映画『バイバイ、ヴァンプ!』について

 2月15日。Twitterで映画『バイバイ、ヴァンプ!』の公開停止を求めるキャンペーンを見かける。劇場公開される映画に関しては洋邦問わず題名くらいは事前にチェックをしているのだが、まったく見覚えのないタイトルだったので検索したところ公式ホームページにたどり着き、アップロードされている予告編を視聴する。同性愛者をモンスター(劇中では吸血鬼)として描く設定に加えて、偏見や誤解にあふれた描写の数々、そして侮蔑語が当たり前のように使われている内容に怒りや憤りを覚え、すぐさまキャンペーンに賛同した。

 次に気になったのはどこで上映されているかということだった。確認したところ大阪ではアメリカ村にあるシネマート心斎橋で2月14日から2月19日までの限定上映という。シネマート心斎橋はアジア映画の配給や韓国・台湾のテレビドラマのDVDリリースで知られるSPOが運営するミニシアターで、韓国映画をはじめとしたアジア映画のラインナップが充実している劇場だ。それに加え『BPM』や『ゴッズ・オウン・カントリー』、『ある少年の告白』など、セクシャル・マイノリティーの権利獲得運動をモチーフにした映画や同性愛者の苦悩に光を当てる作品を積極的に公開する映画館でもある。個人的にも愛着のある劇場で『バイバイ、ヴァンプ!』が公開されているのがとても悔しく、悲しかった。

 “上映を中止するべきである”という判断を下した作品について、本編を見るべきか否か…正直迷った。映画を見ることで、少なくとも私一人分の利益が『バイバイ、ヴァンプ!』の製作者に渡るわけである。同性愛者への偏見や誤解を披瀝した上に侮辱までしている連中に、一銭も支払いたくない。製作者への批判や抗議はもちろん必要で、自分もこれから続けていくつもりだが、これまで映画館で働いたり、末席ながら映画に関わる仕事をしてきた人間として、この映画を劇場のスクリーンでかけることを選んだ劇場の人たちに抗議の意思表示をしたかった。この作品に対して怒っている人間がいることを映画を鑑賞した直後に示すため、劇場への最低限の仁義として本編は見ることにした。

 2月17日。シネマート心斎橋へ。上映前にパンフレットと脚本の決定稿にも目を通すことにした。パンフレットの表紙をめくった2ページ目にはストーリーが掲載されている。物語の舞台は茨城県境町(実在する都市)。主人公は町の私立高校に通う2年生の京平。ある日、京平のクラスメートで親しい友人の吾郎が何者かに襲われたのをきっかけに同性愛者になる。そして京平は“学校周辺で夜な夜なヴァンプと呼ばれる吸血鬼が生き血を求めてさまよっているらしい”という噂を聞く。その後のストーリーについて、パンフレット掲載の文章から一部引用する。

そんなある日、黒森大牙(17)という転校生がやってくる。ハーフっぽい顔立ちのイケメン、文武両道の海外育ちのエリートで、女子はおろか男子の間でも噂になっている。
(劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』パンフレットP.2)

 大牙の転校以降、学校にはヴァンプに襲われたことから同性愛者になる生徒が急増。京平は大牙を大元のヴァンプではないかと疑い始める。以下、再びパンフレット記載のストーリーからの引用。

黒森大牙が大元のヴァンプではないのか? 明らかにヴァンプっぽい顔している……。
(劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』パンフレットP.2)

 引用した“ハーフっぽい顔立ち”“明らかにヴァンプっぽい顔している”という言葉から、すでにこの映画と製作陣が内包している問題点が浮き彫りになっているように思う。パンフレットや脚本、そして完成した映画にも言えることだが、この映画の製作陣は社会に向けるべき眼差しや語るべき言葉が、どこかの時点でストップしたかのようにまったく更新されていない印象を受ける。

 事前に目を通したパンフレットとシナリオの内容にうんざりしながら本編を観た。劇中での同性愛の描かれ方に関する問題点は、おそらくいろんな人が指摘していると思うので、私が感じた問題点を簡単に指摘をしておきたい。

・ヴァンプに襲われ同性愛となった人間はすぐに性的接触を図ろうとする
・同性愛者について侮蔑の文脈で使用される呼称が何度も劇中で用いられる
・性的指向と性的嗜好を混同している(劇中には“趣味は人それぞれ”というセリフもあり)

