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2016年中露国境+東シベリア旅行(4)

 夜が明けた。すでにシベリア鉄道本線上。緯度があがったためか、景色は草原から森林と沼に変化している。

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 車窓からはところどころ村というか集落が見える。こういうところの道はほとんど未舗装。舗装されているのは幹線道路だけなのかもしれない。ザバイカリスクも未舗装の道が目立った。これがシベリアのスタンダードなのだろう。だから北方四島の道路がほとんど未舗装(最近はどうだか知らないが)なのも向こうの感覚としては普通のことなのだろう。厳しい気候のため舗装がすぐ傷んでしまうのであえて舗装しないのかもしれない。
 スタンダードといえば、シベリアの住居家屋は木造が多い。なぜ多いのか理由はわからないが、外から見ると貧しそうに見える。シベリアの風雪にさらされると表面が煤けてしまうのか。それに隙間風も入ってきそう。ただそういう建物が多いということは案外まんざらでもないのかもしれない。ただし夏は30度以上、冬はマイナス40度以下という気候、シベリアの田舎暮らしは過酷だ。

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 朝食の時間だ。昨日は焦りながら列車に飛び乗ったので、食料を持ち込んでいなかった。そこで、隣の車掌室に行き、昨日とは打って変わって商売っ気なく通路に放置されているかごの中からカップラーメンを選んで購入。
 意外かもしれないが、中国だけでなくロシアでもカップラーメンは旅の友。カップラーメンは2種類しかなかったが、どちらにしようか10秒くらい迷った。
 車内にはサモワールがあり、お湯には不自由しない。さて、お味は…。悪くない。前日はダイエット食だったし。以上で「ロシアでカップラーメンを食べる」ミッション完了!

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 ウラン・ウデ駅に到着。地図を眺めると、ザバイカリスクからチタ、ウラン・ウデまではそんなに遠いとは思えないが、列車は一晩かかって到着。「400キロなんか距離じゃない、マイナス40度なんか寒さじゃない、40度の酒なんか酒じゃない!」オソロシア。
 25年前はここはスルーした。今回もはじめはスルーするつもりだったが、たまたま「ヨーロッパ唯一の仏教国」ロシア連邦カルムイク共和国の旅行情報を調べていて、結局カルムイクは今回はあきらめたのだが、その代わり同じチベット仏教の国が割と近いところにあることに気が付き、いろいろ調べてここに行くことに決めた。その後地球の歩き方・シベリア編を見るとウラン・ウデが特集されていて、こりゃ随分タイミングがいい。たぶん自分の日頃の行いがよかったおかげだろうと思った。
 列車を降りる。列車はイルクーツク行きだが、ここで結構乗客が下車する。ロシアは中国と違って改札がない。跨線橋を渡ってホームの北側にある駅舎に向かい、そのまま外に出る。予約してあるホテルは南側にあるので、さらに西側にある歩道橋に向かって歩き始める。
 まだ朝の時間帯だからだろうか、涼しくて気持ちがいい。これならいくら歩いてもあまり汗をかかずに済みそう。

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 駅からホテルまでは、直線距離だとすぐそばなのだが、駅の出口が南側にはないので大回りして行かねばならない。
 予約したホテルの建物が駅の跨線橋から見える。建物が個性的なので、遠くからでも所在がわかるのは悪いことではないが、ちょっと奇抜過ぎやないか。
 ソ連時代だと大きな街でなければ外国人が泊まれるホテルは街一番のいいホテル一か所しかなかった、といっても一流なのは値段だけで施設はかなりショボい。ただし自分が持っている「地球の歩き方・ソ連編89年版」ではウラン・ウデは外国人が訪問できる都市のリストに入っていなかった。
 それから20数年後。ウラン・ウデは開放都市となり、ホテルもいくつかできた。だからどこに泊まるか選択肢はいくつかあったのだが、あえて値段が一番高いホテルにした。それでも1泊約1万円。今回の旅行で唯一贅沢にした部分だ。
 ホテルに到着し、チェックイン。当然英語が通じる。日本語のあいさつもしてくれた。なかなか感じがヨい。ルームキーのカードを受け取り、指定された部屋へ。ところが中に入ると前の住人の残骸が。部屋を出るとさっきフロントにいたっぽい嬢がいたので、中を見せたら「オオ、ソーリー」ということで別の部屋に替えてもらった。ところがところが受け取ったカードでドアを開けようとするが開かない。どういうことだ。結局また部屋を替えてもらった。今回は開いた。部屋の中もきちんとしていた。やれやれ。
 シャワーを浴びて、部屋のテレビでオリンピックを見ているとドアをノックする音が。ドアをあけるとスタッフが「お詫びの」フルーツ盛りを持ってきた。ありがたくいただく。私生活でも果物を食べるのは久しぶりだ。私はこんな些細なことでいちいち怒ったりはしない、と思う。
 バナナやリンゴをつまんだら、休憩もほどほどにして観光に出かける。

