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2016年中露国境+東シベリア旅行(3)

 早朝に起床。7時にそそくさと朝食を食べてホテルをチェックアウト。玄関前に停まっているタクシーを捕まえてバスターミナルへ。
 バスターミナルに到着し、指示されたとおりチケット窓口で領収証を提示すると切符と交換された。これで間違いなく国際バスに乗れる。
 出発が8時20分なので、空港のようなボーディング窓口を通って外に出る。やや古びた黄色いバスが停まっている。中国語とロシア語で「満洲里ーザバイカリスク」と書かれた看板があったので、このバスでいいらしい。バスの中に入るといきなり大荷物が最前列の座席を完全に埋めている。チケットを見ると一応席は指定になっているようだが、すでに荷物という先客が座っている。ということはこのバスは事実上自由席なのだろう。アジアのバスではこんなことでいちいち立腹してはいけない。どこか空いている席はないかと見回すと、すぐそばでロシア人のおばさんが座っている席の横が空いているように見える。ゼスチャーで座っていいかと尋ねると、斜め後ろの席に座れみたいなことを言われた。そんなこと言われても、そこもしっかり荷物が埋まっているのだが。困ったので一度バスを降りて様子をみてみたが、困っている善良な日本人を助けてくれる人はこのバスにはいないようだ。仕方ないので再びバスに乗り、荷物の横に座っている中国人だかモンゴル人だかブリヤート人だかよくわからない若い男にここに座らしてくれというと、しぶしぶ席を空けてくれた。なんだ座れるじゃん。アジアのバスではこんなことにいちいち立腹してはいけない。
 やがてバスは出発、と思ったら、いきなり幹線道路からはずれる。舗装がよくないのかよく揺れる。国境への道はこんななのかと思っているとほどなく右折し、ごく普通の建物の前でストップ。ここでも客を乗せるのかと思い様子を見ていると、載せているのは大量の荷物だった。つまりこのバスは担ぎ屋御用達なのだ。乗客は私のような酔狂な観光客ではなく、といってもロシア人は半ば観光客なのかもしれないが、個人で持ち込める範囲の荷物を中国で仕入れてロシアで卸す個人貿易業者がメインのようだ。地方の国境ではソ連崩壊以後いまだにこのような「貿易」が続いているのだろう。これがロシアだ!Это Россия!
 荷物を積み込んだバスは、通った道を引き返して幹線道路に戻る。そして昨日行った「国門景区」の手前で右折し、しばらく走るとゲートが現れる。いよいよ国境だ。