 上記3つの問題点は映画の序盤で描かれる。同性愛者の侮蔑語や“趣味は人それぞれ”というセリフは、主人公の友人やクラスメートから発せられる。ちなみに劇中で別の登場人物が発言者に対して注意をしたり、発言内容の誤りを指摘するシーンはない。そして登場人物たちが同性愛者に対して持っている問題含みの認識は、映画がエンディングを迎えても改められることがない。

 ストーリーが進むごとに、問題点は増えていく。物語の中盤、京平とその友人たちがヴァンプについて話し合う場面。本編のセリフとほぼ一緒なので、脚本の決定稿から引用する

知基「それじゃ、あいつらみんな、ヴァンプに噛まれたから同性愛に目覚めたっていうのか!?」
京平「そういうことだ。そのヴァンプは美男と美女のカップルで、男のヴァンプが男を襲い、女のヴァンプがさらに無垢な人々を襲っていく……」
       (劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』決定稿P.38〜39)

 ヴァンプに襲われていない人=無垢という表現なのだろうが、そこまでのストーリーやセリフの流れからすると異性愛=無垢と解釈できる。あまりにも杜撰なセリフだ。

 さらにストーリーが進むと、京平は叔父・三平から出生の秘密を告げられる。三平によると、京平はヴァンプの父親と人間の母親の間に生まれた子供だったのだ。京平は叔父の三平からその事実を告げられるのだが、三平は併せてヴァンプと同性愛の関係やヴァンプでありながら異性愛者だった京平の父について語る。以下、脚本の決定稿から該当シーンを引用する。

三平「人の生き血を吸うヴァンプは、人並み外れた能力と永遠の若さを得る。不老不死じゃ。だから、子供をつくる必要がなくなって、不妊になったんじゃ。というか、同性愛嗜好になったというかのう……」
京平「同性愛嗜好……!?」
三平「そう。ヴァンプと人間とでは、常識が逆転しておってのう。ヴァンプは同性愛がノーマルになって、異性愛に走るのがアブノーマルなのじゃ」
京平「そんな……じゃあ父さんもヴァンプだったのに、人間の母さんと結婚したっていうのは……!?」
三平「最大のタブーじゃ」
京平「タブー?」
三平「変態じゃ、変態! ド変態!」
京平「……父さんが……ド変態……?」
(劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』決定稿P.49〜50)

 引用文の“同性愛嗜好”は原文ママである。

 2015年、同性愛者であることを友人によって暴露された大学生が自死する事件が起きている。『バイバイ、ヴァンプ!』の公開停止を求めるキャンペーンを呼びかけている青年は、呼びかけ文の中で自らを“当事者”であると明かしている。自分の性的指向を自覚し、それを受け入れること。そこで生まれる苦悩や煩悶はこれまで様々な芸術作品で描かれてきた。まだまだ偏見が払拭されていない現在の社会の中で、自身の性的指向を理解し受け入れることは、きっと当事者にとってはいまだに難しいことなのでは…と想像できる。現実に悩みを抱えている人がいる。悩み抜いた末に自死を選ぶ人もいる。この映画はコメディという体裁をとっているが、この社会で暮らしている同性愛者のことや自分の性的指向に悩む若者たちの存在を、あまりにも軽く見過ぎてはいないだろうか。

 また三平は“ヴァンプと人間とでは“常識が逆転している”と説明した上で“異性愛に走るのがアブノーマル”と断じている。製作陣の間で前提となっている“異性愛=ノーマル”という認識が前時代的なことは言うまでもなく、同性愛と異性愛を逆転させた上で、登場人物の口を借りてマイノリティを“ド変態”と罵倒するギャグは、製作陣の悪意さえ感じる。

 ちなみにこの映画には、序盤からヴァンプではない人間の同性愛者が1人登場する。主人公たちが通う高校で体育教師をしている舛添というキャラクターだ。しかし、このキャラクターもヴァンプと同様に何かと男性への性的接触を測ろうとする。吸血鬼風のメイクがなされていないだけで、劇中ではほぼヴァンプと同じような描かれ方をしている。

 物語は一応のハッピーエンドを迎えて幕を閉じる。劇中で同性愛者の侮蔑語を無邪気に使ったり、同性愛について誤解をしていたキャラクターたちが、その認識や言動を改めるシーンはこの作品にはまったくない。またキャラクターたちの差別的な認識や言動が“反面教師的”に描かれることもなければ、差別はいけないという教訓が導き出されるわけでもない。偏見は偏見のまま、誤解は誤解のままスクリーンからただ垂れ流される。

