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『凪のお暇』が終わってしまった…

今期のドラマで唯一見続けていた『凪のお暇』が金曜日に最終回を迎えた。
2010年代のドラマの最高傑作は『重版出来』だと思っている僕からすれば、『重版出来』のプロデューサーと主演の黒木華が再タッグを組んだ今作は始まる前から注目作だった。

Huluで『重版出来』を見返して改めて毎話ボロボロと涙をこぼした上で、満を持して『凪のお暇』第1話を見たのだが…

あまりの衝撃にかなり喰らった...

とにかく第1話が半端ない。冒頭15分は主人公の凪が職場で過呼吸で倒れるまでをノンストップで描く。文字通り息をつかせない展開の連続で視聴者にも呼吸出来ない感覚を共有させる。そしてCMが入った瞬間にようやく大きなため息をついた。
最初の「空気」に関する慎二のモノローグが、実はプレゼンテーションだったという仕掛けは原作にはない脚色。非常に手際よく状況を説明しているし、これが後の展開の幾つもの伏線になっている。大島里美さんの脚本がいかに秀逸かが端的に表れている。

しかし第1話が本当にすごいのはむしろ後半。慎二を演じる高橋一生の文字通りの怪演だった。のほほんとした日常生活コメディが、一転してモラハラ男のホラーになる。全く目が笑っていない満面の笑みがトラウマとなり、その日は夜寝れないくらい怖かった。

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そして第1話で実はこのドラマの裏テーマみたいなものも提示される。『凪のお暇』は、あらすじだけを見れば仕事を辞めて貧乏生活を始めることで凪が自分らしさを取り戻す・見つける話のように思える。しかし実際のところ、凪は10話を通してもそこまで目に見える成長はしない。(安易に成長しないというところがまた重要でもある)

一方で、このドラマで一番劇的に変化する(ほとんど別人になると言ってもいい)のが慎二だ。『凪のお暇』の裏主人公は慎二である。凪がアラサー独身女性の息苦しさを代弁する存在だとするなら、慎二もまた日本社会の男らしさという幻想に苦しめられている存在でもある。

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2話以降、ほぼ毎回慎二が号泣して苦しむオチで話が展開していくうちに不思議なもので僕は彼に感情移入するようになっていた。器用そうに見えてものすごく不器用、実は人の気持ちを誰よりも察することが出来るのに本当に大切な人にはその想いを伝えられない。ドラマは俯瞰的な視点で描かれるため、あまりにも鈍感な凪に「気づいてやれよ!」と思うこともしばしば。

僕は演技に関してはずぶの素人なのでおこがましさ承知で書くが、慎二は高橋一生という役者の現時点でのベストアクトではないだろうか。第1話であれだけぶっ飛んだモンスターを演じながら、以降はどんどん深みがあり実在感のあるキャラクターにシフトさせていく。原作の漫画が連載中ということもあり最終回含めた結末は完全にオリジナルではあるが、高橋一生の卓越した演技によって後半は実質的に主人公を慎二が乗っ取ってしまった感さえあった。少なくとも作り手が明らかに慎二を大好きなことはビンビン伝わってきた。もっとも視聴者的には中村倫也のゴンの方が人気だったのだろうが…

そして最終回である。人によっては「え、これで終わり?」という感想を持つ人もいる気もするが、僕はこれ以上なく完璧なバランスの着地だったと思う。『凪のお暇』の根幹には、今を生きる人に寄り添うメッセージがある。


「人の生き方は完全に自由で、どんな選択をしようとその人が幸せならそれでいいじゃないか」


アパートの住人の緑さん(三田佳子)や白石親子(吉田羊・白鳥玉季)、スナックのママ(武田真治)なんかがそうだろう。結婚しないで隠居生活を送る人も、シングルマザーも、LGBTQの人も本当に幸せそうに今を生きている。また慎二の兄でユーチューバーの慎一(長谷川忍)は、家族や親戚から嘲笑されようとも、自分らしい生き方を貫く。「空気は読むものではなく吸うものだ」を地でいくキャラクターだ。

