見出し画像

弱者をネタにしてスキを集めた、その先のこと。


今から書くことは綺麗事かもしれません。でも、たまには、「こどもの日」ぐらいは、綺麗事を書かせてください。

現代人は僕もふくめてせっかちなので、結論をまずいうと、
「弱者をネタにしてスキをかせぐのではなくて、どうしたら弱者を減らせるのかを考えよう」
というのが本日の主旨です。

かたい? まじめ? いいんです。だって今日は「未来ある子どもたちのための日」だから。つまりは「僕ら全員のための日」だから。


「弱者」という単語は使用を躊躇させるけれど、最初は「マイノリティ」とかに置き換えようと思ったけれど、意味が異なってくるのでストレートに表現します。「社会的に弱い立場の人たち」を、ここでは弱者と定義いたします。

どういう人たち? と思われたかたは、noteやcakesでたびたび炎上している記事とか、その記事がなぜいけないのかを解説されている記事を読んでほしい。ああ、今日は逃げずに書くというのが裏のテーマなので、あえて書くと、路上生活者やいじめ被害者、被虐待者、行き場がなくて夜の街や、反社にいる人たち、などです。(反社も? 反社もです)

たとえば、「路上生活は悪くない生き方だよ~(キラキラ)」とか「いい人もいるよ~(キラキラ)」とネタにされてしまう人たちです。「いい話を読んだ~(スキスキ)」と感動ポルノの主人公として消費されてしまう人たちです。

広瀬の今の記事もそうじゃん? って言われたら、僕の記事もそうかもしれないけれど、「その人たちを減らすための方法もいっしょに提示するので主旨が異なる」と言い訳させてください。

ちなみに僕も住むところがなくて夜の街で1年間働いたり、限りなく黒に近いグレーの仕事を4年間ほど経験しているので、強者からみれば弱者と呼ばれるカテゴリーにいたかもしれません。当事者に近い立場にいた、ということで話をさせてください。


「弱者を減らすことは大事なの?」という、そもそもの疑問があるかもしれない。「強者は強者同士で仲良くやってるし、一定数の弱者が存在するのはしょうがないから、そこまで大きな問題だとは思わない」と。

では、あえて語弊があるかもしれないけれどいいます。「弱者を減らせれば、おそらくは、犯罪がもっと減る」のです。(Twitterにこんなことを書いたら、弱者=犯罪者と短絡的にとらえられて炎上しますが、「犯罪者になるかもしれない可能性の母数を減らそう」という話です)

犯罪は少なければ少ないほうがいい。理想は0。それは無理でも、今よりももっと減らすことができると信じたい。とくに、いきなりのテロとか殺人とか暴行とか通り魔とかはなくしたい。悲劇でしかないから。

どうして今回、急にこの話になったかというと、『ケーキの切れない非行少年たち』という本を読んだからです。新潮新書。「みんな買って読んでね! 一家に一冊の必読書!」というのが結論なんだけど、大事なのは結論だけじゃなくて道筋なので、進めます。


本の中で、「犯した罪の、反省以前の問題」という重要なフレーズが出てきます。

殺人を犯した少年たちは、そもそもが自分の罪を重大だと認識できていないケースがある。そうすると、なんで怒られているか理解できない。理解できないから反省のしようがない。そして再犯。

殺人を犯した少年に対して、「自分のことをどう思っていますか?」と聞いたら、「やさしい人だと思う」と答えたりします。殺人を犯しても自己認識は「やさしい人」なんです。

読んでてくらくらしたけれど、これが現実なんだと腑に落ちた。むかし、ホストが殺人のあとで呑気に店でラーメンを食べていた、とかいうニュースを見て、「え、なんでそんなことできんの? どんな神経してるの?」とか思ったけれど、もしかしたら彼も「そもそも罪を罪と認識できない人」だったのかもしれない。

善悪とか犯罪とかが分からない。「今やったことに対して将来どういう結果になるのか理解できない」という方がいらっしゃる。そういう人が衝動的に罪を犯して、「これのなにが悪いの?」といわれたら、防ぎようがない。

うーん、どうやって抑止したらいいのだろうか? ということに対する回答が、一縷の望みが、この本には書かれているのです。


僕らが今すぐにできることは、【知る】ということ。

この社会の構成員が、まずは、「罪を罪とは認識できない人たちがいる」ということを知る。 → まずは知ることが重要。対策うんぬんのまえに、そういう人たちがいる、ということを理解する。

知ったあとで、もし、どこかで、そういう人たちと接点を持ったならば、手助けできることがあれば手助けをする。(なんでもいいんです。挨拶をしてみる、だけでもいいと思う。以前にも書いたけれど)

極端な話、大学生はみんな(少なくとも大学に入れたのならば、ある程度は恵まれた環境にいたであろうからこそ)この本を読むべきだと僕は思う。教養課程の必読書にしてほしい。(僕が十冊ほど買って、都内の大学の校門の上に置いておけばいい?)

もし読んでくれたのなら、そのなかの何人かは、教育者になったり、NPOに入ったり、将来子どもをもったりして、「ケーキの切れない子どもたち」に出会うかもしれない。

そのときに、その子たちを理解してあげて、少しでも手を差し伸べてくれる人が増えたならば、非行少年の数を、ひいては成人の犯罪者の数を減らせるのでは、と考えるのです。そんな未来であってほしい。

最後に、本の第一章のラストを引用します。

どうすれば非行を防げるのか。非行化した少年たちに対しては、どのような教育が効果があるのか。そして今、同じようなリスクをもっている子どもたちにどのような教育ができるのか。そうした問題意識を共有し、加害少年への怒りを彼らへの同情に変えること、それによって少年非行による被害者を減らすこと、犯罪者を納税者に変えて社会を豊かにすること、それが本書の目的です。


僕も僕のできることをします。その一歩が、こどもの日の、この記事です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?