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2016年中露国境+東シベリア旅行(6)

 朝の気温は10度らしい。ラジオ体操でもしたくなるくらい快適だ、しないけど。
 これから日本に帰るのだが、いったんイルクーツクに行き、さらにその途中でバイカル湖を眺めることから、まだまだ観光気分は続く。
 ウラン・ウデ駅で指定の列車を待つ。やはり東洋人の顔をした人の比率が高い。とはいってもブリヤート人、モンゴル人、中国人の区別はつかない。日本人はいなさそう。
 駅に掲示されている時刻表を眺めていると、この時間は自分が乗る列車のほかに、ちょうど昨日自分が乗ってきた列車の折り返しザバイカリスク行き列車が出発するようだ。
 やがて列車が到着するアナウンスが入ったのか人々が動き出した。それに引っ付いて行き、跨線橋をまたいでホームに降りると、反対方向のイルクーツク方面から列車がやってきた。ザバイカリスク行きだ。意外と多くの人々がこの列車に乗り込む。さらにこの駅で増結車両が連結される。ザバイカリスクはただの田舎町なので、おそらくその先の満洲国、じゃなくて中国にいくのだろう。自分の乗るモスクワ行きはどのホームに到着するのか周囲を見渡してみると、駅舎側のホームにも人々が屯しているので、おそらくそちらだと思い駅舎に引き返す。

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 ウラジオストク方面からも列車がやってきた。チタ始発のモスクワ・ヤロスラブリ駅行き。この列車に乗って8時間かけてイルクーツクまで行く。
 列車に乗り込む。ここで列車は40分ほど停車するが、中にいてもつまらないので外に出て人間ウォッチング。
 やがて出発時刻が近づいてきたので再び列車に乗り込む。車両は昨日乗っていたものとは違って昔ながらの客車でエアコンなし。いかにもソ連というイメージの車両だ。今日は昼間のみの利用なので、ベッドの狭い3等開放寝台(プラツカルト)でもよかったのだが、静かに過ごしたいので2等寝台(クペー)を選択。4人用コンパートメントの下段が自分のベッド。自分の反対側の下段だけが既にベッドメーキングされており、そこにはロシア人っぽいおばさんが座っている。その上段にはブリヤート人っぽい若い女性が寝転がっている。ウラン・ウデ駅で家族に見送られていた。自分の上段ベッドは空いている。コンパートメント内では最初にお互い同士なにか会話をしないとしばらくの間その場の空気が重くなってしまう、だからあえてプラツカルトを選ぶという人もいるくらいだが、逆にお互い内政不干渉主義でいれば特にどうってことない。

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 いつの間にか眠ってしまっていた。目を覚ましたらすでにバイカル湖畔を走っていた。
 車窓から眺めるバイカル湖は日本海のように見える。終戦直後、満洲でソ連兵に拘束された人たちが貨車に積み込まれ移送された際、隙間から海が見え、日本海だと思って歓喜に沸いていたら、しばらくして太陽の位置が逆なのに気が付いた。実はシベリアの奥地に送り込まれてしまったのであり、これから身に待ち受ける運命に戦慄した、という類の話があり、実話かどうかわからないが、景色だけ見ると確かに日本海のようだ。
 25年前に眺めたバイカル湖は4月中旬だったのでまだ冬だったが、今は夏なので所々でアウトドアライフを楽しむ現地人の姿が見える。

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 列車はイルクーツクまでずっとバイカル湖畔を走っているわけではない。結構長い時間人の住んでいそうにない森の中を走る。
 ウラン・ウデを出発して8時間後、ようやくイルクーツクの街に入った。イルクーツクはロシア全体ではシベリアの地方都市に過ぎないのだが、街に入るとイルクーツクがかなりの都会に見える。輝いて見えるといっても大袈裟ではない。
 無事にイルクーツクに到着。25年前の記憶は薄っすらとしか残っていないが、全体的にはあまり変わっていないような気がする。なぜか構内に豪華列車「ゴールデンイーグル」が停められている。ちゃんと営業しているのだろうか。
 今日はこの後空港に行ってハバロフスク行き深夜便に乗るのだが、まだ時間が十分にあるので、街歩きをして時間をつぶすことにする。

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 街に出る前に、まだ昼食を摂っていなかったのでどこかで腹ごしらえをしておきたい。駅前には割と軽食カフェとかがあるものだが、決して広くない駅前広場を見渡すと、怪しげな日本語(といっても「日本料理」だけだが)のあるお店を発見。話のネタにはなるかもと思ってそこに行ってみる。
 すでに昼食どころか夕食前の時間だからか、店の中は閑散としているが、勝手のわからない自分としてはその方はありがたい。セルフ方式のようだ。怪しげな日本の寿司や、妙な中華料理の写真があったりして、どれにしようかと思ったが、結局はトレーに載せてある調理済みの料理を注文するのがここで推奨されるオーダーの仕方のようなので、肉の煮込み料理をもらった。なんだかトルコのロカンタみたいだ。ところがよく見るとショーケースの上に肉まんのようなものがあるのを見つけ、もしかしたらこれはブリヤート料理(というより北東~中央アジア一帯の料理か)の「ブーズ」かもしれないと思い、これも追加で注文。結構な量になってしまったが、ロシアに来て食べたものが中央アジア風ピラフとカップラーメン(プラスロシア鉄道製ダイエット料理)だけではちと寂しいところだったのでこれ幸いだ。
 さてお味はというと、普通においしい。餃子みたいなものだ。肉は豚肉か。それ以上にこの店のよい点はフリー(だと思う)のコンセントがあり、スマホの充電ができたこと。列車の中ではできなかったのでこれは助かった。

