記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

ウマ娘映画「新時代の扉」で語られなかった史実解説

ウマ娘の映画「新時代の扉」を拝見しました。
当時を知る競馬ファンとしては、あのシーンが見たい、このシーンも見たいと欲が色々出てしまうのですが、2時間弱という尺の中で、ウマ娘化しているキャラの範囲内で物語を作り上げるという制約の中で、スタッフの方々は最善に近い形で、エピソードの取捨選択をされたと思います。
映画の尺から漏れ出た要素を語り継いでいくのは、当時を知るファンの役目なのでしょう。

というわけで、映画「新時代の扉」を既に観た方を対象に、映画では語られなかった当時の史実をピックアップして紹介したいと思います。主に、映画の復習をしたい方、2,3周目の視聴を検討している方に向けた文章になります。当然ネタバレ満載なので、未視聴の方はご注意ください!!
あえて主観を抑えないスタイルなので、史実を知っている方とは意見の相違があるかもしれません。そこもご注意ください。

過去の執筆した以下の記事と重複する内容もあります。


(1)伝説の新馬戦

1勝もできず引退を余儀なくされる馬の方が多い中、ジャングルポケットの新馬戦は、出走した馬全頭がその後勝ち上がり、ジャングルポケットを含めた4頭がオープンを勝つという伝説の新馬戦でした。
5着のメジロベイリーは朝日杯で「メジロ」に最後のGⅠ勝利をもたらしました。
約16秒離された最下位の馬も翌年5月にものすごい圧勝劇を見せました。
ジャパンカップの走りでタキオンの心に火をつけたポッケですが、実はそれよりもっと前に、共に走った娘たちの心をその走りで奮い立たせていたのかもしれません。

(2)札幌3歳S

OPでレコード勝利をおさめたところだけ描かれた札幌3歳Sですが、タイムだけでなく、下した相手もハイレベルでした。
2着のタガノテイオーは朝日杯で2着、3着の牝馬テイエムオーシャンは後に、阪神JF・桜花賞・秋華賞を勝利。2頭の走りがジャングルポケットの評価を押し上げました。
テイエムオーシャンはウマ娘世界にいるとしたら、テイエムオペラオー(同馬主)とキングヘイロー(同父)に憧れ、カワカミプリンセス(同厩舎・主戦騎手)と仲良しなおばあちゃん子(祖母が桜花賞馬)という感じの設定でしょうか……?

(3)タガノテイオーの死

新馬・札幌3歳Sでジャングルポケットに敗れたタガノテイオーはGⅢの東スポ杯で重賞勝利を挙げ、GⅠ朝日杯では2着と好走します。しかし朝日杯のレース中に故障を発症し、レース後に安楽死処分がとられました。
ジャングルポケットがライバルを失ったのは、実はアグネスタキオンが最初ではなかったのです。
もし、映画のウマ娘世界にもタガノテイオーが存在して、描かれていないところで死に至らないまでも同じような運命を辿っていたとしたら……などと妄想すると、無期限休止を宣言したタキオンに対するポッケの感情をちょっと違った形で楽しめるかもしれません。

(4)テイエムオペラオーが勝った有馬記念について

オペラオーが勝った有馬記念は作中でも描写がありましたが、ネット上での語られ方に思うところがあるのでその補足を。
オペラオーを徹底マークし、進路を塞いだ他馬を卑怯だと言って貶める言葉を時折見かけるのですが、作中で語られているように、強い馬を相手にするならそれは当然のことです。スタートからコーナーの近いコースの多頭数でのレースは、ゴチャついて不利が生まれやすい条件でもあります。(鞍上の和田騎手が当時若手だった分、強く出やすいというのはあっただろうけれど)
結果としてそれが行きすぎたら制裁は当然、批判もある程度は甘んじて受けるべきですが、制裁を食らわない程度にライバルの力を封じるのは騎手の腕の見せ所でもあります。勝負所でオペラオーの外にぴったりくっついて進出を封じていたのは、史実ではアヤベさんの弟にあたるアドマイヤボス。鞍上は皆さんご存じの武豊でした。
ちなみに、この有馬記念のラップタイムを見てみると、中盤からオーバーペース気味になって、みんな直線途中でバテる中、勝負圏内からバテずに走り切ったのがオペラオーだったという内容。実はキレッキレの末脚ではなく、ペース判断とスタミナによる勝利だと思います。