 映画を観終わった後、あまりの内容の酷さにため息をついてしまった。振り返ったら後ろの席に出演者の若い女性がいた。「あ〜この映画がシネマート心斎橋で上映されてしまったのだなぁ…」と胸にモヤモヤを抱えながらロビーへ出たら、3月に京都で開催されるダムタイプの新作パフォーマンス『2020』のポスターが館内の壁に貼ってあるのを見つけて余計にモヤモヤしてしまった(古橋悌二さんのことを思った)。そのままロビーにいた劇場スタッフの方に、今『バイバイ、ヴァンプ!』を観たこと、そこで感じた怒りや憤り、悲しみを伝えた。

 劇中のセリフはほぼ決定稿と同じだった。ト書きの描写もほぼ映像と符合している。決定稿を読むだけでも十分に差別扇動効果があり、非常にマズい内容であることが理解できる。この映画の製作陣はもちろんのこと、決定稿を読んだ上で出資した企業やロケ地のコーディネートをした団体があれば、彼らの見識も厳しく問われなければならない。

(つぶやき)
●ある世代より上の男性が抱えているような反良識、反ポリティカル・コレクトネス、反コンプライアンスといった意識がこの映画を作らせたように感じる。

●またネット右翼やフェミニズムを忌避する人々の謎の被害者意識(マジョリティ属性の人が稀に抱える“自分は虐げられている”という自己認識)とも接続するような映画だった。

●決定稿に記載されていないセリフとして、体育教師・舛添がヴァンプに襲われ同性愛者になり、さらに女性装になった五郎を舛添が叱るシーンで、舛添が五郎に触れようとしつつも躊躇しながら「あぁ…コンプライアンス!コンプライアンス!」とつぶやくというものもあった

●パンフレットが誤字脱字だらけ、さらに明らかに解像度が足りていない写真が堂々と使われていたりして脱力した。

●主人公をはじめとした高校生役のキャストは、撮影時おそらく10代だったのだろう。決定権のない未成年が出演し、この映画が彼らのフィルモグラフィーになってしまうのはあまりにも酷すぎる。所属事務所の関係者やマネージャーといった“大人”がちゃんと脚本を読んで出演を回避してあげてほしかった。

●脚本がご都合主義すぎて物語の世界観や設定が徹底されていないところに、製作陣の不誠実な態度が見え隠れする。

●ヴァンプではない同性愛者を登場させながら、結局ヴァンプと同じように描くのは、とても卑怯だと思った(そのキャラクターも同性愛者への偏見を補強するような役割を担ってしまっている)。

●劇中で主人公とその仲間が「ヴァンプをやっつけよう」と盛り上がり、ハッテンバを襲撃するというシーンがある。本当にヒドいな、悪質だなと思った

●後半で異性愛のヴァンプが登場。そうなるとそもそものヴァンプ=同性愛という設定が崩れてしまう。「何をどうしたかったのか」が見えなくなって、面白くなさすぎて戦慄した。


(参考文献、URL)
劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』劇場用パンフレット(バイバイ、ヴァンプ!製作委員会)

劇場映画『バイバイ、ヴァンプ!』決定稿(バイバイ、ヴァンプ!製作委員会)

change.org
「#nolgbtqphobia 同性愛蔑視表現を含む「バイバイ、ヴァンプ」の公開停止を求めます。」
https://www.change.org/p/nolgbtqphobia-%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%A4-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%97-%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%E8%94%91%E8%A6%96%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%82%92%E5%90%AB%E3%82%80-%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%A4-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%97-%E3%81%AE%E5%85%AC%E9%96%8B%E5%81%9C%E6%AD%A2%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99?recruiter=239358766&utm_source=share_petition&utm_medium=twitter&utm_campaign=psf_combo_share_initial&recruited_by_id=4abda710-bc0c-11e4-b353-2d034a78199e


HUFFPOST
「「噛まれると同性愛に目覚める」映画『バイバイ、ヴァンプ!』 高校生が上映停止を求め、署名を始めた理由」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/bye-bye-vamp-petition_jp_5e4bc1acc5b6eb8e95b2448c


yocoshicaのブログ
「バイバイ、ヴァンプ!観たよ、オタクの感想」
https://yoco.hatenablog.com/entry/2020/02/16/125654


CDBのまんがdeシネマ日記
「炎上している『バイバイ、ヴァンプ』の劇場に出演者の女性ファンがほとんど来てなかった話」
https://www.cinema2d.net/entry/2020/02/18/090626

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