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すべからく『愛』を謳え 第十四話 『家族』

すべからく『愛』を謳え  第十四話  『家族』


捕縛
   さおりは仄暗い部屋で目を覚ました。
  周囲はゴミ袋やビニール袋でごった返し、脚の踏み場さえもない惨状。しかもその上に積年堆積した埃が表層を覆い、ほんの少しでも動けば凄まじい粉塵が舞うのは必至。
   そして、起き上がろうとすると、手足が自由に動かせない事に気付いた。尚且つそれらはガムテープでぐるぐる巻きにされて、その後厳重にもロープでも縛られている。その為に身動きひとつ取れない、寝返りをうつのも困難な状況だった。
    そして口もガムテープでぐるぐる巻きにされている。

   さおりはその状況に困惑し、叫びそうになるのを必死に堪えた。
   そして状況を整理する。
   最後の記憶は、昨晩?   の仕事の帰り際。
  その際にまたもや血だらけの女性と出くわし、倒れたところを誰かが……
   にんまりとした中年男性の笑顔が、彼女の記憶の一番最後に残っていた。

「分かったよ……あの女は最後まで残しておくよ……」
  隣の部屋から誰かの声が聞こえた。
  自分はあの男に拉致された……
  さおりはそう推測を立てる。
  どうにかしてここから逃げなければ……

「おい!  残念だったな!  私たちの家族の仲間入りは、今日は見送られたよ。茉里子が許可するまで、あんたはここで寝泊まりだ……」
  前方にあったドアが急に開き、声の主らしき男がドカドカと入って来た。そして大声でそう叫ぶと、裸の菓子パンを彼女の顔の前に投げつける。
「それまで、勝手に死ぬんじゃねえぞ!」
  男はさおりの口元のガムテープにはさみを当て、ゆっくりとそれを裂いた。
「余計な事は言うなよ! 今は これでも食べとけ!」
  男は彼女の胸元まで転がった菓子パンを広いあげ、      今一度、彼女の口元に置き直した。
  男は冷たく言い放つと、また部屋を出て行った。
   昨晩の人の良さそうな笑顔とは打って変わって、男は苛立ちを隠せないような態度だった。
  さおりは周囲の埃を吸い込まないようにして、浅く深呼吸をする。
  この状況下で、冷静に物事を判断しなければ……
  叫びたくなる衝動を堪えて、彼女は唇を噛み締めた。




   藤本は珍しく苛立っていた。
   聞き分けの無い娘が、ここ最近になって一層わがままになって、無理難題を押し付け始めたのだ。
   叔母さんが欲しいというから、近所のスーパーで働いていた手頃な女性を準備するも、母親も同時に欲しいと駄々をこねる。一度に二人は正直厳しい。                  別々に捕えて、それぞれ個別で処理する方が、効率的で足もつきにくい。そして二人揃うまでの間に、何かしら誰かに嗅ぎ付けられようものなら、茉里子との愛の園は瞬く間に潰えてしまう。
   それをあの子は分かっていない。わがままにも程がある。

   しかし……
  家族を迎えた時のあの子の幸せそうな、恍惚とした表情は何物にも代えがたい、ずっと守り続けたいもの。どんなに腹を立てても、どんなに理不尽なわがままでも、結局はその顔見たさに、父親は娘の希望を叶える為に尽力するもの。

   藤本はその苛立ちを撫で付けるように、朝っぱらからビールを煽る。捕まえたスーパーの女も『母親』が来るまで生かしておかなければならない。その間に死なせないように、何かしら食べさせないといけないし、その母親をいつ迎え入れられるか、まだ分からない。
  不安要素は絶えず付きまとう。早急に動かなければならない。
   藤本はビール缶を握り潰すと、スマホを取り出して何やら操作を始めた。
   とあるアプリを立ち上げて、画面にある映像を映し出す。そこにはとある部屋の映像が。
    
    藤本と茉里子の『母親』の目星は一緒だった。
   以前深く愛し合った、本当の茉里子の母親、そう、幹恵を家族に招き入れる事で、二人の意見は合致していた。
   そしてスマホの画面には、部屋の中を行き来する幹恵が映り込んでいた。藤本はいつでも娘と元妻の動きを把握出来るように、幹恵の自宅に盗撮用の監視カメラを仕掛けていたのだ。

