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『ニーナ・シモン〜魂の歌』と西加奈子『サラバ!』に喰らう理由


<Netflixより引用>
伝説の歌手であり活動家でもあったニーナ・シモン。発掘された世界初公開の音源とともに貴重な映像資料を交え、胸に響くあの歌声がよみがえる。


【❶.西加奈子とニーナ・シモン】


 初めてニーナ・シモンの名前を知ったのは、西加奈子さんの小説『サラバ!』でした。妻が西さんの熱狂的なファンであり、中でもこの『サラバ!』は最高傑作だと勧められ読んだのですが…


 メチャクチャ喰らった作品でした。上下巻の大ボリュームながら、一瞬で読み終わりボロボロ涙をこぼしました。個人的には町田康さんの『告白』と同じくらい、心を掻きむしられる思いがしました笑。

 『サラバ!』は端的に言えば、自意識をこじらせた主人公が自らと向き合う物語です。ドストエフスキーなり太宰なり小説の王道テーマ。
 しかしその中でも本作が凄いのは、「自意識をどう乗り越えるか」という永遠の問題に、現代日本の空気を取り込みつつ回答している点です。

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【❷.サラバ!が解きほぐす“錯覚”】

 どういうことか。海外では「宗教」や「ルーツ」が、アイデンティティ確立の核となり、実際にそうした映画や小説も数多く存在します。
 ところが、私たち「日本人」の多くは自分たちが無宗教で単一民族だと錯覚しています。実際は全然そんなことないんですが…
 したがって「宗教」や「ルーツ」に、救いを見出せず、「異性にモテるかどうか」とか「一流企業に勤めているかどうか」みたいな、他者からの評価がそのまま自己肯定になってしまうことが多い。
 そして「他人の評価が高い」=「自己実現出来ている」という、更なる錯覚を生むのです。
 『サラバ!』では、そんな錯覚を解きほぐすように、エジプトでの生活や新興宗教の話が出てきます。そして、本当の自分を作るにはどうしたらいいのか、みたいな方向に話が転がっていきます。

【❸.ニーナ・シモン入門は1stアルバムかサブスク】

 そしてこの『サラバ!』にはニーナ・シモンの名前や曲が何回も引用されます。ブラックミュージックに造詣が深い西さんの、特にお気に入りのアーティストというわけです。

 僕も小説を読んでから彼女の曲を聴くようになり、3年くらい前に名盤と名高いデビュー・アルバム『Litlle Girl Blue』のLP盤を買いました。
 後述しますが、ニーナ・シモンは音楽ジャンルを横断し「ニーナ・シモン」というジャンルとしか言いようがないオリジナリティを持った歌手なのですが、『Litlle Girl Blue』など初期作は完全にジャズです。


 彼女の「声」だけでなく、ピアノの演奏スキルにフューチャーした曲が多いのが特徴のこのアルバム。通しで聴きやすい上、代表曲『I Love You Porgy』『My Baby Just Care For Me』が入っている入門的な作品です。

 もっと言うと彼女はレーベルを何度も移籍するため、いくつか出ているベスト盤のトラックリストを見ても「えっ、この曲入ってないの?」が多いし、以降の膨大な作品はどれも取っつきづらいです。
   なので、全く知らない人はサブスクから聴くのが1番だと思います。

【❹.とても喰らう展開の連続】

 話を戻すと、このドキュメンタリー映画は以前からずっと観たいと思っていたので、ワクワクしながら観たのですが、率直な感想は…

ゲンナリするほど喰らいました笑。

 内容を簡単にさらうと、まず彼女のオリジナリティの秘密を探るところから始まります。彼女は人種的バックボーンだけに捉われない豊富な「ルーツ」によって、ジャンルを横断する独自の音楽性を獲得します。
 一方で、明確なルーツが定まらないことが皮肉にもアイデンティティの「揺らぎ」として後年の彼女を苦しめることになるのですが...

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 前述した『Little Girl Blue』のヒットで、1960年代までキャリアは順調に見えましたが、結婚した男がモラハラ&DV野郎で、ドラッグに依存するようになるなど、第一幕から非常に不穏なエピソードが続きます。

【❺.芸能人と政治的発言の問題】

 そして第二幕では、公民権運動に身を投じます。マルコムX家族と近所づき合いしていた縁で、ニーナは毎日の活動家たちと議論を交わしました。
    自分に学がないことや、それによって夫の言いなりになっていることへのコンプレックスがあったため、自分がアカデミックな人間だと感じることが出来る公民権運動に生き甲斐を見いだし、のめり込んでいきます。

 その主張はかなり過激で、「白人はみんな悪」という考えに傾倒します。歌う曲もモロに政治的で、ついには業界から干されてしまいます。

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 日本でもまさに今、芸能人の政治的発言が大きく注目されています。