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 ゲートの中に入るとやがて出入国管理事務所のような大きな建物の前に到着。ここで乗客が一斉にバスを下車。自分もナップサックを背負ってバスを降りる。
 我々のバスの乗客以外にもここを通る人たちが少なからずいるので、迷子にならないように気を付けながら所定の進行方向に進む。随分大きな建物だ。エスカレーターを上ったりあちこち曲がったりを繰り返すと出国審査場にたどり着く。なぜこんなに歩かせるのかさっぱりわからないが、これで中国を出るのだ、あまり深く考えないようにしよう。ただその前に、果たしてここの国境は第三国人に対してどのように接してくれるのか。
 自分の番だ。やはり北京首都空港のようにすぐに放免というわけにはいかない。とはいいつつもちょっと時間はかかったものの特に尋問もなく手続きは終了。国を出る人に対してはもはや関心はないらしい。
 概ね乗客が手続きを終えて事務所の出口付近で屯してバスを待つ。バスターミナルからまだそれほど走っていないはずだが、それなりに時間がたっている。今日はザバイカリスクでバスを降りた後、次の目的地ウラン・ウデへ行く列車に乗ることになっている。もう1本前の始発のバスにすべきだったか。だけど時間はまだ十分にある。大丈夫だろう。やがてバスがやってきた。全員が乗り込んだらロシア側に向けて出発。ゲートが若干混んでいるのか、通過にちょっと時間がかかる。1年ぶりのロシア。前回はモスクワ・ドモジェドヴォ空港からの入国だったが、入国審査の際、パスポートに貼られていたイランビザを咎められた。2年前は中央アジアのキルギスから空路でエカテリンブルクからの入国だったが、入国審査ではスパイ扱いされた。このようにろくでもないことばかりのロシア入国。今回はどうだ。
 再びバスを降りる。乗客は税関手続きのためかバスに積んだ半端ない量の荷物をすべて降ろしているようだ。ロシア側の出入国管理事務所は随分こじんまりとしている。こじんまりはいいのだが、狭い建物の中が荷物と人で埋まってしまっている。バスの中では出入国カードは入手できなかったので、建物の中でそれを入手して書き込むのだが、中が薄暗くて文章が読みづらい。入国審査のゲートは2つしかないのでなかなか列が前に進まない。しかも一人一人にかける時間も結構かかっている。膨大な手荷物もすべて自力でここを通さなければ次の税関手続きに進めない。ちょっと時間がまずいかなと思い始める。さらに悪いことに、後からここにやってきたロシア鉄道のクルーが当然のように列を割り込んでいく。国際列車かなにかで中国に行ってきたのだろうか。彼らは特別な手続きなのか、わりと早く手続きが済んでいくが、それでも十数人もいるのでそれなりに待たされる。かなりまずいかもしれない。
 やっとこさ自分の番。日本のパスポートを見て「はぁ?」という顔はされなかったが、パスポートの全ページをチェックし始める。前回のロシア入国は、その前は、という具合に細かくチェックしたかと思うと、続いて中国などの履歴を確認し始める。さあこれで全部見たでしょう、これで十分だろうと思っていると、今度は私のパスポートの出入国履歴を復習するために逆方向からまた全ページ丹念に確認し始める。復習を終えてもまだ何かあるのか、今度は何やら教本マニュアルらしきものを持ち出し、続いてどこかに電話し出した。通話が終わったら、もうこれで終わりだろうと思ったら、これでもまだ自分をロシアに入国させるのが不安なのか、もう一度、今度はさらにすべての国の入国スタンプと出国スタンプの日付に辻褄があっているのかを確認し出した。あンた一体何やってんだ、もう勘弁してほしい。計ったわけではないが時間にして20分はかかっただろうか。ようやく入国手続きが終わった。次の税関検査は全くスルー。しかしながらまだ後ろには同じバスの乗客がいる。彼らはむしろ税関検査の方が時間がかかるだろう。もう列車乗り換えに黄信号が灯っている。いっそのことここでバスを乗り捨ててヒッチハイクで駅へ行こうかとも考えたが、そもそも今にも出発しそうな車がいない。ここですべての手続きを終えてバスが出発するのを待つしかないようだ。

