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1999~2000アゼルバイジャン旅行(2)

 バクーでの宿は「ホテル・アゼルバイジャン」。ずばりなネーミングだが、これは旧ソ連の名残のようなもの。
 ソ連時代は外国人が宿泊できるホテルが限られていて、それは大抵その街で一番のホテルだった。もっとも実のところ一番というほど大したホテルではないのだが、ソ連時代にたまたまアクシデントで外国人が泊まらないホテルに行ったことがあり、そこのロビーは何とも言えない相当独特な雰囲気だったので、やはり外国人用のは一番のホテルなんだろう。

 外国人の旅行を引き受けるのが「インツーリスト」で、そのインツーリストが入っているホテルは一般的に「インツーリスト系ホテル」と呼ばれる。そんなホテルの名前はずばり「インツーリストホテル」か、そこの国や街の名前を使用している。というわけで「ホテル・アゼルバイジャン」もその例に漏れない。
 バクーの冬は、その時たまたまなのかもしれないが、かなり寒い。なのに部屋の暖房はパワーの貧弱な電熱器のようなものしかない。そんなホテルなのに、29日の朝、もう一泊延泊するためにホテルのレセプションに申し出たら「Zengin(ゼンギン。トルコ語で「金持ち」。アゼルバイジャン語も同じなのかは不明)」と言われたので「Zengin değilim(ゼンギン デイーリム「おらぁ金持ちでねえべ」)」と言い返したが、実際金持ちならソ連崩壊後にできたもっといい外資系のホテルに泊まっている。
 このホテルの一室にグルジア大使館が入っている。今回グルジアに行く予定はないのだが、記念と経験を兼ねてグルジアビザを申請してみようと思い部屋を訪問。中に入ると、男が一人、乱雑な机の前に座っている。この男が大使なのかはわからないが、この際どうでもいい。ビザが欲しいと伝えると、申請用紙を渡される。難解な英語があるかもしれないと思いあらかじめ持ってきた英和辞典を使って書類と格闘してみたが、どうしても意味のわからないところがあり、そこは空欄で提出した。すると男からいくつか質問があった。ただ発音が耳になれず何を言っているのかわからないこともあり、答えられないこともあった。まあ別にとれなくてもいいやと半ば開き直っていたら「ビザは出そう」とのこと。いついつとりにくるようにと言われ部屋を出る。こんなものか。
 翌日、指定の時刻に大使館の部屋へ。ドアが閉まっていたのでノックすると気のせいか「ノー」と聞こえたような気もしたが、構わずドアノブを回す。するとドアが開いたので中に入る。すると昨日の男が不機嫌そうに座っている。そして怒った口調でなにやら怒鳴ってきた。ああしまったとは思ったがまあいいやと思い「ビザは要りません。ありがとう」と言って部屋を出た。こんなものか?

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 バクー駅とその周辺。やたら人が多いが、何のためにここに集まっているのかわからない。だから雰囲気はよろしくない。

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 高校で世界史を勉強していれば、拝火教とも呼ばれるゾロアスター教という宗教を覚えている方もおられるだろう。かつてはペルシア帝国の国教であったが、アラブ人によるイスラム化の波にあっという間に飲まれてしまった。
 しかしながら完全になくなってしまったわけではなく、イランやインドなどで細々と存在していて、ここアゼルバイジャンでもそんな感じである。
 バクー郊外に拝火教寺院(アーテシュギャーフAtəşgah)があるので、行ってみる。バクー駅から電車で1時間ぐらいのスラハヌというところにある。
 電車乗り場はすぐに見つかったが、乗り方がわからない。どこで切符をかうのかもわからない。しばらく周りの様子を見ていると、どうやら切符売場はホームのすぐそばにあるのはわかったが、その割には切符を買う人が少なすぎる。大部分の人は切符はどうしているのだろう。まあ怪しげな東洋人が無賃乗車でつるし上げられるのもみっともないので、切符は買っておいて乗車する。
 写真でもわかるように、かなりくたびれた電車はゆっくりと走っていく。途中郊外の民家の建物が目に入るが、随分貧しそうな様子。ソ連時代からそうなのかはわからないが、そういうのを見るとソ連ってなんだったのだろうと考えてしまう。
 スラハヌ駅に到着。拝火教寺院は駅の近くにあった。大したことないらしいという情報は持っていたが、実際あまり大したことはなかった。「旅行人ノート」によると、寺院の中で燃えている炎は、大昔から絶え間なく燃えている聖なる炎なんぞではなく、ガスからガス管を引いて燃やしているものらしい。まあそんなものか。ここは観光地扱いなのだ。

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 拝火教寺院観光というミッションの終了をカバブで祝う。

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 それほど見どころが豊富というわけではないバクーに3日間滞在というのは長かった。だからイスタンブール帰る日が待ち遠しかった。
 イスタンブール行きは早朝発。夜明け前の真っ暗な中、タクシーで空港へ向かう。空港に到着する頃にはだんだん明るくなってくる。随分霧が濃い。
 で、霧のせいで空港が閉鎖されているようだ。なぜかここで屯しているアゼリー人が教えてくれた。ただひたすら霧が晴れるのを待つしかない。この人ヒマ人なのかなと思いつつ、このカタコトの英語ができるアゼリー人と話をして時間をつぶす。
 昼になってようやく霧が晴れてきた。そして搭乗するトルコ航空機がイスタンブールを飛び立ったという情報も入ってきた。まだ3時間以上待たねばならない。そこで、なのかはわからないが、飛行機待ちでぐったりしている人たちの目に入る位置で「イスタンブール行きアゼルバイジャン航空のチケットは200ドル(ぐらいだったか)」という看板が出ていた。トルコ航空より2時間早く出発する。アゼルバイジャン航空!機材はきっとツポレフだろう。乗ってみたい!だけど200ドル!微妙な額だ。20ドルなら利用するのだが。素直にトルコ航空を待つことにする。
 チェックイン済ませて出国する時、ずっと話し相手になっていたアゼリー人が「ずっといてやったんだから金よこせ」と言ってきた。なんだ、金がほしかったのかと思いがっかりした。結局残ったアゼルバイジャンマナトをくれてやったが、最後の最後でアゼルバイジャンに対する好感度急降下。
 本当に待ちくたびれた。イスタンブール空港には夕方に到着。空港バスでアクサライまで行き、そこからトラムに乗ろうとする。駅で専用コインを買おうとするが、係員がいない。様子がおかしい。どうやらなぜかただで乗れるようだ。ところがただなのでトラムは超満員。とても荷物を持って乗れそうにない。仕方がないのでトラムはあきらめて歩いてスルタンアフメットに行く。(断食明けのお祭りでした)



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