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すべからく『愛』を謳え第四話 『懺悔』

すべからく『愛』を謳え  第四話  『懺悔』


察知
  絶えず緩やかに流れゆく水面は、過去の記憶を失ったかのように、なだらかに『現在』(いま)を流れていた。
   
  深夜一時。
  聡太郎は、いざよい橋の下に流れる川に降りて、あの女を探していた。
  彼女はこの川を根城にして、そこから見える自分と同じ苦しみに喘ぐ命を、ずっと探していたようだ。そのため、そこら中にそれと似た念や、低俗霊がウヨウヨしている。
  それらは聡太郎が現れると、彼の中の『誰か』を察して、蜘蛛の子を散らすように消え失せる。

 『僕の行為は、彼女の怒りと哀しみを鎮めるに値するのか?』
  ここ数日、聡太郎はその事ばかりを考えていた。
  彼はただ『見える』『聞こえる』『感じる』事が出来るだけで、他の能力者のように『祓う』事は出来ない。ただただ、寄り添い、『悼む』事と『弔う』だけしか出来なかった。
  しかし彼の中の『誰か』は、彼のその純粋で生真面目な性分に寄生し、『渇き』による衝動で、彼を突き動かす。
それで尚、『誰か』の欲望とは逆行する行動を取る聡太郎。そしてその『誰か』は、彼のその思惑を利用して、怨念に辿り着こうする。そんな奇妙な依存関係が、聡太郎と『誰か』の間には成立していた。
  故に自身の行いが正解なのかどうか、彼は確信が持てずにいた。

  聡太郎は川岸にしゃがみこみ、水面に手を触れた。その水は、夏の盛りとは思えない程に冷たく、まるで俗世との『温度差』が生じているかのようだった。      そこにはありとあらゆる怨念が、低く低く渦巻いていた。それは人に限らず、動物や魚、爬虫類から両生類、はたまた虫や微生物迄に至り、太古より紡がれた恨みつらみが、そこには堆積し続けていた。
  聡太郎はその渦巻く怨念の中に、あの女を探す。
「どこだ?」
  濡れる事も厭わず、彼女が転落して絶命したであろう位置まで、聡太郎は川の中を歩いた。足を踏み入れる度に、誰かが足を掴もうと手を伸ばす。そして、水面に反射するように現れるたくさんの顔。彼らも、哀しみや憎しみに飲まれて朽ちていった命。しかし、それら全てに手を差し伸べる事は出来ない。ましてや、『渇き』を満たす事さえも出来ない。

  聡太郎は足を取られないように、一歩一歩、慎重に、確実に踏み込んでいった。
  
  彼女が絶命したであろう位置に辿り着き、川底から隆起する石に、左手を添える。
  すうっと染み込むように、彼女の死に際の残像が、聡太郎の脳裏を掠める。
  確かに彼女はここで最期の時を迎えている。
  しかし、これは残像だ。
「居ない?」
  聡太郎が首を傾げた、その瞬間だった。
  
 身体の内側から、破裂するような音と圧迫が巻き起こり、表面に居る聡太郎を押し潰そうとする。そして、それに追い討ちをかけるように、身体中の筋肉が萎縮し始め、自由が効かなくなった。立っている事も出来なくなり、聡太郎はそのまま、川の中へ正面から倒れ込む。
  彼は身動きも取れずに、びくびくと水の中で痙攣を続ける。息が出来ずに、苦しさに藻掻く。
「ぐっ……るし……」
  汚れた川の水と砂を飲み込みながらも、聡太郎は抗い、『自分』を誇示し続けた。
  
  そして、永遠に近いわずか数秒後に、もう一度巨大な破裂音が彼を襲う。
   そのまたわずか数秒後に、あの『渇き』が猛威を振るい、左手は烈火の如く燃え盛り、そして右の眼には紅い瞳が現出した。
  激しい衝動と焦燥感に、聡太郎は立ち上がった。
『奴はここには居ない』
  そう確信した聡太郎は、右眼に映る怨念の軌跡と、左手の指し示すがままに、走り出した。


