見出し画像

【短編】 「ストロベリー & シガレッツ」


高校時代の一大イベントといえば放課後に女の子といっしょに帰ることで、高1の真冬に「サクライ、いっしょに帰ろ」とクラスの女子に声をかけられた。

女子の名前は冗談みたいだけど真冬で(後日、クラスの男子に「真冬に真冬と帰った」と当然のようにからかわれるも、高1の男子の知性なんてそんなものだ)、雪の降る寒い帰り道で、とくに話すこともなかったので「真冬に生まれたの?」と聞いたら「真夏に生まれた」とこたえたので意味がわからず「意味がわからない」と重ねたら「8月生まれなんだけど、ひどい冷夏で、真冬みたいに寒かったから父がつけたの」と言った。

真夏に生まれたのに真冬という名前をつけられた女の子はその後の人生を屈折して生きた、といえばそんなことはなくて、持ちネタみたいなもので彼女は誰からも好かれる人気者だった。ショートカットで背が低くてハキハキと思ったことを口にする子。男子に好かれようと媚を売らないキャラで女子からの信望もあった。

真冬がどうして僕に声をかけたのか、もうだいぶ昔のことなので正しくは思い出せないけれど、単純に帰る方向が一緒だったからだと記憶している。僕は寮に入っていて、その近くに彼女の家があった。

高校生なのに寮で暮らしていた理由は、僕の実家がすさまじい田舎で近くに高校がなかったためだ。15歳で家族と別々に暮らした。寮生活はとても厳しかった。大学に進学するために高い学費と寮費を親が出しているんだから勉強に専念して当然、というもっともな理由で部活動は全面禁止だった。

僕は天文学サークルに入りたかったのに入学式初日にその夢はついえる。古臭い田舎の価値観。東京に来てびっくりしたのは進学校ほどちゃんと部活動をやっていたという事実だ。もうあんな閉鎖的な田舎の高校には二度と通いたくない。生まれ変わっても。

真冬の(この真冬は季節をあらわす。ややこしいので、以下、真冬のことはマフユとカタカナにする)両脇を田んぼに挟まれた細い農道は、雪がふきつけるので気温以上に体感温度は低かった。手袋をしていても冷たくて霜焼けになりそうで、手はダッフルコートのポケットに突っ込んだままだ。

これが大人の二人だったらすこし距離を縮めるところかもしれないけれど、僕もマフユもまだ高校1年生でとくにしゃべったこともない間柄だったので、傘一つぶんくらい離れたまま15分ぐらい歩きつづけた。ずっと黙っているとマフユが聞いてきた。

「サクライって、中学時代に彼女がいたって、ほんと?」
「ほんとだけど、誰から聞いたの?」僕はとくに話した記憶がない。
「みんな言ってるよ。中学生なのに、やるねって」
そしてまた沈黙。

キスしたの? セックスしたの? とか聞いてきたら面倒だなと思ったけれど、寮に着いたので「じゃあ」と言って別れた。

中学時代に彼女がいたこと、恋愛について、マフユはたぶん何か大きな勘違いをしていた。少女漫画みたいな綺麗な楽しいストーリーを想像していたのかもしれないけれど、実際はもっとドロドロしていて悲惨で、つまり酷い四角関係で全員で傷つけあって別れた。

僕はノートに「こわれる、こわれる」と何ページにもわたって書きなぐっていたし、リストカットという言葉がなかった時代にプラスチックの下敷きを砕いて手首を切った。誰にも相談できなかった。

3人は別々の高校に行き、1人は後輩だったので中学に残り、4人の関係は自然消滅する。僕は誰とも顔をあわせたくなかった。遠く離れた高校に行けてよかった。女は感情的で喜怒哀楽が激しくて嘘つきで利己的でわまままでどうしようもない生き物だと結論づけた。

マフユはその後もたびたび一緒に帰ろうと誘ってきた。二人きりになったらやっぱりなにも話すことはなかった。これが映画だったら「サクライ、あたしにもキスして」とか言うのかもしれないけれど、現実はそんなにドラマチックではない。

高2から文系と理系がわかれるシステムで、マフユは文系に、僕は理系に進んで、会わなくなった。高2の夏にマフユは父親の転勤で県外に行った。

僕の女性に対する不信感はずっとつづく。ずっとずっと。女性は裏切る。女性の言葉なんかその場限りで信じるな。心を許すな。ずっと彼女をつくらず、上京してからもほとんどずっと一人でいた。

二十歳の正月に帰省したら、高校時代の友達から飲んでるから来なよと誘いがあった。バスと電車を乗り継いでもまだ間にあう時間だった。「マフユもいるよ」と電話口で誰かがいった。「マフユって?」とほんとうに忘れていて聞き返した。「久しぶりだね」と電話口で女性の声がした。

片道2時間かけて22時過ぎに友達の家についた。なつかしい顔ぶれが4、5人で飲んでいて、胸元の大きくあいた赤色のセーターを着ていたのがマフユだった。視線をそらすのは逆に不自然なので「そんなに胸おおきかったっけ?」と聞いたら、前からだよと笑った。

23時過ぎにマフユは帰るから送ってとブーツを履いた。5年ぶりにあの道を並んで歩く。雪は音もなく降るので、雨よりも静かで好きだ。そんなことを言うと、マフユは、ねえ、覚えてる?  と立ち止まった。「二十歳になっても、お互い1人だったら付き合おう、って約束したこと」

覚えてるわけがなかった。なぜならマフユのウソだったからだ。僕はなにもこたえずに、顔をマフユの唇に近づけた。

ずっとこうしたかった、と僕は思いもしなかったことを口にした。ほんとうは高1のときに色んな話がしたかった。暗い夕方の、寒い雪道で、街灯がポツポツとしかない寂しい道のりで、マフユが黙ったまま一緒に帰ってくれたことを僕はほんとうは嬉しかったしとても感謝していた。ありがとうって目を見てちゃんと伝えたかった。

当時の僕の壁があまりにも強固で、わずかな隙間もなかったから、なにも力にはなれなかったとマフユが笑った。僕らは何度かキスしたあと、深夜の雪道を並んで手をつないで歩いた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?