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 バスのエンジンがかかったので、やっとこさ全ての乗客の手続きが終わったかと思ったら、まだ終わっていない人がいるらしい。もうそんなの置いて行ってもらいたい。
 ロシア側の事務所は、中国側以上に街から離れているようで、昨日入れなかった国門景区内にある展望台が結構遠くにかすんで見える。そもそもこのバスはザバイカリスク行きとはいっても、ザバイカリスクのどこが終点なのだろう。よく考えたら必ずしも駅に行くとは限らない。そんなことも確かめずにこのバスに乗り込んだ自分は相当迂闊だということに今更ながら気づく。
 もうどこでもいいからとっとと降りてタクシーを捕まえようかと思ったが、ほどなくバスは停まる。終点に着く前に降りたいところがあれば降ろしてくれるらしい。しかしながら停まったのは中国人の集落のようななんだかよくわからないところ。残念ながらタクシーの類は見当たらない。忘れていた。ここは相当辺鄙な田舎なのだ。流しのタクシーなどない。バスを降りてここで白タクを捕まえる方法もあるかもしれないが、言葉も通じないこんなところでバスを降りてヒッチなどギャンブル以外の何物でもない。
 バスはそれ以降もあちこちに停まっては乗客と荷物を降ろしていく。どうやら停まるところは乗客の商店の前らしい。そんなことを繰り返しているので、なかなか街に近づかない。もうダメだ。列車には間に合わない。こんな何もないところで足止めか。とんでもない。絶対イヤだ。ならばどうする。日本に帰るなら中国に引き返す方がいいかもしれない。とはいっても今から乗れる飛行機があるかどうか。バスの中でスマホを使ってスカイスキャナーで航空便を調べる。案の定北京方面はない。ならば鉄道で帰るか。たぶん席はとれないだろう。それ以前に泊まるところもない。観光客であふれている満洲里で飛び込みでホテルに行っても邪険にされるのがオチだ。そもそも国境を通過できるのか。日本人はビザなしで中国に入国できるが、それを知らないロシア側の係官がロシア出国を認めないことは十分にありえる。それならば明日のザバイカリスク発の列車にするか。しかしながら事前に日本で調べたその列車は北京発モスクワ行き国際列車で、そういう特別な列車のためか空きがなかった。しかもウラン・ウデで観光する時間はないのでイルクーツクに直行するしかない。これでは本当に「一体何をしにここに来たのか」である。どうしようどうしようと考えていたので、バスから見える景色を撮影する気持ちの余裕など全くない。だけどどこでバスを降りるか決めなければならない。駅に寄ればそこで降りるか、降りなければおそらくそのままバスはバスターミナルに行くだろう。中国に引き返すなら乗り続けた方がいいだろう。駅で降りたはいいものの埒が明かなかったらバスターミナルに行かねばならないが、バスターミナルはどこなのか、そもそもバスターミナルと呼べるものがこの街にあるのか。
 そうこうしているうちに、線路が近づいてきた。どうやら駅に向かっているらしい。やがてバスは駅前で停車。どうする。一瞬考えた後にバスを下車。するとすぐにバスは行ってしまった。駅に列車は停まっていない。当然だろう。呆然といった気分でとりあえず駅に向かう。

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 バスを降りたら、バスはすぐに行ってしまった。中国に引き返すのではなく、前へ進むことを選択したわけだが、果たして後続の列車はあるのか。
 じたばたしてもどうしようもない開き直りと、逸る気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと歩いて駅の敷地に入る。すると片隅に「ザバイカリスク ー チタ」という看板のある列車が数両停まっているのが見える。といっても機関車が連結されていなくて、夏の日差しを存分に浴びているのか、中は温室状態のよう。チタとはもちろん愛知県知多市のことではなく、このシベリア鉄道支線と本線とが合流する東シベリアの街のこと。ちなみに両者は姉妹都市とのこと。もしこの列車が今日運航するのなら、これに乗るのもありかもしれない。だが中はすごく暑そう。
 駅舎の周りを一周して、たぶんここが入り口だろうところのドアを開けて中に入ると、そこは切符売り場だった。窓口は3つあるが、中に係員がいるのは2つ、そして実際に開いているのは1つだけ。奥の方に待合室があり、その手前に時刻表があった。どうやらチタ行きは毎日運行しており、数時間後に出発するらしい。ただし自分の目的地はウラン・ウデなので、終点チタで列車を乗り換えなければならない。チタまで行けばウラン・ウデに行く列車は数本あるだろうが、おそらくウラン・ウデで観光する時間はないだろう。それならいっそのこと、明日出発の北京発モスクワ行き国際列車に乗る方があの炎熱列車よりも移動は快適かもしれない。チタでの乗り換えも必要ない。ただウラン・ウデは通過して一気にイルクーツクに行かねばならない。それこそ「一体何しにここに来たのか」だ。またこの何もなさそうなザバイカリスクで一泊などできるのか。まともな泊まるところもあるかどうかわからないし(ロシアの駅には概して簡易宿舎があるものだが)。
 切符売り場の反対側の窓口で一人の白人がなにやら英語で話をしているのが聞こえてきた。ロシア人ではないらしい。ちょっと困っている様子。なんでこんなところにいるのかわからないが、会話の中で「タクシー」という単語が聞こえてきたので、その白人に「どこへ行くの?」と尋ねたらウラン・ウデとのこと。そこで、バスが遅れて予約した列車に乗り遅れたことを話すと「ミー・トゥー」。係員にタクシーでどうすんのと尋ねると、行ってしまった列車が次に停まる「ボルジャ」駅までタクシーで追いかける方法もあるとのこと。価格は3千ルーブル。約6千円。どうする?ただし必ずしも追いつける保証はなさそう。だけどこんなところで足止めは食いたくない。白人は今日はここに泊まって明日の列車に乗るつもりらしい。自分はリカバーできる可能性があるのならチャレンジしよう。白人から「グッドラック」と声を掛けられる。
 意外なほど早くタクシーがやってきた。親切な駅員に助けられてこのような展開となったが、ボルジャまでは約100キロちょっと。果たして間に合うかどうか。

