明るい物語と、暗い物語の、存在価値。



今日は悲しい出来事があって、ふと、この世界に明るい物語と暗い物語の両方が存在するのは何故だろう?と考えました。

明るい話、喜劇だけで十分なのに、なぜあえて暗い話を作るのか?

いま浮かんだのは、暗い話にも人を癒す力があるからだ、ということです。

僕自身も暗い小説を読んでショックを受けたことがあるけれど、こんな話がなぜ存在するのかと落ち込んだけど、同時に、自分の抱えていた暗さ、もっといえば闇みたいなものを、物語の中で他者と共有できて、自分一人じゃないと思えて、それが癒しになった気がします。

↑長文だけどあえて切りません。

世界はどんどん分かりやすさを求めている気がします。キャッチーな言葉、短文でまとめる能力、キャプションの巧妙さ、でも早く短くの先にあるものってなんなんでしょうか。

片方に極端に寄れば、揺り戻しがきます。歴史ってその繰り返しだと思う。

遅く長くの筆頭は小説で、古典の上中下にわかれた長文小説なんて開くのも苦痛だけど、でも、その価値が見直されて、読む人が増えるんじゃないかなと思います。なんかおれ偉そうだな。まったく読んでないんですけどね。

僕も食わず嫌いせずに、また何か読んでみようかな。でもツイッター見るのに忙しくてあっという間に寝る時間の毎日です。でも今日は見ないと誓います。ああ、鳩のマークを押したいっ!


とりあえず、複雑な事象に対して結論を急がない、って重要だとあらためて肝に命じました。

みんな、夜ご飯はちゃんと食べようね。



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