人生の果実は、種をまいて、水やりしないと収穫できない。
【2人の息子たちに伝えたいこと(19)】
以前、書いたことは、ここにまとまてあるよ!「★」
『果実を得るには、種をまいて、水を与えなくちゃいけない』
これは、人生の真実だと思う。
パートナーを得るにも、告白しなけりゃはじまらない。
幸せな家庭は、時間をかけて育てるもの。
突然、誰かが与えてくれるわけじゃない。
学校での勉強は、畑を作っているような段階だから、
二人はこれから自分の将来のための「種」を植えなきゃいけない。
ところで、自然界では、すべての「種」が発芽するわけじゃない。
だから、農家では、同じ種をたくさん撒いて、芽が出てから間引くんだ。
多分、人生の種もおなじだろう。
たった一つの種をまいて安心してはいけないんだ。
進みたい進路や、実現したことがみつかったら、
似たような種をいくつか撒いてみて、
芽が出たものを大事に育てる。
振り返ってみると、僕もそうして来たし、今もそうだ。
人生の「種」は忘れたころに芽吹くこともある。
不思議なことに、人生の「種」は、野菜と違って、撒いたらすぐに芽がでるとはかぎらない。
むしろ、何年もたってから、若いころに撒いた「種」が芽を出すことが多いくらいだろう。
「学生時代の勉強はつまらない、役に立たない・・・」
二人の耳には、今、そんな声が聞こえているかもしれない。
でも、年を取るにつれて、そんな声は少なくなり、
『若いうちにもっと勉強して、人生の種をまいておけばよかった』
という声のほうが多くなる。
それは、人生の「種」は5年、10年たってから、ようやく芽が出るものが多いからなんだ。
若いころは、すぐに役に立つものだけを追いかけてはいけない。
あとね、「金銭的な損得」だけで、幸せの「種」を選んではいけないよ。
楽器の演奏ができることは、新卒の就職活動には役に立たないだろう。
でも、社会人になって10年たったとき、その価値に気づくものだ。
『幸せの価値は、損得勘定だけでは測れない』
損得勘定だけで、幸せの「種」を選んでしまうと、気が付くと、自分の畑には、お金で測れるものしか育っていない。
お金持ちが必ずしも幸せではないというのは、幸せを、なんでもお金の多寡で測ろうとしてしまうから…
それまでの人生で撒いてきた種が「金銭的な損得勘定」だけで選んだものなら、お金の多寡でしか評価できないものしか育たない。
イエメンでは、「麻薬性のある葉っぱ」が高く売れる。
だから、内戦で生活が苦しい農家は、お金になる「葉っぱ」を育てるようになり、食べ物を育てなくなってしまった。
働き口がなく失業した若者は、その「葉っぱ」を噛んで一日を過ごす。
農家はわずかなお金を得たけど、とれたてのおいしい作物を食べることができなくなった人生は、果たして幸せなんだろうか?
お金がなくても、汗を流して野菜を作り、自給自足していたほうが、今よりずっと幸せだったんじゃないのかな…
『人生100年の時代』
100年あれば、かなりの大木が育つもんだ。
そう考えると、僕もまだ半分。
これからも、新しい種をまいて、育ててゆこうと思う。
ヒロシ