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独学の研究者とプロの研究者の違い/スカイツリーとピラミッド

佐藤です。ぼくは三国志を10年以上「独学」し、論文を10本近く発表してきました。「独学者」としては、それなり?のはずです。

会社員になる前、大阪大学の文学部で、研究の基礎、論文の読み方と書き方を学んだおかげかも。※専攻は隣接分野の日本史学でした

いま大学院生になろうとしています。
師匠(師事する先生)の話をたくさん聞くのは当然なんですが、積極的に、ほかの先生の話を聞きに行っています。複数の筋から聞いて初めて、立体的に浮かびあがり、理解できることがあります。

個々の先生のアドバイスを「疑っていた」のではありません。ぼくが愚かなので、浸透に時間がかかっていました。

独学(アマチュア)研究者と、プロの研究者の違いは何か。
建築物にたとえると、分かりやすいのではないか。

・アマチュア:東京スカイツリー
・プロ:ピラミッド

アマチュア研究者とは

アマチュア研究者は、興味関心のあることを「東京スカイツリー」を建てるときのように、狭く鋭く追及すればいい。

アマチュアは、同好の士と(たとえば、三国志ファン同士の集まりで)、雄弁に語れます。オタクの友達です。

「プロよりも詳しいアマチュアがいる」
というのは本当。あながちプロのリップサービスではない。局所的なマニアはいます。ただし、プロがアマチュアを脅威に感じているのでもない。別の競技を戦っているからです。

一部に、アマチュアを蔑んでいるプロはいますが、ぼくはそういうプロには勉強を習おうと思っていません。距離を取ってきました。

プロの研究者とは

プロの研究者は、「ピラミッド」を建てるように、頂上の高さだけでなく、すそ野の広さ、それを支える知見の総量(体積)が求められる。

プロといえど、最初はアマチュア。
大学院に入ると、みずからの興味関心がいかなる土台の上に乗っているか、他人の研究・他分野といかに接続され得るか、を知るところから始まります。どれだけ地下を掘り、隣接地域を自分の領土にできるか。どれだけ広く柔軟に見識を示すことができるかの勝負です。

大学の先生が、突拍子のないテーマの卒論でも即興で指導ができるのはこの能力があるからでしょう。皆さんも、覚えがありますよね(笑)

プロになると、別分野の専門家と会話を成り立たせることができる。予備知識がないひとに、周囲まるごと含めて説明ができる。

プロになると、巨大なピラミッドを築きますけど、中心部をレントゲンで撮影すると、アマチュア時代に築いた塔(タワー)が残っている場合があります。オタク属性を残したプロもいらっしゃいます。
ぼくが師事する先生も、このタイプです。

大学院に進学「しなくていい」理由

勘違いをして頂きたくないのは、この記事は、プロを礼賛したいんじゃないですよ。

プロのこと・大学院のことを知れば、かえって、独学者を貫くという選択肢も見えてきます。
「ピラミッドのように(むだに)大量の石を積み上げた建造物は、作る気はない。スカイツリーのように、細く鋭い知見がほしいだけだ。なぜなら、興味の対象は、特定の事柄のみだから」

文系で大学院に通うのは、この社会において、膨大なコストとリスクでしかない。「そこまでして、大学院に行きたいとは思わない」というのは、かなり現実的で、アリな選択です。むしろぼくは、こちらの考えに近い。

ぼくはいま、修士課程に入学する直前。自分なりのスカイツリーの周りに、石を積み始めているところ。
だからかえって、双方のすごさ、楽しさが見える。過渡期だから書ける記事かなーと思って、これを書きました。

赤ちゃんが成長し、はじめて立ったときの喜びは一瞬じゃないですか。普通に歩くようになってしまったら、同じ感動をくり返し体験できません。それと同じです。

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