狂宴
    深夜二時。
    部屋中に充満する、ヘドロと血の匂い。
   名護は小刻みに身体を振るわせながら、何も喋れず、動けず、ただひたすらに、『現在』置かれている状況に『恐怖』し続けていた。
  顔を亡くしたかなめは、名護の上に跨り、激しく身体をくねらせていた。腰がしなると同時に、彼女の身体から川の水が滴り、びちゃびちゃと部屋中に飛び散っていく。
   ヘドロと血、そして、その雫は、死んだ魚の匂いを孕み、名護の鼻腔を破壊していく。
  かなめは名護の腹部に、唇と舌を這わせ、徐々に下へ下へと移動していく。
  その間も名護は喋れず、動けず、それなのにかなめの口元に視線の強制を強いられる。
  かなめは名護のベルトを噛みちぎり、ズボンを剥ぎ取った。そしてトランクスの上から愛でるかのように、今は無き頬で何度も何度も、彼の陰部に愛撫を繰り返す。
  彼の精神状態とは裏腹に、激しくそそり立つもう一方の名護。
  かなめは黄ばんだ歯でトランクスを噛じると、一思いにそれをずり下ろした。
  しゃしゃり出る名護。それは、異国の徒となんら遜色の無いほど、大きく太く黒々として、その存在を誇示していた。
  その神々しさを、鼻と口で感じとったかなめは、堪らずに黄色く濁った涎を漏らす。それが名護の股間に落ちると、微かな煙と硫黄のような刺激臭を発生させ、彼の皮膚を焦がした。
  皮膚を焼く激痛にさえ動きを封じられた名護は、目を見開いたまま、苦悶に顔を歪める。

  そして、満を持したかのような表情で、かなめは渇いた笑顔を名護に見せつける。その瞬間、かなめの口内は縦長に形状を変え、中の歯の一本一本が無数の鋭い牙に変貌を遂げる。
  そしてその茨の口内へ、そそり立つ名護を誘うかなめ。
『!』
  激痛に名護はのたうち……まわれなかった。
  逃げ場を失った彼は、恐怖と不安の中で、かなめの欲望を受け入れる他出来なかった。
   牙は脈打つ名護に突き刺さり、上下にスライドされる事で、ズタズタに切り裂かれていく。それにも増して、何度もえずくことで『酸』と化した涎は、名護を徐々に溶かし始める。
  傷だらけで血だらけになっていく名護は、それでも萎れること無く、反り返ったまま。
  かなめは激しくシェイクした後に、一度股間から口を外す。口をつむり、その中に溜まった、唾と血と、名護の溶けた皮膚をこぼさないようにしながら、彼の顔に近づく。そして、押し付けるようにして名護の唇にそれを重ね、口の中のものを流し込んだ。その量たるや半端なく、名護の口内の許容量を超え、赤く泡立ちながらドロドロと漏れて出る。
  そうしながらもかなめは下着を外し、名護を受け入れる準備に入った。
  唾を消費しきったかなめは、体制を変え、自身の陰部を名護の顔面に押しつけた。否応無しに釘付けにさせられる名護。
    密生する針葉樹林の中心には、秘蜜の扉ではなく、白く目が濁った魚が口を開いていた。言わずもがな、その口内には無数の牙が見えた。
「はああああ……」
  かなめの浅い吐息と共に、その魚の口から、愛蜜のように黄色く濁った体液が溢れ出る。かなめは堪らず、激しく陰部を名護の顔に擦りつける。すると、すぐに激しく身をよじらせ、名護の顔の上で吹き上げた。飛び散る体液は、より一層生臭く、腐敗していた。それを浴び、鼻と口から飲み込まされる名護。頭部にも飛散しているようで、燃えるように頭皮が熱く、何かが焦げる匂いがした。

「あ……いし……てる……あ……なたはわた……しだ……けのもの……」
   かなめは耳元でそう囁くと、名護の股間に跨り、傷だらけの名護を手に掴むと、一思いに腰を落とした。


   その瞬間!