(5)意外と評価されない8戦8勝

年間8戦8勝という偉業を達成したテイエムオペラオーですが、当時、意外と彼を「史上最強」と見る人は多くありませんでした。
理由はnoteの記事一個書ける程度にはいくつか挙げられるのですが、自分はその中の一つに、グラスワンダーとスペシャルウィークに勝ち逃げされてしまったことがあると思います。
両馬がマッチレースを繰り広げた伝説の有馬記念で、当時3歳のテイエムオペラオーは両馬に続く3着に敗れました。2頭との着差はわずかでしたが、ペースと位置取りを踏まえると、着差以上の差を感じたレースでした。
スペシャルウィークはそのレースで引退、グラスワンダーは現役続行しましたが、当時の輝きを放てぬまま引退しました。
ゼンノロブロイが好例だと思いますが、前世代の王者に勝ち逃げされた世代の王者は、強さを評価されづらい傾向にあるものです。
おそらく一部の競馬ファンは、何度テイエムオペラオーが勝っても、その先にグラスワンダーとスペシャルウィークを見ていたのではないかと思います。ダービーを勝ったポッケの先にタキオンを見ていたように。
ウマ娘のオペラオーも、自信満々な振舞いの裏で、もしかすると世間のそんな目と戦っていたのかもしれません。

(6)ボーンキング

弥生賞、皐月賞、ダービーで登場するモブ娘「ウマレナガラノ」。史実ではボーンキングという名前で、意味が「生まれながらの王」。お兄さんにダービー馬がいる良血で、名前の意味からもデビュー前からとても期待されていたことが分かりますね。
しかし、この子デビュー戦でいきなりアグネスタキオンとぶち当たっていて負けているのです。(この子の方が1番人気でした。)それでもめげずに2戦目を勝ち、GⅢ京成杯を制して、さあクラシックの前哨戦というところで再びタキオンの衝撃。ポッケ以上に絶望を感じていたかもしれません。それでもダービーで4着に頑張るのだからメンタル強そうです。

(7)アグネスゴールド

きさらぎ賞でダンツフレームを下し、スプリングSで重賞連勝したアグネスゴールドという馬がいました。馬主はもちろん、厩舎も騎手もアグネスタキオンと一緒。1歳上のお兄さんが活躍していたのも一緒。
ジャングルポケットと並ぶ、アグネスタキオンの対抗馬として注目されていましたが、残念ながら、現実では怪我により皐月賞、ダービーには出られずじまいでした。
もしウマ娘世界に存在していたら、カフェ以上にタキオンと一緒にいそうですが、影も形もないということは、元の運命よりも早くブラジルへ留学しに行ってしまっているのかも?
と想像するのは、この馬、引退後にブラジルで大種牡馬になったからです。

(8)まさかの大番狂わせ

年間無敗を誇ったテイエムオペラオー。実は翌年の初戦、産経大阪杯で格下相手に大敗を喫しています。勝ったのはトーホウドリームという馬。
このレース以外に目立った戦績は特にありません。産経大阪杯は現在のGⅠ大阪杯の前身、当時GⅡだったのですが、ラジオたんぱ杯がGⅠのホープフルSになっているということは、産経大阪杯もおそらくGⅠ。
ということはウマ娘世界のトーホウドリームちゃんはGⅠウマ娘……?

(9)3歳春のクロフネ

「ペリースチーム」という存在感あるモブ娘の元ネタはクロフネ。のちにダートの怪物として覚醒する馬です。新しい競馬ファンにとっては、白毛馬ソダシの父親というイメージが強いかも?
映画の中ではタキオンやポッケの強さを際立たせる、旬の過ぎたドラゴンボールキャラのような不憫な存在になってしまっていますが、クロフネは芝でも3歳春の時点から、底知れない強さを見せていました。
毎日杯では後の有馬記念3着コイントス相手に5馬身圧勝。NHKマイルCでは人気薄の逃げ馬2頭が残る展開の中、後方からぐんぐん伸びてきて差し切り勝利。普通の年ならダービーの大本命になるレベルの強さを見せていました。
当時を知らないファンの方の中には、クロフネってダートでは化け物だったけど、芝ではそこそこ強かった程度でしょ?と思われている方も一定数いると思いますが、芝でも相当強い馬だったと、クロフネとペリースチームの名誉のためにも触れておきます。

