桶谷秀昭「昭和精神史」敗戦と豹変

日本軍隊は武装解除され始めたが、組織はまだ残っていた。台風の余波の雨に濡れて武器の引き渡しを待っている兵隊の姿をみて、火野葦平は『悲しき兵隊』という文章を、9月12,13日の「朝日新聞」に発表した。
『麦と兵隊』で文壇に登場し、以後兵隊ものを書きつづけてきたこの作家が、世相のあわただしい急変にその鬱結を吐露した文章である。8月15日を境にして思い知ったことがある。人情紙の如しという、日本人の変貌である。昨日まで米英撃滅を口にしていた人間が、敵を迎えるために星条旗を作り始め、昨日は指導者の地位にいた者が、外人相手のダンスホールの経営に熱中する。民衆もまた、兵隊が水を貰いに行くと、兵隊さんにあげる水はないという。「しかしながら、私は依然として兵隊の立派さを信じる心に変りがない。」

敗戦の結果日本人は豹変したが、実はこの豹変こそ敗戦の根本原因ではないのか、と火野葦平はいう。

多くの兵隊が戦場でたおれた。其犠牲も日本が勝てば報いられるが負けたのでは犬死であるという者がある。その言葉に私ははげしい憤りを感ぜずにはいられない。多くの兵隊が散華したが、尊い死は決して無駄にはならず、真の日本人の精神の上に永遠に生き、帝国日本の礎としての力を発揮する時が来るであろう。多くの兵隊が死んだが、実はだれ一人亡びた者はいないのだ。
(中略)
悲しき兵隊たちがひっそりした姿で、故山へかえる。願わくは、国軍解体の後にあっても将兵はこれまで軍隊において培われた精神を捨て去ることなく、常に新日本前進の中枢となり、国民の希望となっていただきたい。(中略)それは再び軍隊をつくって、戦争の準備をするということではない。また、まして武力を再建して復讐をするということなどではまったくない。兵隊精神が真に大らかな平和の精神にほかならぬということは、兵隊であった者の胸にはただちに理解されることと私は信じている。

こういう言論が、占領政策に違反するという理由で禁止されるのは、これから数日後である。太田洋子の文章に現れている思想もまた禁圧の対象になった。

占領政策は軍隊の武装蜂起から日本人の精神の武装蜂起へ進んだ。それはマッカーサー司令部を頂点とする占領軍にとってそれほどむずかしい仕事ではなかった。


(つづく)


桶谷秀昭 「昭和精神史」

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