彼女はもう一度潜り込んだ。

     


  彼女は今年の春より、城西大学に通い始めた女子大生。
   親元を離れての一人暮らし、生まれて初めてのアルバイト、そして始まったばかりのキャンパスライフ。彼女にとっては、それら全てが初めてづくしで、期待と緊張の毎日だった。そんな刺激溢れる日々が、自分を少しずつ大人へと導いてくれている。純粋な彼女は、素直にそう感じていた。
   そして、彼女は恋をした。
  その相手は二年先輩の名護拓海。
   同級生が彼女をサークルに誘った事が、名護との出逢いのきっかけとなった。
  名護は長身で容姿端麗、塩顔でマッシュヘアー、韓国人男性アイドル顔負けの風貌。それゆえにファンも多く、いつも彼の周囲には女子生徒達が群がっている。
  ご多分にもれず、その都会的な雰囲気と、女性慣れした親切で愛想の良さに、志保も心を射抜かれた。
   故に、ほぼ興味のない『映画』を大好き!  とのたまい、名護の所属する映画サークルに、彼女はめでたく参加する事となった。

   しかし、映画サークルとは名ばかりで、ミーティング・親睦会と称して、居酒屋かカラオケで飲み会が開かれてばかり。それでも志保は満足だった。名護の近くで、名護と楽しい時間を過ごせるのであれば、それだけで十分だった。
   そしてそれ以上に、名護はことのほか、彼女を気にかけてくれていた。たくさんの女子に囲まれているにも関わらず、彼はおおよそ志保の隣に座る事が多かった。たまに他の女子に横取りされる時もあったが、その際は幾度となく彼からの視線が、志保に届いていた。それに彼女は何か特別なものを感じ、人知れず優越感にさえ浸っていた。
  また、名護は兎角紳士的だった。毎回、ミーティングも終わりに近づくと、決まって数名の男女はいつの間にか姿を消していた。彼らがどこに消えたのかは、純粋な彼女でも察しはついた。そしていつも最後まで残っていたのは、名護と、志保、そして酔いつぶれて、持ち帰りに失敗した誰かだった。
   名護は会計を済ませ、酔いつぶれた仲間をタクシーに乗せ、そして志保を駅まで送る、その間指一本彼女に触れようともせず、優しい笑顔を最後まで彼は振りまくのであった。

  そして昨日も、そのミーティングが開催され、彼女は嬉しさのあまり、いつも以上に酒を煽ってしまった。故に今朝は激しい頭痛と吐き気、所謂二日酔いに苛まれていた。

「いたたたた……」
  シーツの中でひたすらに顔をしかめる。
  その瞬間、枕元のスマホが鳴動し、誰かからのメッセージを受信する。
  志保はすかさずスマホを掴むと、すぐさまそのメッセージを確認する。
   そこには連絡先を交換したばかりの、名護からのメッセージが届いていた。昨日の深酒の原因はこれだ。思いもよらず、名護から連絡先を交換したいとの依頼があり、彼女は二つ返事で快諾。そこから一晩で、もう数十件のメッセージのやり取りを繰り返している。
  届いた文面に志保はほくそ笑む。
  名護も二日酔いになったそうだ。頭が痛いというのに、そこそこ長文のメッセージだ。そして彼女も同様に、少し長めのメッセージを送る。すぐに付く既読の文字と、入力中のアイコンに、またもや彼女は笑みを零した。



御手洗聡太郎(みたらいそうたろう)
   聡太郎はあれから一睡も出来なかった。
   張り裂けんばかりの頭痛と寒気、そして左手から発せられる熱が、毒が回るかの如く身体中を駆け巡り、高熱のような激しい倦怠感に蹂躙され続けている。

  深夜に現れた女は、ジタバタと部屋を走り回って、彼のベッドにぶつかっては跳ね飛ばされてを繰り返し、そして消えていった。
   その様はおよそ、彼女の死に際を再現していたのだろう。聡太郎は徐ろにその渦中に燃える左手を挿し入れた。