・時代の鏡になるのがアーティストの役割
・海外では、役者や歌手が当然のように政治的な主張をしている
・芸能人が社会的な発言をしてはいけないなんて日本だけ

という声も聞こえてきます。

 実際に名前は挙げませんが、最近あまりテレビで見ないなーと思うタレントが、SNSで積極的に政治的発言をしていませんか?
 これは何もニーナに限ったことじゃありません。
 芸能の世界にいる人達なんて全員自己承認欲求の塊で、(それを揶揄するつもりは一切ありません)だからこそ社会運動や啓蒙活動には、その承認欲求を満たすだけの快楽があるんだと思うんです。

 いまやSNSで簡単に自分の意見や表現を他者に発信出来ます。「インフルエンサー」なんて言葉もよく使われるようになりました。
 自分の意見・思想・哲学を大勢の人に認められたいーこれはアーティストに限らず、世間一般の普遍的な願望だと言っていいと思います。

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【❻.「ソレ」だけでは満たされない承認欲】

 だからこそこのドキュメンタリーは、突然ホラー映画になります笑。

 社会正義に目覚めて活動家になり、自分の表現したいことだけを歌詞にして、自分のことを認めてくれる人だけの前で歌うーすべて彼女が望んでいたことのはずなのに、ニーナは実は全く満たされていなかったのです。

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 前述した元夫はインタビューでこう話します。

テレビでアレサ・フランクリンがチヤホヤされているのを見て露骨に不機嫌になった


 確かにニーナからしたら、同胞たちが殺されているというのに、白人に媚びるポップスをのうのうと歌っている黒人ミュージシャン達は一体何をしてるんだ、という怒りはあったでしょう。しかもそういうアーティストの方が高い評価を受けている。彼女は当時の事をこう回想します。

(公民権運動)は自分の使命なのだと思いつつ、なぜ自分がすべてを背負わないといけないのだろうと言う苦しみもあった

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 この「なんで私だけがこんな思いしなきゃいけないの!?」っていう苛立ちさえ、他者からすれば知ったこっちゃねえよって話です。自分が勝手にやりだしたことでしょ?っていう。
 ですがこのイライラこそ、誰もが感じたことがあると思います。自分ばかり損な役回りを引き受けている気がしてならないのに、誰も理解してくれないもどかしさ。

【❼.どうか私のことを誤解させないで】

 それをそのまま歌にしたのが、代表曲「Don’t Let Me Be Misunderstood」です。僕がこの曲を初めて聴いたのは映画『キル・ビル』で、サンタ・エスメラルダのカバーバージョンでした。


 当時は完全なコミックソングだと思ってたんですが、ニーナのオリジナル版は非常に内省的でシリアス。

Don’t let me be misunderstood.

という表現も「誤解しないで」という意味ですが、

神様、どうか私のことを誤解させないでください

というニュアンスで、孤独感に締め付けられるような歌詞です。

 ここで深く考えさせられたのが、クリエイターにとって、作品のエンタメ性と社会性のバランスというのは最も難しい問題の1つだということです。

【❽.優れた芸術=エンタメと社会性の調和】

 僕はアーティストが政治的な発言をすることが悪いとは思いません。しかしながら、あまりに社会的メッセージにフォーカスし過ぎた作品には感情移入しづらいことも確かです。
 ニーナの公民権運動をテーマにした歌は、現代日本に住むアジア人の僕には正直ピンとこないし、映画は大好きだけど商業映画と決別した時代のゴダールの政治活動にも興味は持てません。

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 でも「Don’t Let Me Be Misunderstood」の歌詞はというと、普遍的でメチャクチャ刺さるんです。

これ俺/私のことじゃん

そう思わせてくれる、強い引力があります。

 最近だと、ポン・ジュノ監督の『パラサイト』がまさにそうでした。現代韓国が抱える社会問題を鋭く描写しながらも、徹頭徹尾エンタメしている。予備知識なんか一切なくとも、面白いと思える映画。
 さらに格差や貧困の問題に光を当てながらも、まったく押し付けがましくない上に、観客が主体的に考えるような物語でした。

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 まず観客を楽しませた上で、テーマ性があるものが1番評価される。だからこそ、その塩梅は非常に難しいのです。
 大衆ウケだけでは後世まで語り継がれるものは出来ないし、かといって小難しいことばかり言うのはただの独りよがりになるからです。

【❾.もう人の目なんて気にしない(嘘)】

 キング牧師暗殺が決定的な引き金となり、ニーナはアメリカを去ります。

ミュージシャンとして評価もされないし、公民権運動も全てムダだった

   絶望と逆恨みに近い怒りから、彼女はリベリアに移住します。一切の音楽活動を投げ出しますが、のんびりした時間の流れに身を任せて、自由気ままに過ごします。

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 自らのルーツを再認識し彼女は一見救われたように見えますが、このドキュメンタリーのプロデューサーでもある娘が、カメラに向かって衝撃の一言を放ちます。

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母は怪物になっていた。私を殴るようになったの

 やはり、彼女は全然満足してませんでした。自分が世間から忘れられていくことをメチャクチャ気にしていたのです。そして、その承認欲を持て余した苦しみのはけ口として、娘に手をあげてしまった。

