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2014~2015年イラン旅行(2)

 さんざん蚊に悩まされましたが、それでも数時間は眠っていたようです。朝になると眠気はあるものの、それ以上にわくわく感がこみあげてきて、眠ることができなくなっています。まるで子供です。
 出かける前に、ホテルで朝食です。朝食フロアに行くと、当然ですがイラン人だらけです。観光客っぽい人はほとんど見かけません。ほとんどがビジネスマンのようです。そんな中にも日本人らしい人たちもちらほら見かけました。きっと私と同じ基準でこのホテルを選んだのでしょう。フロアの一角で、イラン特有の平たいナンを作っているところがありました。普通のパンもありますが、折角イランに来たのでナンが出来上がるのを待っていました。しばらくするとナン職人は出来上がった熱々のナンを、放り投げるようにカゴに入れました。こういうのを職人っぽいというのかもしれませんが、寝不足気味の私の頭の中には軽い殺意が芽生えました。味は、まあ普通です。いわばパンと同じなので、劇的にうまいということはないです。寝不足気味だったので味覚がおかしかったのかもしれませんが。
 それでは観光に出かけます。テヘランはカージャール朝以降、パフラヴィー朝、そして現在のイスラム共和国に至るイランの首都です。カージャール朝はヨーロッパ列強がアジアに進出してきた時の王朝で、イラン人にとっては不幸な出来事の方が多かった時代でしょう。どうしてもイスファハーンのサファヴィー朝と比較しても地味な印象です。実は自分の大学の卒業論文は「19世紀末イランにおけるタバコボイコット運動について」という題で、まさしくカージャール朝期の民衆運動を扱ったものなので、この時期のイランの歴史については誰よりも詳しいつもりです。その時学んだことを思い出しながら街を歩いてみます。

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 まず最初にゴレスターン宮殿に行きます。ちょうどビジネスアワーなのか、道路が車とスーパーカブタイプの原付バイクであふれています。道路を横切ろうにも車の流れに切れ目がなく、相当怖い思いをしながら横切ります。トルコや中国も交通ルールがあまり機能していませんが、イランはそれ以上のような気がします。当然ながら街中の看板はアラビア文字であふれています。またところどころモスクにあるようなアラビア文字と唐草模様のタイルも見掛けます。それらを眺めながらゆっくりと歩いて行きます。
 30分ぐらいかかって宮殿に着きました。この宮殿は、外見は伝統的なイラン・イスラム文化が前面に出ていますが、内装は近代ヨーロッパ的な仕様となっています。文明開化時期特有の建物といえるでしょう。日本の同時期の文化と対比してみるのもおもしろいです。ちなみにこれは世界遺産に登録されているとのことです。ここはテヘラン観光の、数少ない見どころの一つのはずですが、観光客はまばらです。観光客が少ないのは、観光業に対する国の無政策によるものかどうかわかりませんが、トルコと違って落ち着いてモノを見ることができるのは悪いことではありません。あと、なぜかというのは彼らに失礼ですが、タイの修行僧のような恰好をしている方々もいました。わざわざイランにコスプレをしに来たわけではないでしょうから、おそらくモノホンのお坊さんなのでしょうが、イスラム共和国における仏教のお坊さんの存在があまりにもミスマッチでおもしろかったです。泣く子も黙るイスラム革命防衛隊も見て見ぬふりでしょうか。
 次は、この宮殿のちょうど南側に隣接しているバザールに行きます。

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 ゴレスターン宮殿のすぐ南にバザールがあります。地図によると相当広いことがわかりますが、すでにバザール入口あたりの道路が人であふれています。
 入口は複数あって、そこから中をチラ見してみます。屋根付きの市場というと、イスタンブールのグランドバザールやエジプトバザールを思い出しますが、建物の構造としては共通点があるものの、イスタンブールのそれと比較して無骨な感じがし、それは観光地化されていない本来の姿をとどめているとも言えます。グランドバザールも昔はこんな感じだったのかもしれません。
 中に入ってきます。怪しげな日本人が入ってきても、誰も気にも留めません。イスタンブールのように「バザールでござーる」などと声をかけるおバカは皆無です。観光のお土産を売るような店は、もしかしたらあったかもしれませんが見当たらず、生活用品を売る商店がメインの生活密着バザールなのでしょう。中の構造は結構複雑で、ふと横を見ると脇道があり、そこを入っていくと別の筋が見つかり、相当複雑な迷路と化しています。それでいて、割と同じ業種の店舗が固まっているようにも見受けられ、こういうところは中東のバザール共通の仕様なのかとも思います。
 そんなテヘランのバザールですが、カージャール朝期以降のバザールは、王権が割と不安定なことにもよるのか、政治的な運動において無視できない存在となっています。歴代王朝は経済的な失政が多く、それによって国民の生活が苦しくなっていくのに対し、反政府活動が活発化し、バザール商人たちがそれを支援していきます。イランイスラム革命もそのような構図があったとのことです。
 あんまり奥まで行くと、はじめ入っていった辺りのところに戻るのがしんどくなるので、適当に探検を切り上げます。迷路のような構造とは言いつつも、テヘランの街は北から南に標高が下がっている構造で、バザールもそのとおりになっているので、元の位置に戻るのはそれほど難しくありませんでした。
 歩いてばかりで少し疲れましたが、お昼まではまだ時間があるので、もう少し街歩きをします。