  彼女の顔が、その画面に鮮明に写り込んだ瞬間、藤本は懐かしさに少しだけ胸の内が疼いた。
   藤本にとっては彼女はもう『過去』。
   しかし、付き合いは彼女が学生の頃からだ。腐れ縁とでも言えばいいのか?
   丁度彼の行きつけの食堂に、当時、彼女はアルバイトとしてやってきた。目の覚める程に美しく、彼女目当てで来店する客も少なくなかった。そして毎日のように彼女はシフトに入り、その食堂の老夫婦を助け続けた。
  藤本は彼女を遠巻きに見ながら、殊勝な女性だと関心していた。
   それから何度もその店で顔を合わせる度に、藤本は彼女の視線を感じる事が多くなった。その眼差しは時に熱く、火照りを伴っていた。きっと自分の事が気になって仕方がないのか、時に、もどかしそうな表情も垣間見せる。しかし彼女は面と向かっては、その視線の次の展開に行こうとはしない。きっと大人への階段を登る為の手ほどきは、誰でもいい訳では無い。その為に、温厚で優しさに満ち溢れた藤本に、その白羽の矢が立ち、彼の手が差し伸べられるのを待っているのだろう。
   彼女の熱い眼差しに、彼はそう確信する。
  しかし、藤本は正直なところ参ってしまった。
   彼女は自分よりも十五歳も歳が離れている。下手すれば『親子』とともとれる年の差。
   いよいよ藤本は悩み抜いた。
   そして考えあぐねいた結果、彼女の意志を尊重する事にした。
   とはいえ恥ずかしがり屋の彼女。自分から動く事は出来ないだろう。 ましてやファンの多い彼女。自らアクションをとるのは、他の客の手前、印象は良くない筈。
   そこで彼は筆談にて、コミユニケーションを取る事を思い付く。勿論彼女は目も見え、耳も聞こえる。一般的なコミユニケーションは可能だ。がしかし、殊に男女間の恋愛に関しては、見た目の煌びやかさとは裏腹に奥手で純粋。誰かがリードしてやらなければ、掴める筈の幸せさえも見逃してしまう恐れがある。その大役を藤本は買って出るのであった。

   それから今まで通り、毎日のように幹恵との逢瀬は続き、彼は筆談を通して、彼女との心の対話を試みた。最初はぎこちなかったが、彼女もその意図を汲み取って、彼からの言葉を心待ちにしているのを、肌で感じられる迄になった。

   そして二人は同棲を始める。週に四日ほど、藤本は彼女のアパートで寝泊まりするようになった。彼女が仕事中は部屋の掃除や後片付けを率先して、常に部屋を綺麗に保ち続けた。そして疲れて帰ってきた彼女を寝かしつけてやっと、彼の一日が終わる。まるで主夫だな、と彼はコップを洗いながら、当時はよくほくそ笑んでいた。
    そして、互いの『愛』が絶頂に達したあの日、二人はひとつに繋がるのだった。
   同棲を初めておよそ五年程経ったある日、彼女は夜遅くに泥酔した状態で帰宅する。疲れた身体のまま、職場の催した飲み会に参加したのであろう。
   酩酊して、すぐさまベッドに倒れ込んだ彼女を、『お疲れ様』と、彼は労いを込めて抱きしめた。鼻に香る同じシャンプーの匂いに、彼は幹恵との絆を感じて、いつも以上に強く抱きしめた。すると彼女は、彼の熱い抱擁に感極まって、甘い吐息を繰り返す。その濃密な誘惑に絆されて、彼はズボンのチャックを下ろした。

『子供、何人欲しい? 僕は一人がいいな! だって君は唯一無二。君の遺伝子は、そのまま一人に色濃く受け継がせたいんだ。そしてまた僕はその新しい『君』をまた愛するんだ』

  彼は幹恵の耳元でそう囁きながら、身体の奥底から漲る、濃厚で濃密な純白な『愛』を、彼女の中に放出する。それは長年培い、分かち合い、紡ぎあってきた二人の愛の結晶であり、また新たな『愛』への出発でもあった。

