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「ささやかだけれど役にたつこと」〜千葉県四街道市にあった小さな飲み屋さんのお話

 四街道駅の北口を出て、ロータリーを抜け横断歩道を渡り、細い路地に入ったところに小さな居酒屋があった。

 「絢」という名前のその居酒屋を知ったのは、驚くべきことに五年間住んでいた四街道を離れ、二年半の青森での単身生活を経て、失意のどん底で再び四街道に帰ってきたその時だった。

 決して新しい店ではないのに、どうして知らなかったのか。まあ要するにそのくらい目立たない小さな店だったというわけだけれども。きっかけは四街道の店で一緒に働いていたパートさんが「絢」に勤めていたこと。

 「私の働いている店においで」

 そう声をかけられて「絢」の店に足を踏み入れた。役職を外され、資格を剥奪され、給料も下げられ、家族からは罵倒され、当時の私の心はチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」の主人公そのものだった。

 じめじめとした梅雨が明けて、生ビールが美味しい時期だった。一人で行ける飲み屋にある種の憧れのようなものを感じていた私は、それからというもの、月に何度かこの店に足を運び、カウンターでママさんの作る手料理を肴に生ビールを浴びるように飲んだ。
 
 ママさんの作る料理はどれも美味しかったが、特にハムカツは絶品だった。分厚いロースハムを覆う薄い衣が黄金色に輝いている。三角形でやや大ぶりのハムカツにソースをたっぷりかけて、箸でつまむと、揚げたての衣がサクッと音を立てた。そのまま口に運んでかぶりつく。分厚いロースハムの肉汁がふんわりと口の中に広がってゆく。

 「どんなに辛い時でも、美味しいものはいつでも美味しいのだ」

 当たり前のことをハムカツを咀嚼しながらしみじみと考えた。

 常連さんの多い店だった。気さくな方ばかりで、世間話をしたり、誰もいない時は読書をしながら、ビールジョッキを傾けていた。ジャン=ポールディデイエローランの「6時27分発の電車に乗って僕は本を読む」は「絢」のカウンターで読了した唯一の小説である。この本を思い出すたびに、主人公が電車の中で、本のページの切れ端を読むシーンと、カウンターでビールジョッキを傾ける自分が重なって脳裏に蘇ってくる。

 しかし、そんな生活は長くは続かなかった。給料を理不尽なほど下げられた私の使えるお金は底をつき、一人で呑気に居酒屋に行くことなど出来なくなってしまった。

 そのうち、畑違いの肉屋の仕事にも慣れ、「絢」のことは段々と忘れていった。そして三年以上の時が経った。

 先日、ふと思い立ち、その界隈を歩いてみると、緊急事態宣言の中、臨時休業をしている飲み屋の中で、すでに閉店してしまった「絢」の姿があった。

 カウンターでビールジョッキを傾けながらハムカツを頬張っていた頃を思い出していた。

 シャッターが立ち並ぶひっそりとした通りをとぼとぼと歩いていると、ふいにチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」のメロディが脳内に響いた。

「わかってくれとは言わないが
 そんなに俺が悪いのか
 ララバイララバイおやすみよ
 ギザギザハートの子守唄〜」

 もう何年もカラオケに行っていない。いずれ大手を振ってカラオケに行くことのできる日が来たら、私は間違いなくこの曲を真っ先に歌うに違いない。
  
 
 
 
 
 

 

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