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 ホテルを出て線路に沿って東側に進む。ソヴィエト広場に行く途中、両替に対応していそうな銀行が目に入ったので中に入り、残っていた中国元を両替。応対してくれた女性の行員はやさしい笑顔で接客してくれた。
 ウラン・ウデには一つ名物があり、それはソヴィエト広場にあるレーニンの頭部像。どれほどのブツなのかというと、「ソビエト広場には、おそらくソ連時代の最も独創的な建築作品の一つであるボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンの頭部像がある。これは、高さが13,5メートルで重さが12トンの世界最大のレーニンの頭部像で、ギネスブックにも掲載されている。頭しかないのは、ヘリコプターで運んでいる途中に全身像が落下してそこだけが残ったため、とも言われている。ちなみに、ある冬には、凍えないようにと耳覆いつきの帽子が縫製されたこともあったとか。」http://jp.rbth.com/travel/2014/03/21/47635
 これを見にはるばる日本から来たとまでは言わないが(恥ずかしくて言えないが)、こういう微妙にきな臭いブツが自分は大好きだ。しばらくの間、いろんな角度から「偉大なるレーニン」の頭を眺めてみる。某北朝鮮にもこれに匹敵するブツはないはずだ

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 ソヴィエト公園には何やら戦争らしきの写真の掲示がいくつかあった。ロシア語はわからないが、それでもなにかの70年記念ということから、おそらく第二次世界大戦のものだろう。
 今日は終戦記念日。

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 ソヴィエト広場から南東方面のレーニン通りを進む。そこは下り坂になっている。右手にオペラ劇場らしき建物が建っていて、さらに下ると凱旋門のようなゲートが路上に建っている。坂をほぼ降りた先は歩行者専用道路になっていて、その先に教会らしき建物が見えるが、ここで右に曲がる。
 さらに道を進むと周りがだんだん雑然としたアジアらしい雰囲気になってきた。そして右手にバスターミナルが見えてきた。「歩○方」によるとここが長距離バスターミナルであり、ここからチベット仏教の寺「イヴォルギンスキー・ダツァン」行きの乗り合いタクシー(マルシュルートカ)が出ているという。しかしながら周囲を見回しても該当の130番マルシュルートカが停まっていない。どうしたものかと思っていると、どこからか130番マルシュルートカがやってくるのが見えた。ああこれかと思い、様子を見つつ次にやってきたマルシュルートカに乗り込んだ。さて運賃はいくらかと思っていると間もなくマルシュルートカは停車し乗客はみな降りた。どうも終点のようだ。運賃を払う間もなく降りなければならなかった。ここは「○き方」の地図によると近郊バスターミナル。130番マルシュルートカが何台か停まっている。ここが正しい乗場のようだ。
 近郊バスターミナルのすぐそばに、先ほど見えた教会らしき建物が見える。正確にはアヂギートリエフスキー聖堂という。余力があったら行こうと思っていたところなのでちょうどいい。マルシュルートカに乗る前にここに寄る。
 ウラン・ウデで一番大きい教会とのことだが、1年前に行ったタタールスタンのカザンもそうだったが、大聖堂というほど建物自体は大きくない。寒い地方なので、あまり大きいと中が冷えるからだろうか。外国人から見たら日本のお寺もそうかもしれないが、ロシア正教の寺院もどこも中は同じような造りだ。そんなわけですぐに近郊バスターミナルに戻る。