   そして幹恵は茉里子をその身に宿す。



   藤本は過去に想いを巡らせると、目頭が熱くなったのを悟った。こうして幹恵と共に歩いた結果として、茉里子が生を受け、この世に産声をあげる。そして今、藤本と茉里子は『永遠』という『愛』の渦中にいる。そしてこの愛をもっと普遍的なものにする為には、そう、幹恵が必要だった。
   藤本、幹恵、茉里子は今再び、『永遠』の中で本当の『家族』になる。
   それが運命だったのだと、藤本は今更ながらに幹恵との過去に納得をする。そして、幹恵を迎えに行く為に、彼は立ち上がる。




  幹恵は茉里子の『ひみつにっき』を目の当たりにして、あの日の悲劇は終わっていなかった事に、背筋を凍らせた。そして、その渦中に娘が加担していたことにも。
   何を信じていいのか、正直分からなくなった。
   茉里子はあの男、母親でさえ名も知らぬ男と、どんな顔をして、どんな事を話していたのだろうか?まるで裏切られたような錯覚が、その事実を疑惑へと転嫁させる。
『結局、あの男の子……』
  意を決して愛を注ぎ続けたのに、自分はただの生活の為の『糧』なだけであり、男には単なる『穴』として利用されただけ……
   まるで二人がグルになって、幹恵を手玉に取って弄んでいた、そうとしか考えられなくなった。
「だから……そんな事するから……天罰が下ったのよ!」
   幹恵は心の中でわだかまっていた気持ちを、そのまま声にして吐き出した。
   そしてきっとあの男は、未だに自分の周囲に居るはず。先日出会った、霊能者の御手洗という男もそう言っていた。あの動画、茉里子の葬儀に映り込んでいた影もあの男。そして生前に頻繁に娘と会っていたのも、あの男。
   きっとあの男が、茉里子を殺したんだ!
   永遠に自分の物にする為に、従順な娘を手にかけたんだ!
   あの男ならやりかねない!
   糞で下衆で、執念深い、勘違いの屑野郎で、名前も知らないド変態の、あの男が全ての元凶!

   幹恵はテーブルの上に置いていた花瓶やコップを、怒りに任せて床に叩き落とした。そして、茉里子の部屋にもう一度入ると、並べられていた漫画や参考書など、本棚ごとなぎ倒し、部屋の中の一切合切を滅茶苦茶にし始めた。
   一緒に撮った写真も、茉里子が大好きだったKPOPアイドルのポスターも破り裂いて、クローゼットの中の洋服も引っ張りだしては、地団駄を踏むようにして、何度も何度も床に踏み付けた。
   その一つ一つに茉里子との思い出が詰まっており、幹恵にとってもそれらは宝物だった。しかし、手にした現実によって、それらは一瞬にしてゴミと化した。


  一心不乱に茉里子の部屋で暴れる幹恵を止めるかのように、インターホンが部屋中にこだました。
「はぁはぁ……」
  幹恵は手にしていたひみつにっきのノートを床に投げつけると、インターホンのモニターへと急いだ。

  髪を撫で付け、涙を拭いて深呼吸で息を整えると、幹恵は応答のボタンを押す。

「北野運送です。杉本幹恵さんのお宅でしょうか?  お届け物です!」
  モニターの先には、帽子を目深に被った配達員が立っていた。
「今開けます」
  低い声で答えると、幹恵はオートロックを解錠する。間もなくして配達員は玄関まで辿り着き、再度インターホンをかき鳴らす。