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 駅員に連れられて駅の敷地から路上に出ると間もなく車がやってきた。どうやらこれがタクシーらしい。お礼を言って出発。
 タクシーは郊外のガソリンスタンドで給油したのち、本格的に街道を突っ走る。車は世界のトヨタ。ちなみに右ハンドル。ロシアのラーダなどと違って実に頼もしい走りっぷりだ。運転手はやや初老のおじさん。しかしながらそんなこと全く関係ないと言わんばかりに車の速度はずっと100キロ超をキープしている。運転手から中国人かと訊かれたので日本人だと答えたが、日本人というのはちょっと意外だったようだ。ただそれ以上ロシア語での会話は続かない。運転手は運転に集中。
 街道はほぼ線路に沿っている。時々ここはどこそこという看板があり、またスマホで現在地点を確認したりするが、やはりボルジャは遠くて、なかなか残りの距離が縮まらない。自分が乗るはずだった列車の時刻表を日本でプリントアウトしたものを手にしながらボルジャ駅での停車時刻と現在時刻を見比べてると、やはりタクシーで追いかけるのはちょっと無茶だったかもしれないという気になってくる。かといってこれ以上タクシーのスピードを上げるわけにもいかないだろう。もっとも運転手に焦りの表情は一切ない。所詮は他人事か。
 ようやくボルジャの街に入った。ボルジャはザバイカリスクよりはちょっと大きな街のようだが所詮は辺境の田舎町、大した違いはない。やがて駅に到着。もし列車に追いつけなくても、ここから後続のチタ行きに乗るという選択もあるので焦りがあるわけではないが、間に合わなかったかという落胆でため息が出る。と思ってたら、運転手は車を駅の敷地に停めるとごく普通に駅舎に入り、中を突っ切ってホームへ。するとホームには列車を待つ様子の人たちがちらりちらり。そして何やら放送が入る。ロシア語はわからないが雰囲気からして間もなく列車が到着するようだ。そのうち列車が見えてきた。どうやら間に合ったらしい。ボルジャ駅には約30分間停車するので余裕で間に合ったことになる。それでも運転手は自分のメモ帳に電話番号を書いて、何かあったら電話するよう言ってくれた。親切な人たちのおかげでこのトラブルをリカバーすることができた。当初のスケジュールに戻ることができた。助かった。ちなみになぜ間に合わなかったと思ってしまったのかというと、自分はスマホを時計代わりにしているのだが、スマホのロシア時間の設定が1時間早かったのが原因だった。数年前にロシアでは時間の設定が変更になったのだが、自分のスマホはそれに対応していないようだ。脅かすなよ。
 実はこの時もう一個トラブルになりそうなことがあって、実は日本でこの列車の予約をネットで入れた際に、間違って氏名の欄を誤ってファーストネームとファミリーネームを逆に入力していたことに後で気が付いた。英語のサイトなので修正方法がわからない。ちょっと悩んだが、ただこれが飛行機の予約だと搭乗できなくなるが、列車ならきっとそんなに厳しくないだろうし、だいたいロシア人に自分の名前のどちらがファーストネームかなんてたぶんわからないだろうと思うと、たぶん大丈夫という気になってそのまま放置したが、実際大丈夫だった。
 自分の乗る車両は一番最後部。出入り口で立っているおばちゃん車掌にパスポートと予約確認書を提示すると「アンタはザバイカリスクからじゃなかったの?」みたいなことをつぶやかれたが、それが特に問題になるわけでなく、車両の中に入り指定のコンパートメントに入ると、先客がいるようだ。それはいいのだが中がなんだかちょっと中国醤油くさい。一旦車両の外に出てしばらくして再度コンパートメントの中に入ると、今度はその先客が座っていた。東洋人の風貌なので思わず「ニイハオ」と言ってしまったが、返事はなかった。実はモンゴル人なのか、ブリヤート人なのか。それともネアンデルタール人なのか。ちょっと気まずい気持ちになってしまい黙ってベッドに腰かけていると、しばらくして車掌さんがやってきて、隣の誰もいないコンパートメントに移るよう指示した。これで醤油くさくない快適な列車旅が保証される。
 列車はウラン・ウデに向けて再度出発。

