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短編「夢の底で」


豪徳寺ケンくんにはじめて出会ったとき、彼は喧嘩の途中でした。

渋谷のTSUTAYAの1階で、バンドマンと殴りあっていたのです。パントマイムをしているようにも見えました。楽しそう。そのくらい、2人ともお酒に酔っていました。夜の10時近くでした。

バンドマンは、インドの水牛のように痩せていて、スーパーマリオに登場してもおかしくないようなトゲのたくさん付いたジャケットを着ていて、ピタピタの黒いパンツは沼から這い上がったばかりで張りついちゃった、といういでたちでした。ディスってません。事実をできるだけ正確に伝えたいだけです。

ケンくんが「おま☆☆、おま☆☆」と叫んでいて、あまりにも下品で噴飯してあとで問いただしたら、「おまえ、このやろう」と言ってたらしく、頭に血がのぼっていたのと、酔っていたせいで、ろれつが回らなかったみたいです。おまえ、このやろう。おま、このお。おま、こ。おま☆☆。まあ、とっさの言い訳にしては上出来ですね。信じませんが。

さて喧嘩の理由は、巷でよくある「背中にかついでいたギターケースがアゴにぶつかって脳震盪をおこしたのに謝罪がなかった」というアレです。タワーレコードなら通路が広めなので大丈夫だったかもしれませんが、ここはインドの路地裏ってぐらいに狭いTSUTAYAなので、もうダメですね。壁がすぐそこ。裁判したらTSUTAYAにも責任配分が50%は下りません。

バンドマンが、友達に呼ばれたか、お目当のCDを見つけたかで、踵をかえした瞬間にケンくんのアゴにギターの棒の部分がクリーンヒット。あやうくアンビュランス。叶姉妹がよくつかう言葉はファビュラス。ここで3分の時間をつかって三段落ちを考えたのですが、最後がスで終わる単語が浮かびません。

スーパーマリオブラザーズ。

ケンくんとバンドマンの間に入って止めたのが、私でした。こう見えて、なぎなたが使えるのです。なぎなたってわかりますか? 長い長い棒の先に刀がついてるアレです。槍とは違います。槍は、と、ここで熱く語ると古武道と宮本武蔵とバカボンドの話になるので、ぐっとこらえます。今回はケンくんとの馴れ初め。

なぎなたの代わりに、手に持っていた日傘で、わりと長い日傘を愛用してるのですが、それで2人のレバーを突きました。的確に。寸分違わず。2人とも床でゴロゴロし始めました。

バンドマンは仲間が連れ去り、ケンくんは口からよだれを垂らして眠っていたので、すこし自己嫌悪に陥って「大丈夫ですか? 救急車を呼びますか?」と顔を近づけたらそのままキスされました。

道玄坂まで、ケンくんの肩を支えて歩きました。月が出ていたかどうかはわかりません。渋谷の夜は明るいから。高い建物もたくさんあって、たしかにここは地名のとおり谷底です。東京の谷底には夢がたまるのです。

熱帯夜でした。インドの雨季の夜みたいに、耐えがたい湿気が露出した腕とか、生脚とか、胸もとにたまって、流れていきます。私のミニスカートも太ももに張りつきました。東京プリンスホテルのナイトプールから出たときみたいに。

「なんかしんないけど、お腹が痛いから、ちょっと休ませて」
「どこ行くの?」
「夜の果て」

おまえもバンドマンか。まあ、いいでしょう。センター街を抜けて、東急デパートの前を通過して、坂をのぼっていきました。

お城の中で、夜の果てで、夢の底で、2人ともぐっすりと朝まで眠りました。何も考えなくてもいいんです。




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