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怪獣談義 2020

デパートの企画展へ

H:ボクは今も怪獣好きです。当時の思い出なんかもブログで書いています。まあ、今の人とはかなりギャップがあるだろうけど、60年代後半から強烈にインプットされました。
K:ブログ見ました。2014年に「円谷英二 特撮の軌跡展」(大阪難波の高島屋)に行ってたんでしょ! 私も行きました。京都高島屋へ、一人で! 
H:お子さんと一緒じゃなくて? すごいですね。知らなかった。私はたまたま家族3人で行きました。
K:頭の中が単純なのか、けっこう楽しかったです。バルタン星人の巨大フィギュアを見て「わーすごい 触りたい」と感動したり、名前を忘れましたが、何かの怪獣か宇宙人と一緒に自分がビデオカメラに写るコーナーも体験しました。自分がカメラを覗いて特撮カメラマン気分になったり……。

H:すごいですね。チャレンジャーだなあ。ボクは小さい時から、男の子が通る道として好きだったけれど……。そこから、少し踏み込んだマニアになれたのかなぁ。まあ、ただの古いマニアで、一生懸命に支持してるわけでもないかな……。
K:〇?代のおばさんが一体何をやってるんだろう・・・と途中で少し情けなく感じましたけど、ウルトラQの台本も興味深かったです。
H:ボクは「ウルトラQ」は乗り遅れた方で、人生で最初に見た「ウルトラQ」はマンモスフラワーでした。ゴメスとリトラは再放送で見たんです。その再放送を見たのはいつだったか、記憶はないですけど……。

ケムール人の中に入っていた方が古谷敏さんで、のちの初代ウルトラマンのスーツアクターも経験され、今もウルトラのお仕事をされてたりしますもんね。


K:円谷英二さんの展示の時の売店で、ケムール人とゼットンのフィギュアを買いました。
H:そんなに特撮ものに情熱のある女子って、いないんじゃないかな。いたのかなあ。私の小さい頃は、そんな女の子見たことなかったです。
K:ウルトラシリーズにハマったきっかけは、忘れもしません。ウルトラQ第七話「SOS富士山」です。まだ幼稚園の頃ですね。
H:それはゴルゴスかなんかが出る回ですよね。ゴルゴスに飛び乗って、心臓みたいなものを引き抜いてやっつけるお話でした。わりと衝撃的でした。
 あの着ぐるみ(怪獣スーツ)は、そのあとのネロンガでも使われたのかな……。ネロンガになって、その後にも別の怪獣になりましたね。


これはガチャガチャの写真です。背中に心臓あったっけ? 誰がとったんだろう?

K:「ガラモンの逆襲」でガラダマがビル街に落ちてくるシーンはとにかく怖かったし、「悪魔っ子」は本当に夢の中に出てきそうでした。
H:よく憶えているなあ。ものすごくインプットされたんですね、小さいころに! 
 「ウルトラQ」は、再放送とか、ビデオ時代とか、ということは、80年代に見なおすことができました。どこかのイベントで佐原健司さんにサインもらったこともありました。


K:そのまま「ウルトラマン」に突入! 何が何でも日曜日の7時はテレビの前に釘付け状態でした。「ウルトラQ」と「ウルトラマン」は四つ上の兄と一緒に見ていました。
H:日曜の7時は夢のような時間でしたね。1966年かあ。うちは小さい白黒テレビだったのかなぁ。カラーテレヒはいつだったのか……。当時のテレビが白黒か、カラーか、何度もウルトラシリーズは再放送とかも見たから、ボクはもうあやふやです。たぶん、初めてのカラーテレビはS社のトリニトロンを父は買ったと思うんだけど、いつだったのか……。


ウルトラ警備隊のメンバーとゴドラ星人とセブンとミクラス

ウルトラセブンのトラウマ

K:ところが、「ウルトラセブン」の放映が始まる頃、兄は怪獣熱が冷めてしまったのか、「アップダウンクイズ」(MBS)が見たいと主張します。

H:うちは父が「アップダウンクイズ」を見たいと主張する時があって、見られない時もありました。子どもらに好きなようにやらせてくれる父だったのに、小池アナが好きだったのかなぁ、まさかねえ。たまには親に見させろ的な気持ちの時もあったかな……。でも、たいていはウルトラ見てました。

K:正確にいうと、円谷プロではないですが「キャプテンウルトラ」の時。この特撮も大好きでした。
H:「キャプテンウルトラ」を見られなくなったんですね。空気が変わって、テンポも変わって、敵キャラも東映的ないかにもそれらしい怪獣だったからかな。バンデル星人も、ショッカーの戦闘員みたいにたくさん出て来るし……。そこから少しずつウルトラ離れが始まったんですね? ボクはどうだったかな? 1973年の「帰ってきたウルトラマン」の時は、意固地になって見ないようにしていた気がするけど。