 僕はこれも本当に今につながる話だなと思います。例えば、田舎に移住して、SNSで幸せアピールをする人達。もちろん本当に幸せな人もいるとは思いますが、全部が全部そうではないと思うのです。

吉田拓郎の『イメージの詩』の歌詞にこんな一節があります。

誰かが言ってたぜ俺は人間として自然に生きているんだと
自然に生きてるってわかるなんてなんて不自然なんだろう

 本当に幸せなら、わざわざSNSでアピールする必要はないわけです。そこには「幸せなんだ」と、自分自身に言い聞かせたい自意識が介在している。
 虐待自体は決して許されることではありません。しかしニーナのこの自意識が故の苦しみは、やはり非常に刺さりました。

【➓.『サラバ!』姉弟は西加奈子の分身?】

 ニーナはさらに、ジェットコースターのようなスピードで転落します。スイスで行われたコンサートでは、観客にブチ切れるくらいボロボロの姿に。

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 さらにフランスに移住しますが、誰も本物のニーナ・シモンだと信じずに、場末も場末の居酒屋で歌って、なけなしのギャラを稼いで暮らす日々が続いたと言います。ウソみたいな本当の話です。

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 音楽史に残るソングライターという、大幅に上方修正された現在の評価からすれば、およそ考えられないことです。
  そこからどうやって彼女がカムバックするかは是非本編をご覧ください。ツラいツライ映画ですが、ちゃんと救いのある終わり方です笑。

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 そして同時に、このドキュメンタリーが構成やテーマ含めて『サラバ!』と非常にシンクロしていることに、改めて驚きました。

 『サラバ!』の主人公の歩は、周囲の目を極度に気にします。周りに合わせ、悪目立ちしないよう空気を読むことが得意です。
 一方で歩の姉は、自意識の塊。常に自分が唯一無二の特別な存在でないと気が済まない性格で、周囲に面倒をかけまくるのです。
 歩はそんな姉を幼稚だと軽蔑しますが、実は周囲の目を気にするのも立派な自意識。歩の姉への感情はいわば同属嫌悪なのです。

 下巻では歩がズルズル転落します。順風満帆だった人生が壊れていくー中途半端な自意識が、のたうち回る彼を余計に苦しめます。

 そんな歩を救うのが、嫌っていた姉です。ここから先はネタバレになるので、是非読んでみて下さい笑。

 そしてこの姉弟は、西さんの中の2つの感情の分身なんだと思います。
「自分は特別な存在だ」という自意識に対して、それを堂々と表明したい気持ちと、そんな事したらイタい奴だと思われるという別の自意識
 2つの自意識のせめぎあいを擬人化し、一つの壮大なクロニクルにしたものが『サラバ!』ー映画鑑賞後に、改めてそう感じました。

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【終わりに〜Ain’t Got No】

 最後に、今回映画を観て僕がいちばん涙をボロボロとこぼした歌をご紹介します。代表曲のAin’t Got Noです。

 僕が人生で触れた、全ての詩、俳句、短歌、小説、ドラマの台詞、広告のコピー...それら全ての中で、もっとも美しく・強く・心を揺さぶられた言葉です。

 歌詞はとてもシンプルです。まず、ひたすら自分にないものを列挙していきます。

家、靴、お金、階級、スカート、セーター、香水、運、文化、母、父、姉、弟、子ども、叔父、叔母、男、国、学校、友達、水、空気、煙草、愛、ワイン、神様...どれも持っていない、私には何もないの

 だけど、と彼女は続けます。じゃあ、こんなに何もない私はどうして生きているのかしらと。決して奪えないものがここにあるからだと。

私には髪がある 頭がある
脳がある 耳がある
眼がある 鼻がある
口がある 微笑みがある
私には命がある

 羅列は止まりません。舌、顎、首、おっぱい、心、魂、背骨、膝、かかと、肝臓、血液...自分にあるものを列挙しながら、我が命を鼓舞します。

 これは究極の自己肯定ソングだと僕は思っています。元々は「黒人であることへの誇り」を歌ったプロテストソングですが、どんな人種、どんな社会階級にいる人だって、自分に絶望することはあると思います。

 他人と比べて、自分がひどくちっぽけに見える。何も持っていないと感じてしまう。そんな経験は、誰にでもあることだと思います。

 そんな時に、どうやって立ち上がるのか。答えは1つです。周りと比べるのではなく自身を見つめること、自身を愛すること。そして人生を全うすること。ただただシンプルだけど、彼女が歌うと抜群の説得力があります。

 特にサビにいく直前。彼女が思わずフッと笑うところで、毎回鳥肌が立つぐらい感動してしまいます。

 長くなりましたが、誰もが多かれ少なかれ苦しんでいる今こそ、ニーナ・シモンの歌を聴いて下さい。映画はNetflixで配信されています。

 

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