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 最近のロシア鉄道がすべてこんなのなのかはわからないが、一般的に愛想のないおばさん車掌が、なにか段ボールを抱えて自分のコンパートメントに入ってきた。
 はじめは何しに来たのかさっぱりわからなかったが、次第にお土産の類を売りに来たことがわかった。スマイル0円とともに盛んにモノを買うのを勧めてくる。「РЖД(ロシア鉄道)」の文字が入ったティーカップセットなんかはなかなかの代物だが、基本的に荷物になるものは買わないことにしているし、まだ帰国は先なので、ちょっと惜しい気もしたが買わなかった。スマイルを返品してくれって言われないかちょっと心配。

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 車窓から見る草原と虹

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 北川修・加藤和彦「あの素晴しい愛をもう一度」の3番の歌詞を思い出させる光景。涙は出てこないが。

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 スマイル0円のおばさん車掌は、おみやげグッズを売りに来る前にもコンパートメントにやってきて、断片的に英単語を織り交ぜながら何やら話し始めた。聞いているとどうやら食事の話をしているのがわかってきた。そういえば、日本でこの列車の予約をしている時、2等寝台は食事付きという説明があったような気もした。要するに夕食の注文を取りに来たということか。食事代はタダ、というよりは運賃込みと思われる。それなら安心して食べることにしよう。どんな料理があるのか車掌の説明ではさっぱりわからなかったが、机の上にロシア語と英語のメニューらしきものがあったので見てみると、2種類のうちどちらかを選ぶことになっているとのことだが、文章が長くてよく読み取れない。もっとも内容は「ビーフ、オア、チキン」で済むものだったようだ。チキンを頼む。
 だいぶたってから、食堂車のクルーらしき二人組がワゴンを押してきて、各コンパートメントに発泡スチロール容器の弁当とミネラルウォーターを配り始めた。わずかにいい匂いが漏れてくる。ところが、蓋をあけたら随分寂しいスカスカの中身。ここでダイエット食を供されるとは夢にも思わなかった。これがロシアだ!Это Россия!

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 だいぶ日が暮れてきた。今日はいろんなことがあった。早朝に起床して国際バスに乗ったはいいが、国境通過に時間がかかり、列車に乗り遅れてしまった。どえらいことになってしまったが、幸い駅でタクシーを捕まえることができて、なんとか列車に追いつくことができた。
 一時は中国に引き返すことも考えたし、引き返さずに前に進むにしても、ウラン・ウデ観光はあきらめざるを得ない展開もあり得た。そのときそのときの選択が結果的に正解だったということで、もとの軌道に復帰できたのは奇跡に近い。列車の中で景色を見ながら本当にしみじみと思う。
 3年前、中国のウルムチからカザフスタンのアルマトイへ行く国際列車に乗ったが、国境を越えたあと、こともあろうに駅に置き去りにされて列車は発車してしまった。この時は後続の列車を使ってなんとかアルマトイにたどり着くことができたが、今回ここでまた同じような目にあうとは夢にも思わなかった。めでたしめでたし。

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