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 イルクーツク駅から歩いてアンガラ川を渡って対岸へ。
 25年前も対岸のホテルまで歩いて行った。駅前からトラムやバスもあったのだが、乗り方がよくわからなかったのと、地図で見る限り歩いていける距離だと思ったから利用しなかった。しかしながら4月も下旬に差し掛かろうとしているのにもかかわらず、イルクーツクはまだ雪が降り、気候的には日本の真冬と変わらず、結構寒い思いをした。
 昔のことを思い出しながら、といってもほとんど覚えていないが、ゆっくりと橋を渡る。遠くに見える雲が雷雲っぽい。雨が降らなければいいのだが。

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 アンガラ川沿いにある、第二次世界大戦の戦没者を祀った「永遠の火」。概して旧ソ連エリアではこのような施設には衛兵がつきものだが、今日はもう営業終了か、それとも初めからいないのか。

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 「永遠の火」の横に建っている「スパスカヤ教会」。もう閉店時間かなと思ったが、入り口に立っている男性が手招きしている。お礼を言って中を見せてもらう。

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 スパスカヤ教会の裏手の、アンガラ川沿いにある「バガヤヴリェーンスキー聖堂」。スパスカヤ教会とはだいぶ趣が違う。
 25年前の「地○の歩き方・ソ連編」にはこんな建物の情報はなかった。ソ連時代は教会としては閉鎖されていて、よくて博物館、所によっては倉庫、工場や労働者の宿舎等に転用されていたことから、観光ポイントからはずされていたのだろう。地図を見てもなにも書かれていない。

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 コサック像とアンガラ川。大黒屋光太夫も川岸からの景色を眺めたことだろう。イルクーツク市は金沢市の姉妹都市とのこと。

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 ボリスキー教会。この辺りは教会、公園、政府庁舎が集まっていているので、昼間はそれなりに人通りが多いのかもしれないが、もうすぐ日没だからか閑散としている。もう少し街中を歩いてみる。

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 キーロフ公園に沿って歩くと「アンガラホテル」にたどり着く。このホテルはソ連時代からあるが、25年前に泊まったのはこちらではなく、アンガラ川沿いの「インツーリストホテル」、今は名前が「イルクーツクホテル」となっている。
 結構歩いたような気がするが、街のメインストリートであるカールマルクス通りまであと少しなので、もう少し頑張ってみる。

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 カール・マルクス通りに突き当たる手前辺りに「日本情報センター」があるということなので、日本国民の血税が適正な使い方がなされているか検証してみようと思ったが見当たらない。仕方がない。あまり騒ぐことで日露関係にヒビが入り、北方領土返還交渉に障りが出るのは本意ではないので、これくらいにしておこう。
 概してモスクワを含む旧ソ連邦の都市にはいわゆる「盛り場」というものが存在しないか、あっても規模や中身が違う。スラブ文化がそういうものなのかもしれないが、それよりも説得力があるのは、人が集まると政治談議から共産党支配に対する暴動に発展しかねないことを警戒したソ連政府が、人が集まらないようにそういう街づくりをした、というもの。ここ東シベリアの中心都市イルクーツクも例外ではない。確かにそれなりにレストランやらショップやらこじゃれた店舗は集まっているが、キャバクラやガールズバーは(たぶん)ないし、当然インチキ客引きも(たぶん)存在しない。どうも健全な雰囲気で正直なにか物足りない。ここに住んでいるときっとそう思うだろう。ただし断っておくが、だからといってロシアは怪しげな何かが全く存在していない健全な国というわけではない。あるところにはある。
 もう充分歩いた。前方に公園が見える。レーニン広場だ。ここにも同志レーニンの像が。これで本当に観光は終わり。いろんなことがあった。行く前は、自分で企画したのにも関わらず、果たして面白い旅行になるのか疑念がないわけではなかったが、充分に楽しめた。列車に乗り遅れたときは本当に不安だったが、それも今になっては笑い話。
 今頃になって雨がポツポツとしてきたので、空港に行くことにする。タクシーを捕まえようと通りに出る。ところがタクシーがいない。たまに見かけても人が乗っている。ここで待っていても埒が明かない。ホテルの前ならタクシーがいるだろうと思い、ちょうど空港の反対方向に向かって歩き出した。ところが走っているバスの行き先表示板を見てみると、空港に行くバスがそれなりにあるようだ。それならということでタクシーでなくバスで行くことにする。そして乗り込んだバスは韓国のお古のようで、なんだかソウル市内を走っているような錯覚に陥りそう。でもそう悪くない雰囲気。
 外は真っ暗で、おまけに本格的に雨が降り出したようで景色が見えない。本当に空港に向かっているのか不安がなかったわけではない。徐々に乗客も降りて行き、ついには乗客は自分ともう一人となってしまう。大丈夫かなと思っていると運転手が「アエロポルト?」と訊いてくる。外を見ると確かに空港ターミナルらしき建物が見えてきた。これでもう大丈夫。バスを降りて雨に降られながらターミナルに向かう。

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