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「オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。」というお話(42)

(ようやく病気との付き合い方にも慣れてきたので、のろり、そろり、趣味の作文を再開したいと思います。最近noteに実装された「AIアシスタント(β)」や他のAIのお世話にはならないで書いています。駄文な上に脱線も多いですが、どうぞ、よろしくお願い致します)。


前回のnoteでは、廣瀬さんが有吉氏から学んだ「体癖理論」「整体」を、自らは喧伝されなかった理由の一つとして、廣瀬さんのパーソナリティーをあげさせて頂きました。

廣瀬さんは、一人、深く物事を探究するのが好きで、他人から気軽に物事を教わることができない不器用な完全主義者で、さらに他人には過度に期待しないことを潔しともされていた…。故に「廣瀬さんにとっては、他人に物事を伝えたり、教えたりするのは我々の想像以上にハードルが高い作業だったのでは無いか?」というの私個人の見立て。

今回から、もう一歩つっこんで、廣瀬さん、ご自分が書いたり話す文字や言葉に関して、ある種の制約のようなものを設けてらっしゃったのでは? というお話になります。とりわけ、自転車にまつわることについては。つまり「廣瀬さんと言葉や文字との距離感についての考察」ですね。

まずは、その一端を表していると思われる、あるエピソードから始めさせて頂きたいと存じます。
わざわざお店を閉めてまで、「言葉」では無く、「後ろ姿」で、私に、自らのライディングテクニックを伝えようと二人きりのサイクリングに誘って下さった時のお話です。

このサイクリングは、私と廣瀬さんとの「会話」の質を変えるきっかけとなり、後にYouTube製作、さらにはこのnote作りにも影響を与えた出来事です。

あわせて、これら発信にまつわる事柄として、私自身のバックグラウンド。放送局員時代のこと等についても、少々長くなってしまいましたが、書かせて頂きました。


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設計にまつわること 28 「オーナーさんという最重要パーツについて その5 廣瀬さんとの対話-A」


ありし日のサイクルストアー・ヒロセと私の初オーダーヒロセ車

私が、廣瀬さんで1台目のオーダーをし、それに乗って走行会に参加した後のことでしたから、2011年頃のことだったでしょうか。
既に廣瀬さんがこれまで作られた自転車を一台一台、静止画で紹介するHP作りは行っていましたが、YouTubeでの動画紹介には着手していなかった時分のお話。

ある日、いつものように、ロードのサドルバッグにカメラを突っ込み、ヒロセさんに撮影(=遊び)に行くと、作業中だった廣瀬さんがおもむろにエプロンを外し、店を閉める準備を始めました。
何処かにお出かけかと思いきや、いつに無い真剣な表情で「ちょっと、一緒に走ろうか。」とのお言葉。

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YouTube動画も含めた私のヒロセへの取材とアウトプットに対し、ご評価を頂ければとても有り難いです。どうぞ、よろしくお願い致します。(廣瀬秀敬自転車資料館 制作者)