(10)テイエムサウスポーとキタサンチャンネル

ダービーで、大逃げを打った「ミナミピッチャー」と、3番手以下を離してぽつんと2番手につけた「コブシノルート」という子がいました。二人の元ネタは、テイエムサウスポーとキタサンチャンネル。史実でも重馬場の2400mとしてはあり得ないペースでガンガン飛ばしていきました。
というのも、この子たち、本来は短距離~マイルの馬なんですね。適性外なのは陣営は承知していたはずですが、それでも出したいレース、それがダービーなのです。
正直勝ち目は薄い。それならば、この子たちらしいレースをしてほしい。その思いが、豊富なスピードに任せた捨て身の大逃げになったのでしょう。ウマ娘たちもそんな思いを秘めて走っていると思うと、ぐっとくるものがないでしょうか?

(11)「新時代の扉」を開くとは?

映画のタイトルになった「新時代の扉」というフレーズは、史実のジャングルポケットがダービーを制した時の三宅アナの実況からとられたもので、当然のごとく映画の中でも用いられています。このフレーズには、外国産馬の出走がこの年から認められた、という背景があります。
日本は欧米と比較すると競馬後進国でした。そのため、内国産の馬と輸入した外国産の馬を同じ条件で走らせようとすると外国産の馬に蹂躙されてしまうので、一部の大レースには外国産馬は出走できないというルールがあったのです。(……という認識で良いのだろうか。大きく間違ってはいないはず。)
クロフネという名前は、その開国元年に合わせてつけられたものです。(クロフネは外国産馬。)デビュー前からダービー出走を前提としているくらい期待されていたということですね。
ちなみに道中で3番手を進んで直線の入りでトップに立った子も外国産です。元の馬はルゼルという青葉賞勝ち馬。
なお、ウマ娘の世界にそういうルールはありません。なので、何をもって実況が「新時代の扉」という言葉を用いたのかは……まあ、テイエムオペラオーの一強時代に終止符を打つ新ヒーローが出てきたぐらいのニュアンスなのかもしれません。

(12)スイープトウショウ

夏合宿でスイープトウショウがポッケたちと走っていたシーンがありましたが、スイープトウショウも3歳2月まで、タナベトレーナーのモデルになった渡辺栄厩舎に所属していました。ちなみに自分が持っている競走馬グッズはジャンポケとスイープの小さいぬいぐるみ2つだけです。

(13)夏の上がり馬エアエミネム

札幌記念と菊花賞はポッケの不調期としてさらっと流されてしまいましたが、その間に史実ではとてつもない新ライバルが登場しています。その名もエアエミネム。
ダービー同日のレースから、菊花賞トライアルの神戸新聞杯まで破竹の4連勝。札幌記念ではジャングルポケットを、神戸新聞杯でクロフネ、ダンツフレームを倒し、菊花賞に出走してきました。菊花賞は毎年、春の実績馬VS夏の上がり馬が予想のテーマになるのですが、この馬以上に鮮烈な台頭をしてきた上がり馬はあまり記憶にありません。テレビアニメ1クール分の尺があったら、新たなライバルキャラとしてきっと登場していたことでしょう。
ちなみに、ウマ娘ではエアシャカールとファインモーションが史実のイメージよりも関係深く描かれているようですが、もし二人の仲を取り持った存在がいたとするなら、それはエアエミネムなのだろうと思います。エアシャカールと同じ馬主、ラッパー由来の名前、ファインモーションと同じ厩舎、出身国なので。

(14)菊花賞

ポッケの物語であるとはいえ、マンハッタンカフェの見せ場である菊花賞はフル尺で見せて来るだろうと思っていたので、さらっと流したのはちょっと意外でした。確かにジャングルポケットにとっての菊花賞は、不完全燃焼感があって、特別な意味を持たせづらいレースではあります。
マイネルデスポットという人気薄の逃げ馬をスローペースで楽に逃がしすぎて、3強と見られていたジャングルポケット、ダンツフレーム、エアエミネムはそれなりに頑張りはするもののマイネルに届かず、セントライト記念4着からの参戦となったマンハッタンカフェが覚醒、唯一マイネルをとらえきってゴール、という内容のレースでした。
セントライト記念4着だったカフェが6番人気だったのはむしろ過剰人気にも思える人気なので、よほど成長と状態の良さが確信できる状態だったのでしょう。

