『super beaverの「小さな革命」とキーツの「ネガティヴ・ケイパビリティ」とカミュの「反抗的人間」』
「死にたいとか 絶望とか 今日まで堪えたのも、誰だ」〜super beaver「小さな革命」より⭐️
「年の行を四季が満たし、
人の心にも四季はうつる。
人には瑞々しい春があり
晴れやかな想像がその時
あらゆる美をたやすく力を及ぼし抱きとる。
人には夏がありらこころ豊かにその時
美しい春の想いの蜜の味を味わい反す、
ついに 心の奥で溶かされ その想いの
おのが身の一部になるにいたるまで。
秋が来て安息の港や泊地があり
疲れた翼はその時
たたみ了えられ、心は満ち足り 放念して
霧の動きを眺めやり、心おきなく
美しい物を 門辺の小川の如く
逝くにまかせる。
ひとはまた色蒼ざめ醜い冬をも過ごす
さもないと おのが現身の本性を忘れ去ることだろう」〜キーツ「年の行を四季が満たし」⭐️
ネガティヴ・ケイパビリティ。
不確かなものを素直に受け入れる姿勢。先が見えず、混沌とした現代において、ネガティヴ・ケイパビリティの考え方が見直されているという。
逆に何に対しても白黒はっきりさせた答えを導き出す必要性を説くのが、ポジティブ・ケイパビリティとなる。
仕事においては常にこのポジティブ・ケイパビリティが求められるのだろうけれど、そのおかげで、様々な歪みが生まれる。なぜなら、仕事を取り巻く世界が混沌としたカオス状態であるからだ。
答えを出すということが常に重要であるとは限らない。それは言い換えたら、プロセスよりも結果を重要視するということだ。不確かな要素をありのままに受け入れて、はっきりとした答えを安易に出さないで、悩み続ける。それがネガティヴ・ケイパビリティの考え方。
自分と自分を取り巻く環境をありのままに受け入れる。ネガティヴ・ケイパビリティの出発点はここにある。そこには否定も肯定もなく、ただ、自分を見つめ思い悩む濃密な時間が存在するだけだ。
そんなわけで、僕は、積読からネガティヴ・ケイパビリティの始祖、キーツの詩集を引っ張り出して読んでいる。super beaverの「小さな革命」を聴きながら。「小さな革命」の歌詞を読み込んでいくと、ネガティヴ・ケイパビリティの考え方が根底に流れているということに気がつく。
あるいは、アルベール・カミュの唱えた「反抗的人間」にも通じるのではないだろうか。反抗とは自分を取り巻く世界にNOを突きつけることじゃない。世界をありのままに受け入れ、その中で耐え抜く力こそが反抗なのだ。
キーツが提唱したネガティヴ・ケイパビリティの考え方は、時を経て、あるきっかけで僕の中に根を張りつつある。
大切なものを守るために。
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