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マシュマロマン

たしかこれ、当時の最新型のキャラでした。
オバケたちを送り出している邪悪な存在が、こういうのです。
「オレさまにいくら立ち向かってもムダなのだ。オレさまがひょいと、お前たちの頭の中にある邪悪なものを、恐ろしいバケモノにしてやるのだ!  そうすると、とんでもないことが起こるぞ。世界の終わりかもしれないぞ、ガハハハハハー!」
なんて言うものだから、みんなで無害なもの、優しいものを心に浮かべたところ、かわいらしいマシュマロマンを思い浮かべた人がいて、
それが採用されて、マシュマロマンが街を破壊しつくす。
そういう場面がありました。

1984年の冬に公開された『ゴーストバスターズ』でしたね。

私たちは、そのかわいらしさ、意外性、かわいらしくても人の世界なんか踏みつぶしてしまう破壊性なんかを感じつつ、楽しいお話として見聞きしていました。

あれから、映画はいくつか作られたけれど、第1作の衝撃度を越えるものは生まれなかったですよね。シリーズものって、なかなか難しい。

だからこそ、一瞬の中に生きていく若者たちは、張りぼてであろうとも、すぐに壊されてしまうかもしれないけど、みんな必死になって放課後に竹で骨組みを作って、その上から模造紙を貼り付けたんでした。

1985年の秋だったんですね。ちょうど今頃だ。暑さと秋のはかなさの感じられる9月の昼日中、体育祭は行われたんですね。若いって、何でもできちゃうものなんだな。

あれから40年近く。私たちは今、どこにいるんだろう。そして、どこへ向かっているんだろう。今も私たちの心の中にはたくさんの邪悪なものが去来するけれど、それがどれだけ意識されていることなのか。

みんな、自分のことばかりに必死になって、みんなを傷つけないものを考えないように、無念無想なんて、なかなかできないものなんだ。

そう、今の世の中は、たくさんの巨大な個々の邪悪がうごめいていて、通りを歩くのは危険です。そして、ニコニコと優しい顔をした人こそが、一番怖いだなんて、なんて逆説的なんだろう。怖くて、冷たくて、無言で、無愛想で、何をしているのかわからないヤツこそが、私たちを救ってくれるかもしれないのだから、私たちは、希望を捨ててはいけないし、他人を外見で判断してもいけない。

自分を信じて、心を半開きにして、人を受け入れていく、その積み重ねが必要なんだろうな。