小出裕章 鉱毒事件から原発事故まで④(最終回)

●東京電力という会社

東京電力は日本を代表する巨大会社である。経済界に君臨し、政治にカネをばら撒いて支配し、マスコミにもカネをばら撒いて、好き放題の宣伝を流してきた。さらに、原子力発電所の立地点にも多額の工作資金を流して、住民たちを分断させ、地域を破壊した。その東京電力は、原子力発電所は絶対に安全だ、放射能をまき散らすことはないと言ってきた。

そして福島の事故は起きた。人々を苦難のどん底に突き落とす他放射能物質は、東京電力福島第一原発発電所の原子炉の中にあったし、あるべきものだった。もちろん、れっきとした東京電力の所有物である。ところが、45キロメートルも離れた二本松市のゴルフ場が、東京電力に除染を求めたところ、東京電力は自分がまき散らした放射性物質は何と「無主物」だと言い出した。東京電力とは、こんな情けない会社だった。そして今なお、被害者である住民たちに対して生活を再建できる賠償・補償をしようとしない。

●「法治国家」の現実

日本は法治国家だと言われてきた。国内で法を犯す者がいれば、国家がそれを処罰すると言ってきた。それなら、国家が自ら定めた法律を守るのは最低限の義務であろう。日本には被爆に関する法令も多数あった。私のように放射線を取り扱う特殊な人間は放射線業務従事者と定義され、一般の人の被爆限度は適用されない。それでも、許される被爆の上限は5年間で100ミリシーベルト、つまり1年に平均すれば20ミリシーベルトである。一般の人は1年に1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないし、させてもいけないというのが日本の法令であった。

また日本の法令に従えば、1平方メートル当たり4万ベクレルを越えて放射性物質で汚れているものはどんなもので阿も放射線管理区域から外に出すことが許されない。また、管理区域の内部ですら、容易に人が近づける物体の表面は40万ベクレルを越えて汚れてはいけない。日本政府は、1平方メートルあたり60万ベクレルを越える濃密な汚染を受けた土地はさすがに人が住めないとして、住民を強制的に避難させているが、その面積は約1000平方キロメートル、琵琶湖が1.5個も入ってしまう拡大さである。しかし、日本が法治国家だというのであれば、さらに広大なおよそ2万平方キロメートルに上がる地域を「放射線管理区域」として無人にしなければならない。放射線管理区域とは一般の人は立ち入りできない区域でもあるし、私のような放射線業務従事者であっても、その中では、水を飲むことも、物を食べることも許されない区域である。そこに人々が棄てられ、日々の生活を送らざるをえなくなっているし、子どもたちもまたそこで生きている。

日本政府によれば、これまでの法令は平常時のためのもので、今は緊急時だから法令を守れなくても仕方がないという。そして、愛だ、絆だという言葉を乱発して、人々同士で助け合うことが大切だという。しかし、今が平常時ではなく緊急時だというのであれば、そうさせた責任が誰にあるのかまずははっきりさせるべきだろう。先の総選挙で自民党がまた政権党に返り咲いた。福島第一原子力発電所も含め、これまでに日本で動き出した58基の原子力発電所は、すべて自民党政権が「安全性の確認」をして認めたものだった。それが事故を起こしたにもかかわらず、自民党は何の責任もとっていない。その上、「安全性を確認」して、今止まっている原子力発電所を再稼働させ、さらに、新規の原発建設を進め、さらに海外へ原発を輸出するのだという。

●絶望した時が最後の敗北

日本では軍部の中にさえ、その戦争が決して勝てないものであることを知っていた人がいた。しかし、一度大きな流れができてしまうと、多くの人はそれに抵抗することができずに、戦争に加担するしかなくなった。日清・日露の戦争の時代もそうであった。正造さんすら巨大な国家の力を突破することはできなかった。これまで日本では、原子力が未来のエネルギーだ、安い電源だ、原子力をやめれば停電する、国際競争に勝つためには原子力が必要だと言いながら、国、産業、マスコミ、学者など燃料となるウラン資源が少なくて決して未来のエネルギー源にならない。また、事故の賠償、始末の方法すらわからない核のゴミを考えれば、いったいどれほど高い電源か想像もできないほどのものである。経済界はせめて金勘定くらいしっかりすべきなのだが、それすら発言できる人がいなくなっている。

正造さんは、死を迎えた時、見舞客に対して言った。

「お前方大勢きているそうだが嬉しくもなんともない。みんな正造に同情するだけで正造の事業に同情して来ているものは一人もいない。俺はうれしくない。言ってみんなにそういえ。」

正造さんが求めたものは、汚染され、破壊された自然そのものを回復することであった。

「この正造はな・・・・・・天地と共に生きるものである。天地が滅ぶれば正造もまた滅びざるをえない。今度この正造がたおれたのは、安蘇、足利の山川が滅びたからだ。・・・日本も至るところ同様だが・・・。故に見舞いに来てくれる諸君が、本当に正造に病気を治したいという心があるならば、まずもってこの破れた安蘇、足利の山川を回復することに努めるがよい。」

そして正造さんは言う。

「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。」

●真の文明は

足尾鉱毒事件で始まり、四大公害を経、そして今なお発生する公害、さらに沖縄を含めた基地問題など、すべては同根である。それを貫いているものは、国を豊かにするという思想である。そのもとで企業を保護し、住民は切り捨てるという構図が続いてきて、福島原発事故を経た今もその構図は全く変わっていない。しかし、「民を殺すは国家を殺す也」と正造さんが指摘したとおり、住民を見捨てる国が豊かであるはずがない。正造さんは言う。

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず。人を殺さざるべし。」

福島原発周辺も含め、国家が主導する汚染で苦しめられている現地の状況は、足尾鉱毒で起きた通りに厳しい。立ち上がる力を奪われた住民がほとんどであるし、立ち上がった住民にしても苦しい戦いで疲れ果てている。しかし、被害を加えられたものが、被害の泣き寝入りをする必要はないし、また、してはならない。悲惨な歴史を繰り返さないためには、なんとしても、加害者に加害の責任を取らせることが必要である。

●個性を持った自立した個人として

「星の王子さま」で有名なサン・テグジュペリは、遺作となった「城岩」で書いている。

「人間は何かの仕事に打ち込んで、自分のすべてをそれに捧げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。その仕事が大工の作業であろうと、刺繍であろうと、何でもいい。ともかく我を忘れて努力を積み重ねるうちに、そこに人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬ時、その両手は星でいっぱいなのだ・・・・・・」

正造さんは、倒れた時には、小さな信玄袋一つしか持っていなかった。その袋の中には渡良瀬川で拾った幾つかの小石と聖書しか入っていなかった。でも彼の両手は星でいっぱいだったとわたしは思う。

私たち一人ひとりの人間は、他の誰でもなくその人だけのかけがえのない存在である。すべて、他の人とは違った個性と持った存在であり、その人だけにしか生きることのできない命を生きている。そうであれば、一人ひとりが個性を輝かせて生きることこそ、大切なはずである。私もまた私だけの命を何者にも屈せずに、私らしく使いたい。


<了>


『世界』2013年7月 小出裕章「滔々と流れる歴史と抵抗 田中正造没後100年に寄せて」

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