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彼らと接することで、凪はモラトリアムから抜け出し自分がやりたいことを見つけていくーそして最終回のミソは慎二を取るかゴンを取るか、長らく引っ張ってきた三角関係の結論を出すことにもあった。凪の出した答えは「どちらも選ばない」で、これはとても今の時代の風に乗っていると感じた。

思い起こされるのはディズニーの大ヒットアニメ「アナと雪の女王」だ。真実の愛を探すアナの前には2人の白馬の王子様候補が現れる。1人はオラオラ系で実際に王子のハンス。もう1人は心優しいクリストフ。だがこの映画でアナはそのどちらとも結ばれない。姉のエルサを想う家族愛こそが真実の愛だと明かされて幕を閉じるのだ。

「プリンセスが運命の男と結ばれなければならない」というディズニーのそれまでの定石の解体であると同時に、「なぜ女の幸せは男ありきなの?」というフェミニズム的視点に立っている。(実はこの解体は前年のピクサー『メリダとおそろしの森』で既に行われているのだが、不人気なためか余り知られていない)


今回の凪の決断も、ゴンの癒しも慎二の助けも借りずに自分の足で立って生きる「これからの時代」を見据えたものになっている。もっとも前述のように後半の凪は慎二におんぶに抱っこで、全然成長が感じられないのだが、だがそれがいいのである。

実際問題、人間はそう簡単には成長など出来ない。第1話で慎二が「お前は絶対に変われない」と凪に宣告したように。だが大事なのは本当に変われるかではなく、変わりたいと心から願うかどうか、そして勇気を持って一歩踏み出すかどうかなのである。

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同時に散々慎二に感情移入しながら観てきた身としては、とうとう最後まで彼の想いが成就しなかったやり切れなさに思わず悶絶した。水族館で別れる時に、お互いが交互に振り返るんだけどそのことに気がつかない場面はタナダユキ監督の『百万円と苦虫女』のラストを彷彿とさせる。

まさに恋愛はタイミング。あれが数秒ズレていたら、2人にはまた別の未来があったかもしれないし、結局何も変わらないかもしれない。しかしそんなことは誰にもわからない。『(500)日のサマー』的に言えば全ては偶然の積み重ねでしかないのだから。

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一つ残念だったのは足立さんとゴンに想いを寄せるエリィに、最終回で明確な救いが無かったこと。まず足立さんを演じた瀧内公美さんの演技は本当に素晴らしかった!あの佇まい笑!3話以降は毎回20秒程度しか出番がなかったのに、抜群の説得力と実在感を持たせた事には脱帽の限りだ。

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僕は足立さんにも彼女なりの事情があって(例えば正社員じゃないことへのコンプレックスとか)それが明らかになって、視聴者もある程度彼女に寄り添えるような展開を期待していた。実際は足立さんが凪と同じ立場に追い込まれてノックアウトされ、それを市川(唐田えりか)が助けるものだった。しかしこの「同じ苦しみを味わう」というプロットはすでに慎二で使っているので、少々既視感があったなぁ。

あとはエリィ。彼女はゴンへの恋心を押し殺して友人としてずっと傍にいる道を選ぶ。このへんは『愛がなんだ』っぽい感じ。でもだったらそれこそ『愛がなんだ』のように、エリィの決心や選択を彼女の口から吐露される場面が見たかった。まぁモブキャラだからそんな尺を割けないというのも分かるんだけど、それぐらい水谷果穂さんの演技も魅力的だったんですよね。

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色々言いましたが、とにかくアイツら全員マジで幸せになって欲しい。そう思わせてくれるぐらい全キャラクターが魅力的でした。しばらくはまだロスに浸りたいと思います。

<おまけ>

・ディズニーが時代に合わせて価値観をアップデートし続けてきたという事に触れた『トイ・ストーリー4』映画評↓


・『凪のお暇』にも通じる、個々人の生き方をジャッジしない新しい時代の恋愛映画『愛がなんだ』評↓


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