(15)クロフネの覚醒

秋シーズン、ペリースチームことクロフネがダートで覚醒します。ダート路線を歩むことになった経緯にもドラマがありますがここでは割愛。武蔵野S、ジャパンカップダートをいずれもレコードタイムで圧勝。その強さは、多くの競馬ファンが今なおダート最強馬と呼ぶほどのものでした。
当時のジャパンカップダートはジャパンカップの前日の土曜開催。きっとペリースチームも史実通り覚醒していたはずだから、その走りは秘かにポッケの心を奮い立たせる理由の一つになっていてほしいです。

(16)トゥザヴィクトリー

ジャパンカップの道中で一気に進出、スローで進んでいたレースのペースを動かした子がいたと思います。彼女はトゥザヴィクトリー。ドバイワールドCで2着という快挙を果たし、ジャパンカップの2週前には5頭の大激戦を制してエリザベス女王杯を優勝、ジャパンカップ後は有馬記念でメイショウドトウとテイエムオペラオーに先着し3着に入った名牝です。

(17)JC前のテイエムオペラオーの心境

映画では、ジャパンカップでも堂々とした覇王らしい振る舞いを見せていたテイエムオペラオーですが、実はJC前の3戦はいずれも2着入線。覇王の名に疑問符がつき始めた状況でした。(ちなみにですが、「覇王」という呼び方はリアタイではあまり聞いた記憶が実はない。)
もうこれ以上は負けられない。そんな思いを秘めてジャパンカップに望んでいたはずです。史実でもそんな気迫を感じる素晴らしい走りを見せてくれました。
映画の中で、「秋初戦も結果的には1着だった」という微妙な言い回しがされていたと思います。これは京都大賞典のことで、1着に入ったステイゴールド(映画の中ではシャインフォエバー。馬名には9文字制限があるので多分「フォエバー」)が、ナリタトップロードの進路妨害をして落馬させたことで失格になり、2着のオペラオーが繰り上げで1着になったのでした。

(18)その後

史実では、アグネスタキオンだけではなく、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ、ダンツフレームも故障により志半ばでターフを去ります。
ついでに言うなら、先に触れたタガノテイオーだけでなく、メジロベイリーもクロフネもボーンキングもアグネスゴールドもエアエミネムも怪我のせいで夢を絶たれます。
映画は同期4人がレース前の地下馬道に集結し結末を迎えますが、あれはアグネスタキオンだけでなく、他の3人のうち最低1人は悲しい運命を乗り越えなければ実現の難しい結末なのです。
タキオンの故障が想像より軽傷であるなら、翌年の天皇賞(春)のタイミングでぎりぎり間に合う気はしますが、そこに間に合わない場合、確か翌年の宝塚記念の前にジャングルポケットが故障し、ジャングルポケットが故障から復帰するまでにマンハッタンカフェが凱旋門賞遠征で故障して引退するので、最低でもポッケかカフェも運命を覆していないと4人が集結するのは難しいはずです。
この世代の強豪が集結したドリームレース。せめてウマ娘の世界では実現されていてほしいなぁ……という願望を締めの言葉とさせていただこうと思います。

オークス馬レディパステルに小さな身体のシルバーコレクター・ローズバド、メイショウドトウ悲願のGⅠ制覇、突如覚醒したゼンノエルシドのマイル日本レコード、サクラバクシンオーのレコードを破ったトロットスターのイン強襲とメジロの異端メジロダーリング、サイレンススズカ世代の消えた天才クリスザブレイヴの復活劇、アグネスデジタルの舞台不問な大活躍、海外で悲願達成するステイゴールド、ブロードアピールを完封したノボジャック、超人気薄タムロチェリーまでGⅠ制覇に導く無双状態ペリエ等々、2001年の競馬は語りたいこと満載ですが、きりがないのでここまで。読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?