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 テヘランには地下鉄が走っています。バザールの西側に駅があり、地下道からたくさん人が出てきますので、地下鉄に乗って移動します。
 駅の表記は所々ローマ字表記がありますので、それほど不便さは感じません。それでもどうやって切符を買うのか様子を見ていたら、親切なイラン人が「どこへ行くんだ?」と聞いて英語で聞いてきてくれました。行先は決まっていたのですが、駅名を覚えていなかったので、適当にやり過ごしてしましました。あれは不審な外国人に対する職務質問ではなかったと思いますが、ずっと様子を見ていたので、そう思われても仕方なかったかもしれません。
 地下鉄は5分間隔くらいでやってきます。結構混んでいます。日本人が乗ってきても誰も気に留めません。ところで、日本では地下鉄に限らず、列車は降りる人優先で、降りる人が降りてから乗るのがマナーと思いますが、よその国ではどうなんでしょう。テヘランで地下鉄を降りる時、扉の真ん中に前の人に並んで立っていましたがドアの向こうで一刻も早く乗りたがっているじいさんがいましたので、横にスライドしてちょうどじいさんの前に立ちはだかるように立ったら、じいさん、怒ったように自分の腕をつかんで自分を横においやろうとしました。自分は巨体なのでそんなことではびくともしませんが、ひょっとしたら扉は真ん中が降りる人の通路で、両脇は乗る人の通路というマナーがあるのかもしれません。ちなみに名古屋のJRでは、東海道線はわりと整列乗車がなされていますが、中央線は降りる人に構わず乗り込んでくるように見受けられます。田舎は列車の本数が少ないので、乗り遅れて置いておかれたらどうしようという恐怖感がそれに現れるのかなと思っていますがどうでしょう。
 あと、イランでも韓流ドラマがはやっているのでしょうか、地下鉄構内にそれらしきポスターが貼られています。自分は韓流ドラマには全く関心がないのでそれ以上は言及しませんが、海外ではやったドラマといえば日本の「おしん」に勝るものはそうそうないのではないかと思います。イランでも大人気だったそうで、昔ホメイニ師が「最もイスラム的な女性は誰か」との問いかけに対し、模範解答が「ファーティマ(預言者マホメットの娘で、第4代カリフにして初代イマーム(シーア派が認める権威)アリーの妻)なのを、「おしん」という回答が勝ってしまったので激怒したぐらい大人気だったらしいです。
 次にやってきたのは、旧アメリカ大使館。イランイスラム革命後におきた「アメリカ大使館人質事件」の現場です。自分はこういうキナ臭い物件が好きなので、当初イランはイスファハーンだけ行こうと思っていたのを、これも見たくなったがためにテヘランも付け加えました。地下鉄を降りて地上に出たら、いきなり「Down with USA」と書かれた絵が目の前に現れました。いい感じです。中には入れないとのことなので、壁づたいに歩きます。ガイドブックによると、写真を撮っていると注意されるとのことですが、特にそんな様子はありません。しかし一応警戒しながら写真を撮ります。もう少し物々しい雰囲気も期待していましたがちょっと拍子抜けです。
 午前の部はこれで終わりです。ホテルに戻り休憩することにします。

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 ちょっと期待外れだった旧アメリカ大使館を冷やかしたら昼になったので、一旦ホテルに引き上げることにしました。あとどこかで昼食をとることにします。
 イランとトルコ。似ているようで実は似ていないこの両国。食文化もそんな気がします。街を歩いていると、トルコのような食文化が期待できないことが徐々にわかってきます。イランでは食事をするところが意外とありません。小腹を満たすためのちょっとしたファーストフードもかなり見かけません。言葉ができない一人旅の人間が気軽に利用できろところはかなり限られてきます。それでもホテル近辺にドネルケバブをあぶっているお店を見つけました。しばらく店の中の様子を見ていましたが、何を食べさせてくれるのかよくわからないまま店の中に入り、ケバブを指さしたらどうやらオーダーはできたらしく、飲み物は?コーラでいいかと聞いてくるので、それにしました。イランに来てまでドネルケバブ。まあ仕方がありません。イランでもコカコーラは売っているのでしょうか。それとも偽物なのでしょうか。缶にはペルシア語で「KŌKĀ KŌLĀ」と書かれていますし、味もコカコーラそのものでした。
 ホテルでしばらく休憩した後、ホテルの北側にある宝石博物館に歩いて行きます。ここもテヘランの数少ない見どころの一つで、ここはそこそこ人が集まっていました。厳重な身体検査をクリアして入った、銀行の地下金庫の中にあるそれは、確かにこれでもかこれでもかといった具合にブツが置かれていましたが、ちょっと予習を怠っていたので、ただ光り物を見ただけで格別な感想も湧いてきませんでした。イスタンブールのトプカプ宮殿内にある宝石を見た時と対照的です。
 これで主だったモノはすべて見たことになりますが、そのまままっすぐホテルに帰るのもつまらないので、ちょっと大回りをしてホテルに帰ることにします。この辺りは下町なのか旧市街にあたるのかはわかりませんが、幅広い道路が見当たりません。そして常に車が道路に埋め尽くされているような気がします。あと、スーパーカブのような小型バイクが非常に多いです。なんだか歩いていると疲れてくる街です。
 この日は疲れたし、またケバブサンドを食べるのもつまらないので、夕食もとらないで早々に就寝です。しかしながらやっぱり蚊はいるようです。明日行くイスファハーンはそんなことがないよう、よくアッラーにお祈りしておくべきところでしたが、眠いのでやめました。

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