  彼の脳裏に雪崩込む、大量の映像(ビジョン)。断片的に継ぎ接ぎされたそれらを読み取っていくと、激しい嫉妬、未練、独占という感情の塊だった。
  身を焦がす程に恋する相手が居たのだろう。
  それを手に入れられぬままに帰らぬ人となった魂が、ひたすらに叫びと唸り声をあげていた。天に召される事を拒否してまで、男に執着する女がそこに居た。
  この手の輩は、盲目で衝動的。
  同じ波長の者を見つけると、自分と同じように、同じ苦しみに叩き落とす。そしてその命を奪うことで、自らの渇きを潤す。しかしその渇きは決して潤う事はない。人を殺めたことでより一層、その渇きは発作的になり、永遠の連鎖を繰り返すこととなる。

  今まで見てきた中でも、かなり厄介な類いに入る。   そしてその事実に、彼の中に鎮座する誰かも同様に渇きを訴える。その度に疼き、訴え続ける衝動を聡太郎はいつまで抑え続ける事が出来るのか、それを考える度に、傷だらけの心と身体は激しい焦燥感に苛まれるのだった。

  御手洗聡太郎。
 彼は幼少期に、交通事故で両親を亡くし、自らもその事故の被害で、生死の境をさまよった。
  そして彼は、息を吹き返したその時点で、『違う』ものが見えるという能力、いや、もはや疾患を患ってしまっていた。
  文字通り、その疾患は彼を際限なく苦しめ、痛めつけた。
   目を開ければ異形の者が彼にまとわりつき、手や足を掴み、あらぬ淵へ連れて行こうとする。その恐怖は誰にも解らず伝わらず、助けを呼んだとて誰一人振り返る者はいなかった。
  恐怖におののき、狭く暗い押し入れに隠れても、その暗闇からも炙り出る、情念や怨霊の群れ。それがもはや日常となり、俗世との関わりはより一層希薄となった。彼自身その『折り合い』をつけなければいけない事は分かっていた。しかしながら、10歳満たぬ少年に、その器用さはまだ備わっていなかった。
 

 それからおよそ二十年の月日が経ち、現在に至る。
 今、彼の中には『誰か』がいる。
  恐怖におののく日々の中で、彼自身、内なる『渇き』を感じ始めた。
『彼』とは違う『誰か』が、彼の中に居座り、視覚、聴覚、嗅覚、身体中のあらゆる内臓や器官、細胞に至る迄、全てに癒着し、『彼』の八割以上を占拠した。
  言葉では形容し難い、低く重い念が絶えず彼の中で渦巻き、その渇きに応じて彼を乗っ取り、奇行に奔走する。
『渇き』は、あらゆる怒り、哀しみ、不安や焦りにまみれた怨念・情念を喰らう事で満たされる。それ故に気がつけば衝動的に群がる怨念に貪りついていた、そんな日が日増し増えていった。
  その渇きは決まって、頭痛・発熱・倦怠感を経て、最高潮に達する。そして燃えるように熱い左手と、血を落としたように紅い瞳が右眼に現出し、彼を焦燥感へと煽り立てる。
   幾度もその衝動に翻弄され、目の前に群がる怨念に喰らいついた。しかし、それで渇きは収まるどころか、より一層深まるばかり。ほんの一瞬の恍惚に溺れた後に押し寄せる更なる『渇き』。その連鎖によって、より深く、より濃厚な、掃き溜めと化した念でしか、今はその渇きを満たすことが出来なくなっていた。
そしてまた、その怨念を喰らうという事は、それが持っている哀しみ、苦しみ、恐怖、不安、あらゆる『負』の情念を身体と心に受け入れる事となる。
  彼の脳裏に流れ込む、誰かの辛く苦しい過去。それを彼は一瞬のうちに追体験をし、同じ深度で傷ついていく。
  かさぶたなど出来る暇はなく、褥瘡の如く内側からただれ、腐敗の一途を辿るばかり。
  この長きに渡り、ひたすらに暗闇の中で、彼はこの苦しみに耐え、もがき続けた。生きている事自体、不思議と言っても過言では無い。しかしながら彼がまだ『彼』を保っていられるのは、その『誰か』が居るからこそ……手の中で踊らされている『現実』に、激しい焦燥感を覚えるも、どこか諦観している自分がそこに居た。




