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2016年中露国境+東シベリア旅行(2)

 満洲里に到着。それなりに気温は低いが、寒いほどではない。むしろ汗をかかずに済みそうでちょうどいい。
 ここは一応「最果て」の地のはずだが、多くの観光客らしき人たちが列車を降りていく。いまや中国はどこに行っても人だらけ。
 満洲里に来たのは25年ぶり。といっても、前回は国際列車に乗ってやってきて、出国検査に時間がかかっただけで、列車から降りて街に出たわけではないので、駅の様子しかわからないが、当時の面影は全く残っていない。それでもそれなりに感慨深い。
 進行方向の左手が駅舎で、なぜか街の中心部は線路の反対側。中国人はみなツアーかなにかでやってくるようで、駅前で待機していたバスに乗り込んでいく。一人でとぼとぼと歩きだすのは自分くらいのものだ。

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 跨線橋から満洲里駅と、その反対側のロシア国境を眺める。

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 跨線橋を渡り、階段をおりたところにあった像。満洲にちなんで満州事変の英雄である石原莞爾かと思ったら、周恩来同志だった。なんだ、普通じゃねぇか。

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 予約してあるホテルはちょうど満洲里駅の反対側。友誼賓館。英語名フレンドシップホテル。建物がラブホ並みにけばけばしい。ここ満洲里はそんな建物がやたら目につく。中国っぽくないが、かといってロシアっぽいわけでもない。
 朝7時頃は宿泊客がチェックアウトし始める頃。レセプションに行ったがチェックインは12時からとのこと。それならばということで荷物を預かってもらい、街の中を見物に出かける。

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 どうもシベリアの伝統的建物は木造というイメージがあるらしい。

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 健全な革命精神は健全な体に宿る、んじゃないかな。

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 満洲里は、ロシアが建設した東清鉄道と関係が深い街ということで、街中のところどころにロシア風の建物が見られるということなので、「○球の歩き方」を見ながらとぼとぼと歩いてみたが、それっぽい建物は思ったほど残っていない。気が付かなかっただけか?

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 満洲里の街並み。中国らしくないが、ロシアっぽいわけでもない。強いて言えば浦安あたりの夢の国か。行ったことないけど。

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 しばらく歩いていると、この街の一番の幹線道路と思われる通りにたどり着く。どうやらバスターミナルや「国門景区」という観光用の国境へ行くバスもここを通るようだ。それなら今からバスターミナルに行こう。
 バスターミナルに着いたら、その周辺には小汚い屋台とかがあるだろうから、そこで朝ごはんでも食べようかと考えていたが、バスに乗っているとだんだん周囲が閑散としてきて、バスターミナル前バス停で降りたそこは完全に街の外。あてがはずれた。
 バスターミナルの建物は無駄にばかでかかったが、どう見ても使われてる形跡がほとんどない。そんな中で人がいるのが見える右手の待合室に行ってみる。すると入り口から入って左手が切符売り場だった。そしてネットで見た国際バスの時刻表などの掲示もそこにあった。
 しばらくの間窓口の様子を見ていたが、開いてる窓口は一つしかない。メモ帳に「明日の8時20分発ザバイカリスク行き1枚」と書いて窓口に差し出した。すると窓口のおばさんは自分の背後で屯している別のおばさんに声をかけた。そしてその別のおばさんは自分についてくるように言ったのでついていったら、そこは切符売り場窓口の裏にある詰所だった。何か特別な手続きでも行うのかと思ったが、指示されてバス代金とパスポートを差し出したら、手書きの領収証のようなものを渡された。どうやら明日これを先ほどの窓口に出せばよいらしい。
 明日は日曜日で、ひょっとしたら国境が閉まっているかもしれないと思っていた。3年前に通った中国カザフスタンのコルガス国境は日曜日は閉まっていると聞いていたし、明後日は日本でいう終戦記念日なので、その関連で閉まっている可能性がないとは言い切れなかった。だがこれで国境は開いていることが明らかになった。まずは第一関門突破。
 閑散としたバスターミナルだが、中のベンチでごそごそしていると、いつの間にか周囲で朝礼が始まりかけていたようで、あわててそこから立ち去る。職員たちは、だらけているようでいて締めるところはきちっと締めているようだ、一応。

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 本来国境というものは概して厳しく管理されているものであり、特に中国のような国では、近づいただけで問答無用にカラシニコフでハチの巣にされてしまうものである(ちょっと大袈裟)。と思っていたら、最近ではそういうわけでもないらしく、半ば観光地化した国境ポイントも増えつつあるようだ。
 バスターミナル前にはバス停らしきものはなかったが、先ほど市バスを降りた地点でバスを待つ。しばらくしたらバスが停まったので乗り込み、そのまま終点の「国門景区」まで。
 バスを降りてそのまままっすぐ進むと正面にゲートらしき建物が見える。ここはすっかり観光地の様相で、緊張感はまるでゼロ。そして左手に入場券売り場があるのでそこに並ぶ。
 前の方を見ていると、みな工作証(身分証)を提示している。そして自分の番になり、パスポートを提示する。窓口の係員は、一瞬表情が固まり、そしてそのままパスポートを突き返される。横にある看板の英語と中国語を眺めてみると、どうやらここは愛国教育施設であり、香港やマカオの人までは入れそうだが、それ以外はダメっぽい。事前にネットで調べてみた情報によると、外国人はゲートの中にある展望台には入れなかったというものがあったが、施設自体に入れなかったというものはなかった。ここまできてハイそうですか、と帰るわけにはいかないので、今度は別の窓口にチャレンジしてみたが、やはりだめだった。親切な中国人にかわりに入場券を買ってもらおうかとも考えたが、ここは愛国教育施設。そんなところで売国奴まがいなことをしてもらった挙句にもしばれたらやばいので、それ以上に中国人に声を掛ける根性もないのでやめておいた。
 ハルビン駅の安重根記念館の見学をうっかり忘れてしまい、そしてここでの国境見物もできない、ということで、一体何しに来たのだろう状態になりつつある。

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 国門景区からバスに乗って街へ帰る。乗ったバスの行き先が満洲里駅だったので、終点まで乗ってみる。
 バスは途中中心街の中を通って駅の南側を走る。駅南のロシア建築群あたりも通ったようだが、バスから外を眺めているとあまりそれらしき建物は見当たらない。あえて歩き回ることもないだろうと思い、朝と同じ道を通ってホテルの方へ。
 バスターミナルや国門景区では食事をとれるところがなかったので、どこか適当なところがないか探しつつ、街中をふらふら。しかしながら少々小汚くて入りやすそうなところが見つからず、結局牛肉面大王に入ってしまう。
 ホテルに帰りチェックイン。部屋は一人で利用するには結構大きく、二部屋構造になっており、手前側の部屋には事務机とソファがあり、奥がベッドルーム。一人旅の身には一部屋で十分だ。
 夕方、また街に出る。ロシアルーブルはこの街で手に入るかなと考えながら歩いていると、ふと前方に「元、ドル、ルーブル」の看板が掲げてあるのが目に入った。いわゆる私設両替とでもいうのか。といっても両替専門店ではなくて、外国人が扱う品物を扱っているような商店なのだが、片手間に両替もしているといったところか。ここで60ドルを出して「ルーブル」と言ったつもりなのだが、店員は自分が中国元を求めていると思い込んでいたのか、元を用意し出したので、再度ロシアルーブルにしてくれと伝える。国境を超えないとルーブルを入手できないことも予想していたのでよかった。
 明日は国境超え。今回の旅行の最大のイベント。無事にロシアへ入国できますように。

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