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日本に蔓延する「30歳病」/30代への過剰な意味づけ/幸福感の低下

佐藤大朗(ひろお)です。会社員を15年やり、専業で三国志の研究に取り組んでいます。今年、39歳になるので、30歳代(30代)も終盤戦です。

思うに、日本社会の風潮として、30代への意味づけが、ものすごく過剰であり、そしてそれが、われわれ若者(?)中年(?)の幸福感を損ねている、と思うことについて、ちょっと書きます。

余裕で過ぎていく、10代~20代

10代は子供ですし、年齢とともに出来ることが増えます。周囲の大人たちは、成長を喜んでくれます。寿命に照らしても、まだまだ序盤ですから、年齢を取りあげて、「年を取ってしまった」と嘆ずることは少ない。

20代は若者です。大学生、大学院生。「若手」社会人。
成功者と見なされるのは、芸能人かスポーツ選手ぐらいで、かなり先天的な能力によって左右されるので、自分が成果が出ていなくても、あまり気にならない。
もしくは、この段階で「デビュー」しても、偶発性によることが多い。同世代の人たちは、成功者に嫉妬はするかも知れないが、心のどこかでは冷静なんです。「オレ/私の人生は、まだまだこれからだ」って。

いやな言い方をすると、大人たちがチヤホヤしているだけで、本人の業績が長続きしない…ということも起こる年代です。

そして「30歳病」を発症する

自分の周りはそうでしたが、「20代最後」「30歳になる」というのは、まるで、現代における「成人」であり、ものすごく焦るひとが多いです。
20代のときは、いろんな言い訳ができました。何も成し遂げていない自分を許すことができました。30歳になった瞬間、それが困難になります。パニックに近い症状、自己嫌悪になるひとも、けっこう見てきました。

会社にいても、「中堅」とか、ベテランと呼ばれたりします。

20代のときは、これから社会に参加する予備群、控え選手、モラトリアム…という立場から、いきなり、「とっくに本番は始まってるんだよ!今まで何してたんだ?オレ?!」という厳しい問いが、突きつけられる。

30代の10年間で、実力の有無がハッキリ表れる、という残酷な現実があるのかも知れませんでけど、どんどん幸福感に差が広がります。
そして、30代後半で、いろいろ失って、急速に「くたびれる」ひとが多い。数年前まで、あんなに元気だったのに?なんで??ってくらい。

もっと心がラクで、がんばりやすく、人生でトータルの幸福感が上がるような「年齢に対する見方」が定着すればいいのになあと思います。

29歳の博士課程の大学院生の焦りを見て、思い出しました。自分が30歳になり、自分の同級生も一律で、30歳になったときの、独特の暗さを。

これから、30歳をまたぐ皆さんは、用心してください。
こんな警告を出すなんて、ぼくは、一休さんか(笑) #一休宗純

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