③ 名護拓海
  名護は新しいものや、『初』というものに目が無かった。特に身に付けるものや、所持するアイテムもこだわりを貫いている。本であれば初版本、CDやDVDであれば初回限定、ファッションに関してもシリアルナンバー入りの0番、或いは1番など、彼の周りはそれらで溢れかえっていた。
  そして、女性関係に関してもそれはおおいに当てはまった。特に彼の周りには女性が嫌という程に群がっている。勿論、それらの女性とは身体を重ね、甘い蜜を吸い続けている。しかしながら、彼は心の底では満たされていなかった。大学生ともなると、ある程度の女子は一通りの経験は終えていた。無論、だからこそ味わえる快楽もあり、それに依存する自分もいる。がしかし、なにものにも染まっていない、純粋で生粋の『処女』、それを彼は求め続けていた。勿論校内にはそれに当てはまる女子も少なくはない。だからといって誰でもいい訳では無い。彼の眼鏡に叶う容姿と佇まい、文字通り『清楚』で穢れを知らない『美少女』でなければならなかった。そしてすぐに手を出すのではなく、ギリギリまで至近距離を維持し、我慢の限界の果てに味わう、それが何よりの愉しみだった。
  我ながら変態だと自覚している。しかし、それは別に法に触れている訳でもない。あくまで個人の趣向だ。誰かに干渉される筋合いもない。故に彼はその欲望を諦める事は絶対に無い。
  そして今、彼の前に、その理想を絵に書いたような『獲物』が躍り出たのであった。

「ね、もう志保とはヤッたの?」
「まだだね」
「ちょっ!  私とはすぐにヤッたくせに、なんであの子だけそんなに時間かけんの?」
「お前はあれだよ!  ほら、もう発売されて、絶賛売り出し中じゃん」
「はぁ?  何言ってるかわかんないんですけど!」
「あいつは、もうそろそろが食べ頃かな?」
「キモ!  早く食べないと誰かに先越されるよ!」
  拗ねた顔をしてシーツの中に潜り込む女。
  彼女は名護に志保を紹介した同級生の酒井梨乃。
  褐色の肌に包まれた無駄のないスレンダーな肢体を持ち、雌の匂いが溢れ出すその容姿は、男子生徒の注目の的だった。純白で華奢な志保とは、まさに真逆だった。
  志保とは高校時代からの同級生であり、高校の時分はさほど懇意にはしていなかった。しかし、梨乃にとっても初めての大学生活。少なからず彼女も不安を感じており、たまたま校内で志保と再会した事をきっかけに、交友を始めたのであった。そして、そもそも映画好きだった彼女は校内の映画サークルに参加し、名護と出逢う。そこで互いに雄と雌としての本能が共鳴し合い、出会って二日目で関係を持つことに。蛇足すれば、大学に入って初めて関係を持ったのは名護である。
  手当り次第女子に手を出している名護を、最初は訝しく思ってはいたが、それは身体を重ねる度に、彼の『雄』としての魅力で打ち消されていった。人間も動物であり、やはり本能には抗い難い。勿論彼女も他の男とも関係は持ち続けている。故にその本能に従う事を彼女は選んだ。
  そして、名護は志保の存在に気づく。
  少なからず嫉妬は感じたが、梨乃は雌としての魅力は、志保よりも格段に高い。
  技巧にしても天と地ほどの差。
  故に名護が自分から離れる事は出来ない、という自信が、志保を彼に紹介することを赦したのだった。
「ちょ、ちょっ待って!  マジで、もう出ないって!」
  シーツの中に潜り込んだ梨乃は、一度果ててもまだ芯の残っている名護の矛先を、口の中に包み込んだ。
  淫らな音を立て、上下左右に巧みに吸い上げる。
  その猛攻に堪らず、名護は声をあげる。言葉では抗っても、彼の声音は寧ろそれを望んでいた。
  梨乃は名護の荒い息遣いと、彼女の口の中でまた硬くなっていく矛先に、安堵を覚える。
  そして、今一度根元迄深く咥え込むのだった。