K:テレビは1台だけで、当時録画なんてできるわけがありません。チャンネル権争いの勃発です。喧嘩したり泣いたりいろいろありましたけど、結局私は争いに敗北して、「ウルトラセブンを知らない!」というトラウマのようなものを抱えながら生きることになりました。

H:ボクもいくつか、セブンの本放送の時には見逃しています。そこから高三の大晦日まで飛んで、京都の街をヤミクモに歩いた時、Yくんにセブンの魅力を力説されて、見直したことがあって、セブン再発見が始まったのだと思います。70年代の終わりでしたね。
K:今まで何回もセブンの再放送があったのは知っていますが、やっぱり仕事、育児、介護がある時期は腰を落ち着けて見ることはできませんでした。
 2017年に京都放送局で再放送があり、1話ずつ録画もしながら最後まで全部見ることができて、50年が経ってようやく念願が叶いました。

キングジョーのガチャガチャ、これはうちにあるはずです。どこにあるのかどうか?

H:高校三年の大晦日、大阪の天神さんにクラスの仲間で集まって、京都に出て、徹夜歩行したんでした! 京阪四条から八坂さん(八坂神社)、烏丸通を歩いて今出川通を西に向かい、北野天満宮までの徹夜歩行をしたのです。
 真夜中の烏丸通(四条通から烏丸通に出て、北上歩行をしたんでしょうね。今出川通から左折したかな?)を歩いていて、Yくんからウルトラセブンを熱く語ってもらって、それから、「いつか見てみよう」と思い続けてたんですね。ボクもいろいろとセブンは見逃した作品がありました。後半はちゃんと見ていなかった。
K:高三の大晦日……。んんん? そんなことがあったんですね。

お気に入りのクレージーゴンを描いてみました。

 

気になる作品は?

H:セブンの第一話は、円谷さんちのエースで、当時TBSにお勤めだった円谷一さんが監督したクール星人。「なあんだ、何か肩透かし」という感じがありました。子どもはもっと怪獣っぽいものが欲しかったんだろうな。
 第八話で、実相寺昭雄さんが「狙われた街」という話を担当して、メトロン星人が出てくるお話をシュールに展開していました。80年代にボクは見直しました。そこから惚れ直すことができたんだった。

ギエロン星獣はかわいそうというか、今となってはキジみたいな鳴き声が気になるんだけど。


 90年代に子どもと一緒に見ることになって、何人かいる監督さんの中で、鈴木俊継さんが監督だったら、「もう、こりゃ、見なくてもつまらないとわかるわ」という感じを持ってしまうようになりました。うちの子は無邪気に見ていたけど。
 本放送当時としても中だるみで、どんどん視聴率を落としてたんだろうけど、ホントに困った監督さんがいました。そんな監督なんて、子どもたちには関係ないんですけどね。
K:50年ぶりのセブンとの出会いで、重大な問題に気がつきました! 覚えられないのです。前回、または前々回登場した宇宙人の名前は? ストーリーは? この歳になるときれいさっぱり忘れてしまいます。有名なエレキング、メトロン星人、最終回のシューマンのピアノコンチェルトぐらいしか頭の中に残っていません。昔はあんなに覚えられたのに本当に悲しいです。
 もし、子どもの頃に兄と仲良くウルトラシリーズを見続けていたら、もっと覚えられていたはずです。

H:小さいころの吸収する力って、すごいんだろうな。
 大人になって見直した時、ずっとダメダメだと思っていた鈴木俊継さんが、突然第37話「盗まれたウルトラアイ」で突然覚醒します。
 この回は怪獣も着ぐるみの宇宙人も出ないし、ただモロボシのウルトラアイが奪われ、当時のサイケデリックな世界にいるはずのマヤという宇宙人の女の子を探す内容だったかな。あの雰囲気が好きで、これだけはDVDを買いたかった。それで今もうちにはあります。ボクの宝物かなあ。

紙ねんどでクレージーゴンも作りました。全く似てないけど。


 

大人になってから

K:「帰ってきたウルトラマン」以降は全く見ていません。バルタン星人などはしつこく登場してるようですね。
 音楽もよかったですね。社会人になった頃にQとマンのサウンドトラックのカセットテープを買いました。今でも持ってます。
 最近はめったにネットで買い物しませんが、「ウルトラQの精神史」という本を買いました。

H:すごいです。もう引いてしまうくらい筋金入りのマニアなんだなあ。ボクは、73年の「帰ってきたウルトラマン」から遠ざかり、仮面ライダーに浮気しました。それもそんなに長続きはしなくて、仮面ライダーV3でほぼ離れてしまいました。
K:仮面ライダーは……、見なかったでしょうか。
H:うちは、子どもが怪獣オタクでした。きっかけはボクです。うちの子を怪獣づけにした責任はボクにあります。自分も見たいと言い訳して、見せてました。
 90年から三重県の南、和歌山の県境に近い町で住むことになって、衛星放送のアンテナを設置したら、夕方にはウルトラアワーみたいなのがありました。タロウ、レオ、帰ってきたマン、初代、セブンいろいろと見せてしまいました。それで、うちの子はエキセントリックな子になってしまって……。


寝てるだけのガバドン!


