見出し画像

【HELP EVER HURT NEVER / 藤井風】後編:『帰ろう』歌詞考察

【はじめに 世紀の名曲】


誤解を恐れずに申し上げるならば、『帰ろう』は『Let It Be』や『Goodbye Yellow Brick Road』、『Bridge Over Troubled Water』クラスの大傑作バラードである。当人の中にも、ホームランを狙う意識は間違いなくあったはず。そして実際に曲を聴けば、誰もがその超特大ホームランぶりを認めざるを得ないと思う。

画像2

画像3

画像1


もっともポール・マッカートニーやエルトン・ジョン、ポール・サイモンと違うのは、彼らがソングライターとして脂の乗った時期にこうした名曲を書き上げたのに対し、風くんは1stアルバムで達成してしまったということだ。だからもちろん、これを書いている現時点で『帰ろう』はそこまでの評価を獲得していない。なので今回は『帰ろう』の何がそんなに素晴らしいのか、主に歌詞面から考察していこうと思う。その上で、前編の『何なんw』考察と併せて、アルバム『HELP EVER HURT NEVER』全体を総括してみたい。

【黒と白】


藤井風の音楽性を解剖すると、大きく分けて2つの要素があると思う。1つはJAZZ,Soul,Funk,R&B,Hip Hopといったブラックミュージックの影響。


そしてもう1つが、キャロル・キングやビリー・ジョエル、エルトン・ジョンなどの白人ピアニストのシンガーソングライターに代表されるウェルメイドポップスという側面。



この「黒と白」を抜群のバランスでブレンドしていくことによって、彼は独自の音楽に昇華させていく。例えば『旅路』は、メロディ自体はややもすれば「普通のJ-Pop」だが、モタっとしたビートと、超細部のリズムやニュアンスにこだわったボーカルが乗っかることで、彼以外には絶対に表現出来ない音になっている。

例えるならば、最高の豆で焙煎したコーヒーと、最高級ジャージー牛乳で作ったカフェオレといったところだろうか。誰が聞いてもポップだし、そのうえで質もハンパないのだ。

画像4



【重力/無重力】


「黒/白」以外にも、『HELP EVER HURT NEVER』は「対」の構造が多い。個人的に、このアルバムの魅力は「重力←→無重力」の行き来だと考えている。弾むようなブラックなビートが「重力」を感じさせてくれる一方で、『特にない』や『調子のっちゃって』はフワフワと世界を漂っているような心地にさせてくれる。


『帰ろう』のサビ直前を歌詞に起こすと


大間違い 先は長い 忘れないから
ああ 全て忘れて帰ろう

「忘れないから」と「ああ」の間は言葉上区切られているのだが、実際は


忘れないからああああああああ全て忘れて帰ろう


という風に、音を繋げて歌っている。ここがこの曲の白眉だろう。Bメロからサビへの滑らかな移行は、飛行機が離陸する瞬間の浮遊感にそっくりだ。
その後優しくいざなうように、ストリングスが伸びやかな旋律を奏で、2番からビートが始まっていくアレンジメントも完璧。目を閉じれば空を飛んでいる気分になるのは僕だけではないはずだ。

画像5


そして、この「浮遊感」は全体のメッセージとも密接にリンクしている。なぜならばこの曲は「臨死体験」について歌ったものだからだ。


【死生観がテーマ】


『帰ろう』=死生観は、既に彼本人の口からも語られているし、それが最もよく分かるのがこの一節だ。


わたしのいない世界を上から眺めていても
何一つ変わらず回るから少し背中が軽くなった


「わたし」は死後の世界を見ている。そして、自分の死=世界の終わりではないことに安堵している。この「世界を俯瞰する空からの目線」を表現するために、前述した1番のサビでの「離陸」があったわけだ。次に2番のサビの歌詞を見てみる。

ああ 全て与えて帰ろう ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの ありがとうって胸をはろう

これは風くん本人が『もうええわ』でテーマに挙げていた「すべての執着からの解放」を意味している。『もうええわ』に限らず、アルバムの各楽曲で歌われたことが収斂していく。



待ってるからさ、もう帰ろう 幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの 一つ一つ 荷物 手放そう

ここまでくると、「終活」の歌のようにも聞こえる。「死」は恐れるものではなく、「執着からの解放」という究極のゴールなのかもしれない、と。

画像6


憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう

「HURT NEVER」に呼応する「憎み合い」というワード。憎しみから解き放たれるためには「忘れる」ことなのだと言う。これは「相手を赦すことの強さ」、つまり『優しさ』で歌われた強さであり、風くんの言葉を借りれば 


Kindness is a bad ass.
(優しさって「くそカッコいい」)


なのである。



【ラスト1行で引っくり返る】


ところが、ここまで「ダイイング・メッセージ」だと思って読み解いてきた物語は、最後の1行で引っくり返る。

あぁ今日からどう生きてこう

この構造は、前編で取り上げた『何なんw』と対になっている。『何なんw』も最初の1行目で「あんた=恋人」とミスリードさせる仕掛けが施されていたが、『帰ろう』は最後の1行で「そういうことだったのか!」と思わせる仕掛け。もうすごすぎる…このアルバムは曲順を緻密に配置して、たくさんのものがシンメトリーになっており、わずかなムダもない。


