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『それは魂の衝動だった』#勝手にnote CREATOR FESTIVAL 2021


ほとばしる想いだけで私たちはここまで来ました。

やる前に、とやかく言うのは簡単です。外野はなんとでも言えます。

頭で思い描いたときは最高傑作だったとしても、いざ形のあるものとして眼前させたとき、それは泥雲の差だったということも多々あったでしょう。


それでも私たちは、ここまで来たのです。

過去は恥ずかしくて消し去りたいことばかりかもしれません。実際に削除したこともあったでしょう。「もう、ここまでにしよう。今日限りにしよう」と思ったことも、一度や二度ではないかもしれない。

それでも、今日もまた、こうやって形のあるものとして、残しているのです。


いったいなんのために?

誰かに「スキ」をもらうために?

それもあるでしょう。

でも気まぐれな他者の「スキ」のためだけに、私たちは創作を続けられるのでしょうか? 

おそらく、それ以外の、深い理由があるはずです。

私たちが、一番最初に投稿しようと思い、創り、そして「公開設定」を押下したときの、あの気持。

覚えていますか?


最初に投稿したときの、あの気持。

私は、世界に一石を投じるとか、そんな大それたことではなかった。大勢の人に読んでほしい、とかでもなかった。ただ、書かずにはいられなかった。新しいなにかを始めたかった。今を変えたかった。今につながる未来を変えたかった。変わるかどうかはわからない。でも、なにかを残すことで、自分を変化させたかった。自分の進んでいく道を、その先を、未知のものにしたかった。


それは魂の衝動だった。

衝動だけでいいはずだった。他者の目とか、世間の目とか、運営の目とか、コンテストの目とか、そんなのどうだっていいはずだった。

思い出そう。

私たちが最初に投稿したときの気持ちを。純粋な気持ちを。いろんなことを気にして、公開できなくなるくらいなら、何も考えずに「公開設定」を押そう。完成度とか、過去の作品に比べてとか、キャラじゃないとか、こんなこと言ったらうんぬんかんぬんとか、



きみの衝動はそんなものか?


きみの魂の衝動はそんなものか?


きみは後悔しないのか?


きみは死ぬ間際に後悔しないのか?






あのとき「公開しておけばよかった」と。





えー、ただ今より、「勝手にnote CREATOR FESTIVAL 2021」の開催を、ここに宣言いたします。

今こそ初期衝動に従い、己の表現したいことを表現し、正々堂々と、魂の衝動に忠実なることを、ここに誓います。


2021年10月16日 広瀬健太


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