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根本的な誤解をしていたかも知れない/水汲みの寓話

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

愚にも付かない寓話をひとつ(頭韻を踏んでる)。
「ヒシャクを使って水を汲みなさい。汲み続けたら、生活費を保障する」という世界があったとします。

作業場所は、管理者によって指定されます。水源からの距離は、配属ガチャです。水が涸れているところで、ヒシャクで川底を擦っても、成果がありませんが、作業者に拒否権はありません。
貸し与えられるヒシャクも、運次第です。大き過ぎるもの・小さ過ぎるもの、穴が空いているものなど、さまざま。船幽霊に手渡すように、ヒシャクの底が抜けている場合があります。持ち手が折れていたり、ささくれ立っている場合もあります。

「水がたくさん流れている場所に移動させて下さい」
「ヒシャクの穴を修理させて下さい」
と言うと、評価を下げられます。
文句を言うやつは、社会不適合者です。
「それはキミの役割ではない」
「移動を検討してやるから、水くみを続けてろ(年単位で)」
「水汲みとは、そういうもんだ。いい加減に理解しろ」

見張り役の管理者がいます。
「水を汲ませるだけでは、芸が無い」といって、ダサい歌を歌いながら作業をするように命じます。歌だけでは芸が無いと、足でおかしなステップを踏みながら水を汲めと言います。
歌っても踊っても、水がたくさん汲めるわけではないが、管理者が巡回に来たときは、ヒシャクの手を止めず、満面の笑顔を見せて、歌って踊っていることを示さないと、支給される生活費が増えません。

組み上げた水を回収するとき、管理者の手もとがくるって水を地面にぶちまけます。「せっかく汲んだのに」と恨みがましい顔をしたり、抗議しようとすると、やはり評価が下がる。管理者が水をこぼしても、ヤリガイを持って作業を続けなければならない。

この水汲みをする人たちは、現場から立ち去ることで、人生が終了すると思い込まされているんです。
理不尽と無意味に我慢してこそ、一人前で正当な人間なのだ。もし水汲みの列から外れたら、尊厳を失って飢え死にするしかない。だから、あらゆるガチャと「打ち手なしの無間地獄」に貼り付いていることが正しい大人だと信じて、我慢に我慢を重ねる。そして大学生は老人になる。

これこそ尊厳破壊だと思うのですが、、
「尊厳破壊ですよね」と指摘することすら、憚られる。
巨大な社会の常識に挑戦するようで、とても怖い。
絶望したひと、一等賞。
より深く絶望したひとから、管理者に回る。

身に覚えのないひとは、この寓話はいったい何なんだ?
って感じでしょうけど、まさにこんな感じです。
いや、分かりやすすぎるか。
気が狂いやがった、ぐらいで丁度よかったのだが。この記事を途中で読む気がなくなるぐらいでちょうどいい。

この2ヶ月間、5分ごとに水汲みからの脱出を考えています。動き始めてもおります。残るという選択肢について考えようとしても、身体が拒否します。無力感しかない。話すことも要望もありません。
「ランダムに割り振られた場所で、ランダムに割り振られた道具で、文句を言わず、疑問を差し挟まず、歌って踊って笑顔で迎合して水を汲み、年単位で報われるかも分からない評価に期待する」という前提が強固です。話し合いにならないでしょう。
「だから水汲みの列を離れます」
という結論しか解決策を結ばないんだなと思います。

特定の管理者や黒幕が悪さをしている、というのではなくて、「心ここにあらずで、貼り付けた笑顔で、水汲みを続ける」のが支配的だ。しかし、従うべきだ、というのは根本的な誤解ではなかったか。
※酔っているのでも落ち込んでいるのでもなく、極めて冷静です。

自分の勉強をしよ。

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