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 130番のマルシュルートカに乗る。マルシュルートカとは小型の乗り合いバスという表現が感覚的に近いか。車両は小型バスか大型のバンのタイプでバスより速い。バスのように決まったルートを走るが、出発時刻は決まっていなくて、だいたい車内の椅子が埋まると出発する。定員が少ないのでその分早く出来が埋まり、よって出発間隔も縮まり利便性が上がる、というもの。ただし運賃はバスより高い。いろんな方面に走っているので、非地元人にはなかなかハードルが高い代物でもある。運賃を払うのはいつでもいいように見え、払わなくてもバレないような気もするが、正直者の日本人は乗車したらすぐに払う。45ルーブル。仕入れた情報よりちょっと値上げしている。
 マルシュルートカから車窓を眺める。徐々に景色が郊外っぽくなる。情報では終点で下車するとのことだが、だんだん乗客が少なくなってくると、本当にこれでいいのか少々不安になってくる。その一方でこんなローカルな乗り物にふらりと乗って移動しているオレってスゴいなとも思う。
 約30分後、何の変哲もないところでマルシュルートカが停まる。運転手や乗客の雰囲気からしてここが終点のイヴォルガ村のようだ。といってもあまり村らしい雰囲気ではない。ここでさらに別のマルシュルートカに乗り換える。これが目的地イヴォルギンスキー・ダツァン行きだ。先ほどのより大分小型でボロなマルシュルートカだ。25ルーブル。
 10分ぐらいたっただろうか。ダツァンの前に到着。ここはロシアでのチベット仏教の総本山とのことだが、日本のお寺のように山奥にあるわけでもなく、人里離れた田舎というほどの田舎でもない。まあこんなものかと思いながら中に入る。

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 チベット仏教(マニ教)といえば、というものはいろいろあるが、マニ車もその一つ。マニ車を回すのはお経を唱えるのと同じ功徳があるとされるが、自分がそれを回すのはいかにも冷やかし観光客っぽい(といってもそのとおりだが)気がするので見るだけにする。

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 ロシア正教ともイスラム教ともあきらかに違うチベット仏教の建物。

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 ダライ・ラマ猊下!
 そっくりさんじゃないと思う。

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 シベリア風の木造建築は、窓枠の意匠に特徴がある。ただしこれは地味目。修行僧の家だろうか。ここで暮らすこと自体が修行だ。

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 イヴォルギンスキー・ダツァン観光を終えて長距離バスターミナルに引き返す。
 まだ昼食を食べてなかったので、ここで食べることにする。ウラン・ウデのような地方都市では、というよりロシア全体がそうなのかもしれないが、ふらりと入ることができるファーストフード店というものがあまり見当たらない。実はあるのかもしれないが、ロシア語表記なので気付かないだけなのかもしれないが。ダツァンに行く前にここに軽食屋(カフェ)がいくつかあるのを見つけたので、ダツァンから帰ってから寄ろうと思っていた。
 ここはロシア連邦ブリヤート共和国なので、ブリヤート料理を食べるのがベターなのかもしれないが、ブリヤート料理にどんなものがあるのか調べていない。結局カフェの前にある看板に中央アジア風ピラフの写真があるのを見てその店に入りピラフを注文。1年前に行ったウラル地方のエカテリンブルクやカザンで食べた料理も中央アジア料理だった。ロシアにおける中央アジア料理というものは、日本における中華料理ぐらい特殊でないポピュラーなものなのかもしれない。
 店の中にネコが入り込んできた。ときどき客から食べ物を恵んでもらっているのだろうか。しかしながら店員のおばさんは無慈悲にも(当然だが)外につまみだした。パカー(露:じゃあね)!

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 凱旋門。門の左手にはオペラ・バレエ劇場。このままこの坂を上ると同志レーニンのいるソヴィエト広場。

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 オペラ・バレエ劇場。日本人シベリア抑留者が建設に関わったとのこと。また東シベリアで唯一のオペラ劇場とも。いい話だけど悪い話。

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