   玄関のドアが吹き飛ばされ、それと同時にかなめも吹っ飛んだ。

「???」
  状況が全く分からない名護は、目をキョロキョロさせるばかり。
「邪魔し……ない……で……」
  たどたどしく囁くかなめ。
「迎えに来ただけだ!」
     今度は男性の声が聞こえる。と同時に、ドタドタとフローリングに土足で踏み込む音が聞こえた。と、その刹那、名護の視界に、白装束のような出で立ちで、紅い右眼をした男が入ってきた。




弔い
   聡太郎は開眼した。
  紅い瞳はその証拠。『誰か』の、獲物を探し出す能力が最大限に引き出され、より一層の『渇き』と、左手は灰になってしまいそうになる程に燃え上がっている。

   かなめの所在を突き止めるのは容易だった。彼女も憑代を手に入れ、今まさにその怨念を晴らそうとしている。それが彼女の残した念に、色濃く映り込んでいる。
   聡太郎はその念に導かれるように、名護の部屋に辿り着く。そして玄関のドアに左手をかざし、その中に居るかなめに焦点を合わせる。
『居た』
   彼の中で誰かがそう呟くと、それと同時に玄関のドアが吹き飛ばされた。

「!」
  聡太郎は部屋の中の惨状に、目を細めた。
  かなめと化した若い女性が、『怨み』を牙と酸に形を変えて、ターゲットの男性にもう襲いかかっていた。

「邪魔し……ない……で……」
「迎えに来ただけだ!」
  玄関のドアと共に吹き飛ばされたかなめは、悲痛に囁く。聡太郎は即座に否定し、部屋に乗り込んだ。そしてすぐさま、かなめの頭を左手で掴み、自分の顔の高さ迄持ち上げる。聡太郎が頭を掴んだ事で、潰れて消えた顔半分が、うっすらと見え始めていた。
    かなめは縦に割れた口を震わせながら、その見え始めた眼で、聡太郎を威嚇する。
  

  彼女の目的は、想い人であった名護と再びの一線を越えた後、同化した女性と共に心中させる事にあった。
   それが彼女の『本意』であり、『怨念』であり、『願い』だった。
  彼の左手はその全てを『無』に焼き尽くす。
  そして彼女のその五感的な痛みと苦しみと過去は、聡太郎の『記憶』として、深く刻み込まれる事となる。彼女が悲しみ傷付き、辛苦に喘いだ分、彼も同じ深度と震度で、それを味わう事となる。
  しかしそれが、聡太郎に出来る唯一の『弔い』。
  死後も怨念と化す程に苦しみ、哀しんだ『誰かの声』に耳を傾け、送り出す前にその荷物を引き取る事でそれを昇華させ、少しでも安らかな気持ちで旅立って欲しい、それが聡太郎が自分に課す『弔い』だった。
  それは端的に言えば自己満足かも知れない。そこに『安らぎ』など無いのかも知れない。しかし現在(いま)、この能力を持っているという事は、何かしらの意味があり、それにより成すべき事が存在するはず。     そして聡太郎はそれを引きずりながら生きて行く他、術はない。
  誰かに揶揄されるかも知れない。されどそこに足を踏み入れた以上、逃げる事は出来ない。
『魂』を喰らう、まさにその通りで、ただそれだけの事。『感情』など無用なのかもしれない。しかし『弔う』事が、血の通う『人間』として生きる為に、彼に残された手段。
   それは暗闇と孤独の中に、彼が見出した『光』であり、『償い』であった。

  「なぁ……ごぉぉぉ……」
  盛りのついた猫のような声で、想い人を呼ぶかなめ。聡太郎の手の中で、消えていた顔もその輪郭を取り戻したようだ。
  手足をジタバタとさせ、名護に覆いかぶさろうと躍起になっている。
「辛かったよね……もう、苦しまなくて良いんだよ。そして、彼女も、もう解放してあげて……」
  聡太郎は優しく語り掛ける。
「なぁご!  なぁご!」
  聡太郎を無視して、尚も名護を欲するかなめ。グネグネと身体をくねらせ、酸性の体液を撒き散らし、彼女は抵抗を続ける。その雫が聡太郎の顔にも飛び散り、その肌を焦がすも、一瞬にしてそれは回復し、すぐに雪のような白い肌へと戻る。

「うぐっ!」
  聡太郎は激しい焦燥感に苛まれた。彼の中の『誰か』も『渇き』を満たそうと躍起になっている。
 強く唇を噛み、それを凌ぐ。
  『ごめんなさい』
  そう呟くと、もう一度唇を強く噛んだ。
  そして、僅かに満たされる『渇き』の後に押し寄せるその苦渋を前に、彼は血の混ざった唾を飲み込んだ。


