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なぜ私は(人は)歌うのか

私は何かにつけ「なぜ?」という問いを多く自分にします。
理由は簡単で、「なぜ」が自分の中で腹落ちしていないと、あらゆる場面で私の意思や判断がブレてしまうからです。なぜ歌うのかというのは例えば歌いたい気持ちになったら歌う、例えばこれも立派な理由です。

自分の場合

じゃあ自分もそうなのかとなるとひねくれ者の私はそれでは十分な理由にはなりません。なぜボーカルレッスンを受けるのか、という理由については我が娘のためということを僭越ながらご紹介しました。しかしながら一方で更に根源的な「なぜ歌うのか」という点について意外と私とは意見を共にしない方も多いのかな、そう思います。お仕事やお付き合いでカラオケに行く機会も少なくないですが、その場面でも感じること多々です。

では何が理由なのか。私にとっての根源的な答えは「楽しむため」「楽しい時間を過ごすため」そして私にとって「楽しい」とは、一人で行動しても「楽しい」ことが大前提です。ここはまた別のページが必要になってしまいますが、端的に言うと他の人と一緒でなければ「楽しくない」のであればそれは根源的にその行動を(今回は歌唱)する理由ではなく、それは「誰かと共に行動すること/一緒に過ごすこと」が理由で歌うことは手段になってしまっています。

面倒くさいこと?を言ってますが

特にカラオケの場面ではよく見るのですが「親分各」は楽しんでいるけれどもその他の人たちの中には最大限楽しめていない、そういう場面よく見ます。これは私の見解ではありますが、「歌うことで楽しく過ごそう」という共通の目的が一致できてないのです。そのためにはまず、一人で歌っても楽しいことを自らが体感できていて、その上でその楽しさをもっと広げたい、その感覚で他の人を巻き込んだり、または一人でも楽しいが、参加する人を増やすと出来ることが増えたり、新しい発見が見いだせたりするなど、「更に」楽しさが増すという絶対原則が必要だと考えています。

巡り巡って

(誰かに褒めてもらったりせずとも)「一人で歌う、その事が楽しい」
その上で人が増えると「もっと楽しい」この原則が私は必要だと思っています。

いま、「音楽を好きになる」ことを楽しむ
をプロジェクトとして多くの方たち、多くのプロフェッショナルとお仕事化していくにあたって、関わっていく人たちにまず共有して欲しい私としての絶対原則をここにご紹介しました。読んでも面白みゼロの文書でしたが、どこかで言及しておかねばならないと思いましたのでこれにて完了です。

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