【最終回を先取ること】

さて突然だがここで、ライムスター宇多丸さんが自身のラジオで『さようなら、ドラえもん』について評した言葉を引用したい。『さようなら、ドラえもん』については説明しないが、下の画像を見てもらえば大抵の人は「あの話ね」と思って頂けるのではないだろうか。

画像7


――『ドラえもん』というシリーズ、作品全体にとっては・・『さようなら、ドラえもん』という、ある意味完璧すぎる最終回っていうのを先取りしてやっておいたことで、「この話は、のび太の決定的な成長が来た時点で、いつか終わり得るんだ」という予感をはらんだまま続くという。
なおかつ、さっきのび太の成長要素みたいなのは、むしろ、大長編ドラえもんのほうに集約型でそっちいってっていう。しかも、そっちも日常顔は進捗はしないという、成長はしきらないという微妙なルールのもとで進むという・・よく考えるとかなり変わった、すごく微妙なバランスなんだけど、長寿作品化にはプラスになったシフト。最終回を先に終わらせているという、なかなか珍しいシリーズなわけですね。――(2014.08.30.『ウィークエンド・シャッフル』より一部抜粋)

先に物語の最終回を作ることで、通常回も活きるという指摘だ。翻って、『帰ろう』も人生の最終回(死)の迎え方を先に決めることで、日々をより幸せに生きたいという心の持ちようの話ではないだろうか。

それを踏まえて歌詞を冒頭から見ていく。

あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明に消えて
もう二度と 交わらないのなら
それが運命だね
あなたは灯ともして
わたしは光もとめて
怖くはない 失うものなどない
最初から何も持ってない


続く歌詞に「5時の鐘」とあることからも、「あなた」は帰宅しようとしている。帰宅=「夕日に溶ける」、夕食を食べる=「灯をともす」だろう。
だが「わたし」は家には帰らない。日の出に向かって消えていくという。
端的に生者と死者の「別離」ともとらえられるが、もし「あなた」と「わたし」が同一人物だとしたら?

画像8

【心のアップデートという解釈】

そう、『帰ろう』は今日までの自分=「わたし」明日以降を生きる自分=「あなた」と読み解くことも出来る。
充電したiPhoneが深夜にOSをアップデートするように、明日からよりよい自分になる、「生まれ変わる抱負」の歌とも解釈できる。
なぜなら『何なんw』が、まさにそういう歌だっただからだ。


オルターエゴのハイヤーセルフからのエールが『何なんw』ならば、『帰ろう』はそのアンサーソングなのだ。
ここにも対の構造があるし、だからこそこの2曲はブックエンドのようにアルバムの最初と最後に配置されなければならなかったのである。

ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』もそうであったように、『HELP EVER HURT NEVER』は非常にコンセプチュアルで、通して聴くと1つの私小説のようになっている。


自意識と自己嫌悪に悩む主人公が、いかにそれを乗り越えるか-そのヒントとして提示されるのが、「愛」や「執着からの解放」である。
例えば『キリがないから』は、過去にすがるのではなく、「今を生きる」ことの必要性を説いていて、これは『青春病』でも繰り返されるテーマだ。


もっとも、風くんは過去を振り返ること自体を否定しているわけではない。『さよならべいべ』では自分を育ててくれた故郷そのものに感謝をつづっているし、過去を慈しむという行為は、やはり『旅路』でも繰り返される。


また、執着そのものをテーマにした『罪の香り』や『死ぬのがいいわ』みたいな曲があることからも、白黒つけることを是としているわけではないだろう。むしろ「白黒つけられない」のも、その世界観と言える。まさにカフェオレなのだ。

【ショーストッパーとしての『帰ろう』】

それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く

アルバムの各楽曲が小道だとすれば、『帰ろう』はまさに国道だ。それぞれで歌われたことが、この一本道に集約されていくのだから。
武道館のワンマンライブのDVDを観た時に、改めてこの楽曲の素晴らしさを再確認した。セットリストは基本的にアルバムの順番通りで、『さよならべいべ』で盛り上げた後、『帰ろう』で大団円を迎える。

コロナ禍ということもあり、みんなが彼に癒しを求めていた。鬱屈とした現実を抜け出し、武道館に作られた最高の夢の世界を満喫していたのだ。
しかし楽しい時間には必ず終わりがある。それぞれが、現実に帰らなければならない。『帰ろう』は、そんな現実に戻る人達に贈られるエールなのだ。

「明日から頑張って生きていこう」

そう思わせてくれる勇気をくれる曲。ライブを締めくくる上で、これ以上完璧な曲があるだろうか。天井から白い羽が降り注ぐ中で、アウトロのピアノを弾く風くん。すると曲の終わりと同時に、その黒髪に羽がくっつく。
この光景が本当に神々しくて、僕は彼が本物の天使なんじゃないかと思ったくらいだ笑。(実際の映像は是非DVDを購入してご覧頂きたい)

2021年の絶望的な日本にあって、唯一といっていいくらいの明るい話題が、大谷翔平の大活躍である。個人的には、風くんも同じベクトルにいる。2人とも圧倒的な天才かつベビーフェイスで底が見えない。ある種の神話だし、だからこそ語り継いでいかなければならないと思わせてくれる存在だ。


1年も前のアルバムのことについて、ようやく自分の中で言語化することが出来て、ひとまずホッとしている。次回は、『青春病』のやや難解なMVについて考察したいと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?