「ぎゃぁぁ!  なぁご!  なぁご!……」
  
  聡太郎が左手に力を込めた瞬間、かなめは激しい痙攣を起こし始めた。そして、彼の左手を中心に、火花を散らしながら、ぐるんぐるんと回転を始める。

「なぁご!  なぁご!……」
  必死に名護を呼び続けるかなめ。その声は徐々に聡太郎の左手の中に飲み込まれ、『渇き』という業火に包まれていく。
  洗濯機の回転の如く、大仰に振り回されながら、かなめとそこら中にいた低俗な霊達も、聡太郎に飲まれ、そして焼かれていく。
  

   聡太郎と『誰か』も、『渇き』に注がれる恵みの雨に歓喜し、誤嚥するほどに無我夢中で彼女の魂を貪った。嫉妬と執念と、憤り、絶望は、最高のアンサンブルだった。
 

  わずか数秒の後、かなめは跡形もなく消え去った。
  聡太郎は余韻に浸りながらも、そっと目を開ける。
  ベッドの上には、恐怖に固まった名護が気絶していた。そして聡太郎の足元には、頬を濡らして寝息を立てる女がいた。

  かなめが消えた事で、今夜の惨事は『事実上』、無かった事になる。名護が負った傷は全て幻となり、外傷は一切残らない。但し心に負った傷がどうなるかは、本人次第。
   足元に横たわる女性も然りだ。かなめ同様に、この名護という男に弄ばれた事で、かなめと同調してしまった。故にいつかまた、同じような目に遭うかも知れない。それは当人達が乗り越える事でしか、変化は望めない。

  ひとまずは、二人の『生命』を護る事は出来た。それがせめてもの救い。

  聡太郎は部屋を出ようと、玄関に急いだ。吹き飛ばしたはずのドアも、傷ひとつなくそこに存在している。
  ドアに手を伸ばす聡太郎。
  その刹那、一瞬黒い闇が彼の視界を遮った。
『来た……』
  
  渇きの後に押し寄せる『嵐』が、その顔を覗かせた。
 













   どのくらい眠っていたのか?
  聡太郎は身体中に、殴打された後のような、鋭い痛みを感じながら、その身を起こした。
『どこだ?  ここは……』
  周囲を見渡すと、その光景に『記憶』が追い付き、愛すべき人に虐げられた残像が、彼を責め立てた。

  彼はいざよい橋の下に流れる川の中で、目を覚ました。奇しくもその場所は、かなめが落下した場所だった。
  慌てて顔に手を伸ばす。その実在する感触に彼は安堵する。

  名護の部屋からの実際の記憶は残っておらず、目を覚ます迄の間、彼はかなめの過去に生きた。
  愛を誓ったはずなのに、それは裏切りと脅迫に変わり、彼をどん底にたたき落とした。未だに胸のつかえが取れず、息苦しい。どれだけ泣いたか分からないが、ほとほと疲れ果てて居るのに、少し考えただけで、嗚咽を漏らしそうになる。

   濡れすぼった身体を引きずって、彼はその川から這い上がった。
  階段を登り、通りの道に出る。
  朝の出勤時間だろうか、心なしかスーツ姿の人達が、多く見えた。
  行き交う人々は、ずぶ濡れの世捨て人同然の彼を一瞥すると、距離を取ってあからさまに避けていく。
    聡太郎はそんな事は気にせず、自宅への道を急ぐ。

   夏の陽射しは朝であっても、彼には容赦はしない。     少し赤みがかった頬を覆うようにして、彼はびしょ濡れのフードを頭から被った。川の水を十分に含んだそのフードからは、死んだ魚の匂いがした。
    フード同様に、川の水を吸い込んだズボンも、脚に貼り付いて、いつも以上に重たく感じた。併せて内側から押し寄せる痛み。特に膝の皿の部分が、脚を曲げる度に酷く痛んだ。そのため、脚を引きずりながら、ゆっくりと歩かなければならなかった。
  帰り着く迄には、もう暫く掛かりそうだ。
  少しだけ苛立ちながらも、彼は歩を進める。
  次の一歩を踏み出そうとした刹那、何かが右脚に絡みついた。そしてその『何か』は、すぐにその気配を露にした。
  聡太郎は致し方なく、脚元を振り向いた。

  そこには、ガリガリにやせ細った、右脚の無い少年が寂しそうな表情で立っていた……



つづく


  

  














 



  
  
  
  
  
  
  

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