   幹恵はドアを開け、玄関に配達員を招き入れた。
「こちらに受け取りのサインをお願いします」
  だいぶ肥満体型の配達員は、顔を伏せたまま彼女に荷物を手渡しし、サインを求める。
   幹恵はそんな事は気にせずに、黙々とサインを記入する。
「はい!」
  幹恵は書き終えて顔をあげると、目の前に立っている男の顔に絶句した。
  男はニヤリと口角をあげると、荷物越しに幹恵を押し倒して、彼女に馬乗りになった。
「きゃあああ……」
  大声で叫ぶも、男の太くて短い指によってそれは封じられる。そしてその巨体で彼女に覆いかぶさり、
「迎えに来たよ……茉里子の所へ行こう……」
   そう、耳元で囁いた。
「うぐ!ぁぁ!うわぁぁ!」
  絶叫し、のたうち回ろうとするも、声も身体も男に押さえつけられて、全く身動きが取れなかった。
   そして幹恵の脳裏にはあの日の晩、この男に辱めを受けた、あの『瞬間』がフラッシュバックした。必死に抵抗するも彼女の力は無力。一瞬にして身も心も制圧され、聞こえるのは男の荒い息遣いのみ。
    そして、幹恵の身体を激しい電流が、何度も何度も通電し、彼女は泡を吹いた後、目の前が真っ白になった。




夜明け
   どれほど気を失っていたのだろうか?  いや、失ってはいない。ずっと『死』に堕ちる幻影に拘束され、うなされて、現在(いま)に至る。
   そしていざ現実に戻ると、こめかみがパンパンに腫れ上がり、激しい熱を帯びていると共に、脈動する容赦ない頭痛が、彼を痛めつける。

「はぁはぁ……」
  息をつくのでさえ、尋常ではない程の痛みが、身体中を駆け抜ける。

   聡太郎は、死への墜落か、はたまた破裂しそうな頭痛か、どちらが現実なのかを判別するまでにさえ、数時間を要した。結局は後者が現実である事を、数分前にようやく悟った。とは言え、身体はあらぬ方向に方向にねじ曲がり、口からは大量の泡が吹き出し、その身を自分で制御するには、もう数時間必要だった。
   暗闇から夜明けを迎えようとする街並みを、虚ろな目で逆さに見る。瞬きでさえ自由に出来ずに、乾き、充血しゆく目。鼻の穴に落ちていく泡と涎。そして明けゆく空と街並み。もう暫くすれば、降り注ぐ紫外線は容赦なく彼の肌を焼き尽くすであろう。
   それを思うと、仰け反った身体は小刻みに震えるのであった。

   彼が焦燥感に駆られていると、逆さに見える街並みが波を打ち始め、ゆらゆらと波紋が広がっていく。
   そして、その中から人影が見え始めた。
  聡太郎は動けない身体でそれを凝視させられ、その波紋から現れた少女の姿に悶絶する。
   そう、その中から現れたのは茉里子だった。先程の怨念かと卒倒しそうになったが、目の前の少女にはあの禍々しさは無かった。きっといざよい橋で出会った本物の茉里子だ、聡太郎はそう確信した。
   少しだけ息を落とし、彼は成り行きに身を任せる。
   茉里子は悲しげな顔をしながら、聡太郎にゆっくりと近づいてくる。二人の視線が合い、互いを認識し合う事で、彼女の輪郭は鮮明さを増していく。
   茉里子は聡太郎のもとに辿り着くと、彼の仰け反った身体をそっと抱き抱える。そしてゆっくりと曲がった首や、手首、足首を正常な角度へと戻していく。
  そのおかげで、聡太郎は楽に息が出来るようになった。
『ありがとう』
  心の中でそう伝えると、茉里子はにっこりと微笑んだ。そして、
『……いします……お母さんを助け……てください』
  真剣な眼差しで彼を見据え、彼の左手に自分の右手を重ねる。そして茉里子は心音を伺うようにして、聡太郎の胸に顔を埋める。

「ぐっ!……はっ!」
  そして、茉里子の今までの軌跡が映像となって、彼のへと入っていく。あまりもの疲弊に、最初は聡太郎の身体は拒否反応を示したが、その映像を見た聡太郎の心が、その逆流を押さえ込んだ。
   聡太郎は見た。彼女の最後を。
   聡太郎は見た。彼女の気持ちを
   聡太郎は見た。彼女の願いを


   幹恵と二人三脚で駆け抜けた、わずか十五年。しかし、それはかけがえのない二人の歴史であり、記憶である。
   聡太郎は茉里子の想いに共感すると、未だ動きの硬い右手をあげて、彼女を抱き締めるのだった。
   そして、決意を新たにし、唇を噛み締めた。
  その瞬間、彼の右眼は紅く染まるのであった。




つづく












   


   
  


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