短編 『サラダだから冷める心配もない』

ケチャマンの意味がわからなくて、え、ケチャマン?と聞き返したら、女の子の日だよ、と笑われて3秒後に意味がわかる。あの単語とあの単語の組み合わせか。下品だけどセンスがあってなんか可愛い。

僕にとってはどちらも食べ物、と言いそうになって止める。さすがに変態がすぎる。変態キャラでとおしてるけど、羞恥心はある。というより女の子には良い印象をもたれたい。良い印象をもたれてどうするのか?決まってる、

売買するのだ。

今から10年以上前。スマホじゃなくてガラケー時代。もちろんラインもない。メールをちまちま打ってやりとりしていた頃の話。

時代を今に設定した方がわかりやすいのかもしれないけど、僕は今の女の子とのやりとりはわからない。わからないものを想像で書くと、わかる人が見れば白々しい嘘でしかない。なるべく嘘はつきたくない。小説の中での嘘は、大きな一つだけで十分だ。

僕は1年間、実家に引きこもって泣いていた。大恋愛を自分で終わらせ、好きなのかどうかよくわからない複数の女性と同時多発的に関係を持ち、徐々に壊れ、将来がまったく見えなくなり、ついに家族からの強制送還をもって、日本の外れの果ての田舎にある実家でくたばっていた。むかしの日本には流罪という刑があって、まさに自分の状況が流罪そのものだった。何の罪を犯したのか誰も教えてくれなかった。

歩けるようになってから深夜、ひとりで海辺に行って、砂浜に穴を掘って写真を燃やした。ありとあらゆる写真を。東京にいた頃は気取って一眼レフを首からぶら下げて、渋谷とか原宿とか表参道で写真を撮っていた。彼女も撮ったし、彼女とのセックスも撮った。写真は怖い。その時の感情が真空パックに詰めて保存される。見るたびに心が強く揺さぶられて、その時の僕が何を思って、何を感じて、何を大切にしていたのかがすぐに蘇る。だいたい彼女が写っている。そして強烈な冬の光。夏より冬の方が強い。地面すれすれから視界を射抜いてくる。光を背にして逆光の彼女が笑う。僕はすべてを燃やして実家に戻って布団をかぶってまた泣いた。

1年後に恥ずかしいことに25にもなって家出をする。両親には旅行にいくと伝えてバスに乗り飛行機に乗り東京に再度上陸する。僕は心に決めていた。女に泣かされるのはもうたくさんだ。これからは女を商売道具にして生き延びてやる。流罪の1年で僕の心は完全に冷え切っていた。

毎晩、繁華街の路上に立つ。道行く美女や美少女に片っ端から声をかける。玄人もいれば素人もいる。玄人には出勤の邪魔にならないよう、要件を手短に伝える。「時給5000円です」並走しながら目の前に名刺を出す。無視。95パーセント無視される。立ち止まって話を聞く子はほぼいない。たまたま店長と喧嘩して別の店を探してるとか、たまたま今の店の時給が低くて高い店を探してたとか、そんなんじゃない限り。

人が合う合わない、惹かれる惹かれないは、1秒もあれば十分だ。手をつなげる距離に入って、違和感がなければ、いく。雰囲気が硬直すれば、お互いにとってよろしくない出会いだから、念のために打診するけど、あきらめる。

僕は昔からあきらめが早い。幼少期から体が強くなかったのであきらめるのには慣れている。みんなが走ったり野球したりサッカーしたりするのを眺めるだけだから、僕はみんなのようにできないんだと小学生で悟る。悟るというより、それが当然だから何も考えずに受け入れて、僕は走るのをあっさりとやめる。

同業他社は怖い風貌の人が多いので、僕のような素人キャラは需要があったのか、一定の成果を出して食べていけるようになる。

最盛期の僕の美女レーダーは、視界半径が100メートルはあった。顔が見えなくても美少女かどうか判別可能だった。嘘だと思う人は5分で良いので路上に立って可愛い女の子を探してほしい。可愛い子は顔じゃない、全身だ、と言う僕の感覚がなんとなくわかってくれると思う。

深夜1時の終電後までが僕の勤務時間だった。駅のシャッターが下りたら人はいなくなるので、適当に居酒屋に入って遅い晩飯を食べて寮に戻る。会社は地方出身者のために寮を完備していて、それは狭いワンルームマンションで、帰って寝るだけの場所だった。

このペースで書き続けると、ディケンズのオリバーツイストみたいになるのでやめる。読んだことないけど。いや読みかけて詰まらなくて本棚にしまったままにしてあるってことを、僕はリナさんに説明する。

「バッカじゃねーの、おまえ気持ち悪いよ、オリバーツイストとか、読むやついねーよ」とベロンベロンに酔ったリナさんは、でも少し嬉しそうだ。

彼女は文学部出身だったので、僕は琴線に届けと、オリバーに犠牲になってもらった。リナさんが夜の街に来た理由は知らない。僕も話さない。恒例の居酒屋晩飯に向かってる途中で、ドレス姿の女性がビルに向かって嘔吐していた。僕は傘を差し出した。雨がしたたる前髪の間から、美しい目が僕を睨んだ。

リナさんは歌舞伎町の有名なキャバクラのキャストだった。雨は嘘じゃなくて本当に降っていた。土砂降りだった。僕は背中をさすり、ひとしきり吐かせた後で、彼女の肩を抱いて、雨やどりもかねて駅前の居酒屋に入った。

酔って呂律の回らないリナさんは、テーブルに突っ伏して、寝たかと思ったら起きてカタコトで何かを叫び、また寝るの繰り返しだった。僕はサラダと野菜炒めとご飯セットを注文して、たんたんと食べた。

トイレに行く、と立ち上がったリナさんはふらふらなので、僕はまた肩を担いで、トイレまで付き添う。しばらく待っても出てこないので、ドアをノックして生存確認すると、うるせーなーと返ってくるので安心する。ドアが開いたので、抱きしめて、ついでにキスして持ち帰る。

裸のリナさんが、あたしケチャマンだよ、と言ってゲラゲラ笑った。身体は痩せていた。僕はかまわずに中に入って触れると、リナさんは幼い声を出した。



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