 

好きな怪獣は? お互いの子どもは?

K:怪獣の魅力って、なんでしょうね?
H:うちの子は、ゴモラが好きなようで、自分の部屋に開田裕二というイラストレーターの大きなポスターを貼っています。
 ボクは、サンダーバードと太陽の塔です。怪獣ではないなあ。いや、ペギラかな。当時はペギンエイチか何か、本当に欲しかったかも。
 昔は毎日、怪獣に追われる夢を見たんですけど、あれはゴジラみたいなヤツ? 怪獣に追われて町をさまよう夢、怖いけど、楽しかったけど、もう見ないです。
K:私の息子は怪獣には全然興味を示さなかったようです。特撮といえるのかな? そういうものの中では、○○レンジャーにハマっていた時期はありました。でも後にも先にも「ジュウレンジャー」だけで、あとはアニメとゲームに夢中でした。
H:怪獣って、本人の知らない間に、心の底にイメージとして眠ってないのかな、今の子どもたちも。もう、今の子たちはそういうのを持たずに、ゲームの刺激だけなのかな。
K:よく考えてみたら 私が怪獣好きといっても知ってるのはウルトラQと初代ウルトラマンだけでした。そこからはちゃんと見ていませんでした。
H:ボクは一通り、仮面ライダーの時期までは追いかけてました。それで切り上げるのは、子どもとしては仕方ないところだったんだろうな。大人が見ても楽しいものをどれだけ作っているか、かなあ。

K:エース、レオ、タロウ・・・あと延々と続くシリーズはよくわからないし、同じ時期にミラーマンとか、スペクトルマンがあったけど全く見てません。マグマ大使もご縁がなかったかな。赤影は主人公だけはかっこいいと思ってチラチラ見てたけど、あの番組ちょっと怖かったかも・・・
H:うちの子は、二歳からの英才教育の怪獣づけでしたので、怪獣感覚はものすごかったはずで、その彼が好きなものは? と訊かれて、選んだのがゴモラでした。何が好きの感覚を刺激するのか、何だか謎ですね。


うちの子の大好きなジャミラ これでTシャツ作りました。何と親バカな私! うちの子は着てないですね。

K:ゴモラは怪獣ごっこをする時は必ず登場していました。インパクトが強くて怪獣役の子が一ばん演じやすいのでしょうか(笑)
H:怪獣ごっこかあ。やったのかもしれないけど、憶えてないなあ。
K:ゴモラの回をテレビで見ていて、大阪で大暴れするシーンで兄が、「あーあ 大阪市庁潰されたで~」と言ってました。
H:66年の大阪、おそらく万博がもう予定されていて、そのひとつの出し物として連れてこられた設定だったんでしょうか。
 70年になってたら、ああ、万博かあ、と分かったけれど、一年生かそこらの私たちですからよくわからないまま、ゴモラはシッポは切られるし、集中攻撃は浴びるし、そりゃ、ゴモラだって地面に潜りたくなったと同情してしまいます。
K:私は小一でしたから意味がよくわかりませんでしたが、最近そんな庁舎をつぶすシーンあったのかな、確かめてみようかなと思いはじめていて、DVDレンタルするかもしれません(笑)でも、ゴモラといえば大阪城なんですけどね。
H:ゴモラといえば、特徴的な顔、水牛なのか、牛なのか、角なのか、そして、茶褐色。絵にも描きにくいし、とらえどころがなかったのです。成田亨さんの造形だったのかなあ。高山良策さんかなあ? 古典的なフォルムがありました。



このポスター、当たり前だけど、まだありますね。


K:セブン以降はまともに見なかったけれど、不思議なことに怪獣番組の主題歌は友だちとよく盛り上がって歌ってました。
 帰ってきたウルトラマンなんか最後の部分を二部に分かれてハモったりして。怪獣以外でも例えば、グレンダイザーやマジンガーZなどよく歌いました。名曲なんでしょうね。
H:子ども番組のうた、いろいろインプットされたものはあります。でも、頭の奥の方でそれらの記憶はだいぶ古びてはいると思うけれど、どこかにはあると思います。
K:怪獣の話というよりも私の思い出話になってしまいましたね。すみません。これから七十歳、八十歳になっても「○○星人は××でウルトラマンに倒された」というような話を熱く語っていそうです(笑)
H:いや、貴重なお話ありがとうございました。ボクも、小さいころの自分の怪獣たちを探したくなりました。ペギラかな? ネロンガかな? アントラーかなあ?


ソフビあるんですね!