   
到来
『次の日曜日って空いてる?
もしよかったら棚町の水族館行ってみない?
志保にあそこのペンギンのショー、見せてあげたいんだ』
   名護から届いたメッセージに狂喜する志保。
   名護との関係は順調に進展していた。
  毎日のように届くメッセージ。負けじと返信する志保。
  その量と熱量は、もはや恋人同士のそれと匹敵する程だ。
   そして今回は名護からのデートの誘い。軽い食事なら数回あったが、今回はほぼ丸一日のデートだ。
  これはもしかしたら、私たちって付き合ってる?
  そんな錯覚さえ、もはや錯覚に思える程、二人は親密な関係であると、そう、彼女は確信していた。
  志保は二つ返事で即答し、既読マークが着いたことに笑みをこぼさずにはいられなかった。

  


   当日。
  楽しみにし過ぎて、殆ど眠れなかった志保は、明け方よりクローゼットから洋服を引っ張り出して、何度も何度も鏡の前の自分と答え合わせを続けていた。
   昨晩には着けていく下着、着ていく服装も決めていたのに、いざ本番となると不安で仕方がなかった。
  少しでも名護に可愛いと思って貰いたいとの一心で、その作戦会議は出発のギリギリまで混迷した。
「あ!  やばっ、遅刻する!」
  いざ時計に目をやると、待ち合わせ時間迄30分を切っていた。
  難航した会議に一応の目処を付け、待ち合わせ場所へ彼女は奔走した。

「あっ!  ごめんなさい!  遅くなっちゃいました!」
  待ち合わせ時間に3分遅れること、駆け付けたその場所には、いつもとは少し違う、大人な印象の名護が待ち構えていた。
「ああ、全然大丈夫!  俺もさっき着いたとこだから」
  優しく微笑む名護。いつもの名護の笑顔にほっとする志保。
「さっそくだけど、参りましょうか?  姫!」
「姫……」
  彼の言葉に胸を突かれる志保。
「どうかした?」
  心配そうに覗き込む名護に
「うんうん、大丈夫です!  そんなふうに言われた事なかったので、なんか嬉しくなって、感極まっちゃって……」
  素直な志保は正直に、想いを口にする。
「俺も志保ちゃんとこうして遊べるの、とても嬉しいよ。さ、行こ!」
  名護は慣れた手つきで、彼女に手を差し伸べた。
  志保は一瞬たじろいだが、満面の笑みでその手を握りしめた。





  楽しい時間は瞬く間に過ぎていった。
  さっき待ち合わせ場所に着いたばかりなのに、今はもう帰りの車の中。
  車内に流れる聴いたことのない音楽と、嗅いだ事のない香水の香りが、もはや心地よく、ずっと昔かそうしていたようにさえ思える。

   水族館でペンギンのショーにはしゃいで、イルカのショーにも驚き、帰りのドライブインで、人気のラーメンに舌鼓を打ち、本当に笑顔の絶えない一日だった。
  志保にとっては人生最良の日と言っても過言では無い。
  少しだけ口数が減った名護との距離感も、良い意味で心地良く、余韻に浸りつつも、次の展開に心が踊り続けていた。


「ね、この後どうする?」
  徐に名護は口を開いた。
「帰りたくない……」
  まるで小悪魔のように、駄々をこねるかのように、志保は囁いた。
「俺も帰したくない……」
  名護もそう呟くと、ウインカーを左に出し、高速を途中で降りた。

  降りた先のその街並みは、色とりどりのネオンが踊り出る繁華街。あらゆる飲食店や、風俗店、ホテルなどが軒を連ねている。
  そして名護の車は、そのままホテル街へと、その行方をくらました。



つづく。
  

   
  

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