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「よく分からんやつ」のススメ/不可視の領域があるから人間関係がうまくいく

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
会社を休職し、三国志を早稲田に習いに行くようになり、手に入れた便利なポジション、属性があります。
「年齢や学年のレールから外れた、よく分からんやつ」です。

大学院では、いま科目等履修生(授業のコマをバラ買いして出席)です。つぎの春から修士課程。
大学院はストレートで進学したら23歳のところ、ぼくは39歳です。社会人経験15年。これから研究職を目指すわけじゃないし、すでに出版された著作があります一応。
年齢は、先生のほうに近い。先生によっては、ぼくとの接点が、「趣味の仲間」「異業種交流会」のような思われ、感覚が狂うようです。呼び方が「くん」なのか「さん」なのか揺れていたり、先生に敬語を使っていただくこともあります。恐縮です。

会社でも、得体の知れないやつ、という扱い。「会社外部では、活動的らしい」「みんなで昼飯を食わず、読書して寝てるやつ」というブラックボックスでした。2年半の休職をして大学院で勉強しているから、ブラックホールが大きくなりました。

会社の偉い人「なんの本、読んでるの?」
ぼく「つまらない本です。くだらない本です」
偉い人「そう言わず、オレに見せてごらんよ。…………。…………」

復職後のことはまだ詰めていませんが、正社員のまま、労働時間(曜日もしくは定時)を限定しつつ、研究と両立させることができたら、ますます、「この会社初」の記録を更新していく、変なやつになれるでしょうか。ありがとうございます会社。

ここから話を一般化するんですけど、ひとって、親子でも兄弟でも、同じ会社の社員でも、本来、たがいに「よく分からんやつ」のはずなんです。でも、親子だからー兄弟だからー夫婦だからー先輩後輩だからー教師と学生だからー上司部下だからーという、なぞのフリーパスをかざし、踏み込んでくる。そのとき、人間関係は荒れます。
たがいにブラックボックス、ブラックホールを「敬遠」すると、ちょうどいい距離感が生まれると思うんですよ。

ぼくみたいに、社会的に見えるかたちで、「よく分からん」領域をつくってしまうと、ずかずかと踏み込んでこられることが減ります。
「あなたにも、何か事情がオアリのヨーダから」
「いえいえそんな」
みたいな感じになります(笑)周囲に気を遣わせることは、原則として良くないですし、状況にアグラを書いたり、無礼やワガママをやってはいけないですけど、ポジティブな腫れ物になる感じです。多様性要員!!

「よく分からんやつ」は、共同体の序列に組み込まれないので、全方向に「さん」づけ+敬語です。
会社では、年齢も役職もぼくが上で、経験もスキルも120%相手を圧倒していても、一貫して「さん」づけで敬語です。大学の学部生と話すとき、ぼくのほうが年齢も学位も上でも、「さん」づけ敬語です。

「よく分からんやつ」のデメリットは、孤立するときは一気に孤立するでしょうし、援助を受けられないかも知れない。チャンスは自分で取りに行かないといけないし、火の粉は自分で振り払わないといけない。
タレント業とマネジメント業を、両方じぶんでやる感じ。たまにメンタルがへこむと、自分がだれだか分からなくなるのも、デメリットか。

運命共同体ってことばがありますが、「運命主体オレ」でもよいのではないかと。会社や大学院など、複数の共同体におすがりしないと生きていけないのですが、それぞれの集団に対し、義務・義理を果たしていけば、ふらふらと生きていけるはず。……という希望的観測です。お世話になっている皆さま、今日も生かしていただいて、ありがとうございます。

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