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『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』を読んで思ったこと(後編)

前回の前編では、本書のテーマの1つである「M-1グランプリ」の審査基準の曖昧さについて述べた。というか実際はかなり明確なのだが、視聴者と審査員の間に認識のギャップがあることが問題だということも述べた。

特に近年は上沼恵美子の審査方法に対してネット上でバッシングが相次ぐなど、「視聴者=審査員の審査の審査員」状態になっていて、それは違うんじゃないかという趣旨を書いたつもりだ。

今回は本書のタイトルにもなっている、関東芸人(非吉本と言い換えてもいい)が優勝できない」ことについて、「別に優勝する必要なくない?」ということを書いていきたい。なぜなら著者の塙さんも恐らく、後進の非吉本所属芸人(≒関東芸人)に


「M-1で優勝して俺たちの仇を取ってくれ!」


なんて全く思ってないだろうから。この本はナイツというコンビの芸人史でもあり、「M-1」以降のお笑い芸人のセカンドキャリア論でもある。

結論から先にいえば、M-1で一番大事なのは

①決勝の舞台にあがる


②そこで大爆笑をとる

という2点であって、必ずしも優勝する必要はないということだ。

具体例をあげよう。M-1第2期以降で最もM-1の恩恵を受けたコンビは、間違いなくメイプル超合金だ。彼らは2015年の決勝のトップバッターで、結果だけ見れば7位という下から数えた方が早いくらいの点数だった。
しかし彼らの漫才はとにかくハネた。見返してみればオチで噛んでるし、「カズレーザーがイカれている」というワンパターンの引き出しだけで構成されているので、妥当な順位だとは思う。しかし当時は「これ出番が後ろの方だったら絶対もっと順位上がっただろう」という声が多く、とても大きなインパクトを残した。

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直近の王者の霜降り明星はこれからどうなるか分からないが、少なくともトレンディエンジェル、銀シャリ、とろサーモンの3組よりメイプル超合金はお茶の間で観る機会が多い。そして彼らは現状で漫才を披露することはまず無いし、この4年間で「カズがイカれている」以外のフォーマットのネタも作ってこなかった。完全にテレビにシフトしたといえよう。

それが良いとか悪いとかでなく、M-1はテレビで活躍するネクストスターの登竜門だ。前編でも触れたが、面白いネタを書く筋力とバラエティ番組のひな壇やワイプで笑いを取る筋力は全然別のところにある。スタジオの流れを読んで裏回しをしたり、間を埋めるツッコミをして俳優やアイドルの平坦なエピソードを面白く調理するのは、自分の世界観にこもるタイプの芸人とは食い合わせが悪い。しかし、現状のバラエティで何より求められるのは空気を読む力に他ならない。結果、M-1で優勝してもテレビで活躍出来ない芸人やキャラ一辺倒の芸人は更なるブレイクスルーを求められることになる。

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例えばオードリーは、その境遇を含めてメイプル超合金に似ている。彼らもM-1で優勝しなかったものの、敗者復活からの準優勝という大きなインパクトを残した。その年は優勝したNON STYLEよりも圧倒的にブレイクした。ネタも「春日がヤバい」というキャラクター先行型で、恐らく翌年以降M-1に参加しても勝てなかったように思う。

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オードリーが真に凄いのはすぐに軌道修正をはかったことだと思う。春日は「無理してるけど、根はマジメで全然面白くない」という方向にシフトしたし、「じゃない方芸人」を演じていた若林が「人見知り」「こじらせ」という穿った性格を押し出すようになった。コント漫才でゴリゴリのキャラクター芸だったのに、それを全部リセットしてどんな現場にも対応できる芸人にアジャストしたのだ。

同じことはM-1でブレイクし、現在も生き残っている全ての芸人に言える。本当に例外なのはザキヤマくらいだ。彼はあのキャラクターをM-1以降さらに加速させたが、アレが出来る人は日本で彼しかいないので納得だ。でもザキヤマを除けば、コント漫才でブレイクした芸人はみんな大なり小なり軌道修正せざるを得なくなった。M-1は良くも悪くも影響力が大きいのだ。

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俯瞰的に見れば、むしろ優勝しない方がオイシイんじゃないの?と思うことすらある。南海キャンディーズ、オードリー、メイプル超合金、カミナリ、ハライチ、それにもちろんナイツも。優勝していない関東芸人は、しかしめちゃくちゃ売れっ子だ。彼らは優勝は出来なかったが、きちんと笑いを取った。塙さんは本書の中で「M-1ではウケた記憶がない」と書いているが、2011年のTHE MANZAIのテレビドラマネタがハネにハネた。

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「のりピーーーー」
「悲劇のヘロインになってしまいました」

で爆笑問題の2人が手を叩いて爆笑する瞬間は、何度見返してもカタルシスに満ち溢れている。優勝はパンクブーブーだったが、あの大会の最大瞬間風速は間違いなくナイツが持っていった。要するに優勝できなくてもウケてインパクトを残せば、それでいいじゃんってことだと思う。

同じくTHE MANZAIでいえば、ウーマンラッシュアワーが、政治的な風刺に満ちたネタを披露した時も大きな話題となった。以降村本は活動家路線に舵を切り、スタンダップコメディの武者修行でアメリカ遠征をしたりしている。

「政治的発言をしたから干された」
「テレビで見なくなった」

とネガティブな意見もあるが、これはこれで舞台にこだわる芸人としてアリだと僕は思う。何より本人が幸せならそれでいいじゃないか。

結局のところ賞レースでてっぺんを取ることをモチベーションにやってちゃダメなのかもしれない。もちろん決勝まで残らないと爪痕さえ残せないし、そこに行く実力がなきゃ売れない可能性が高いのも事実ではあるが、それとテレビで芸人として大成するかは別問題だから。つまり勝つことより、観客を一番笑わせることに心血を注ぐコンビが最後に笑うのである。

最後にハライチの岩井さんが自身のラジオで、審査員の上沼恵美子に噛み付いたスーパーマラドーナの武智に対して言った言葉を引用したい。

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(岩井勇気)言うんであれば、もう出ていって開口一番、「お前の審査なんか俺は全然あてにしてねえからな!」って言ってから漫才を始めた方が俺はいいと思うのよ。それを表明してから。
(澤部佑)フフフ、それはやっぱりどこかにあるんじゃない? 「それを言ったら絶対に点数が下げられちゃうから」っていうのはどこかにあるんじゃない?
(岩井勇気)そうでしょう? だからM-1のラストイヤーが終わるまではずっとゴマすってたっていうことじゃん。それを言わないで。それはだからおかしいなって俺は思うわけ。

まさにぐうの音も出ない正論。もちろん実際に言うべきではないが、そのぐらいの気持ちでやれということか。これはもう結果論でしかないけどね。
ただ前編でも触れたけど、結成15年以内という縛りがまたベテラン勢の必死さ、この大会に命賭けてます感に拍車をかけている部分は間違いなくあって、そのヒリヒリ感も視聴者的には面白かったりするのだが。要するにM-1が残酷ショーなのは間違いなく事実であって、でもそこを理解した上でセルフプロデュースできるクレバーな資質を持った人達が、これからのお笑い界を牽引していくのだろう。

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