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出世も、起業・上場も「マニュアル化可能」な定型業務

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。

ぼくの趣味は散歩なんですけど、今週は、成田悠輔さんがしゃべっている動画を数本「聞き」ました。曰く、自己啓発系の動画を見ているようではダメだ。それよりも、自分の「本業」に全身全霊で打ち込めと。
はい、すみません。でも勉強につかれて散歩しているときぐらい、いいじゃん、というわけで。

成田さん曰く、
自己啓発系のメディア(ビジネス書、アドバイスを求める質疑応答、インタビュー動画)には矛盾点がある。それは、再現不能、マニュアル化できないことを、不特定多数のひとに見せても意味がない。なぜなら、再現不能なんだから。本来、自己啓発系のメディアがやるべきことは、再現可能であり、マニュアル化できる部分のコンテンツをもっと増やすこと。
すでに数千人、数万人の成功者がいて、成功がパターン化できることがあるだろう。それを徹底的に高品質のマニュアルとして作り込んで、閲覧者を成功に導く。これが整合的でしょう、とのこと。

では、すでに数万人、数十万人の単位で成功者がいて、パターン化・マニュアル化できるのは、なにか。「組織のなかで同期のライバルを蹴落として、出世する方法」とか、「起業して投資資金を集める方法」「起業した会社を上場させる方法」などであると。
世間の大半が意を砕いていることは、すでにその道の成功者が無限に存在しており、再現可能なはずだ。起業はすごいこと、クリエイティブなことだと思われがちだが、「何年以内に、時価総額をいくらにする」というのは、所詮は数字の大きさを競うゲームだから、定型業務でしょうと。

そうだよなーと思いました。動画を再生しながら、文字起こしをしているのではないから、間違っているかも知れませんが、だいたいこんなことを言っていたと思います。
これら定型業務は、生活を営む上で大切である。しかし、定型業務から、人生の価値とか喜びを引き出すのは、ムリがあるよね、とのこと。
たとえば就職活動では、人生観にせまるような質問をされる。想定問答集をつくって意見を鍛えるわけだが、、その就職活動が、「新卒だし、生活するためには、正社員になっとかないとヤバイよね」という程度の動機で行われるものだったら、目的と手段がちぐはぐだ。就職活動のなかに、人生の喜びを見出せないのは当然で、なぜなら定型業務の一部だから。
というか、人生の価値や喜びに直結する仕事があるなら、とっくに個人で何かを始めているはずだ(収益化されていなくても)。就職活動をしている時点で、価値や喜びが見出せていない状態での弥縫策であり、お金や肩書きを得るための「カード集め」なんだから、過剰に自分や会社に期待するのは、ちぐはぐだろう、と。わかる!!

成田さんはそんなこと言っていないし、ぼくもそんなことを思っていませんが、マニュアル化できる定型業務(出世・起業・上場)が、つまらないことだ、くだらないことだ、と言いたいのではないです。
「ミスをせずに、データ入力をする」「きたメールを、遅れずに的確にさばく」「決まった時間に確実に会議室を予約する」「必要な情報を関係者に、過不足なく周知徹底する」といったことは、ぜんぶ定型業務ですけど、社会の基礎になるし、組織運営の土台である。雑務の集合をこなすことが、個人の生活費の基盤になる。これらが出来てないのに、創造性が、独自性が、夢が希望が……といっても、「寝言は寝てから言え」となります。
ただし、それら定型業務に、過剰な期待、意味づけをするな。というところに納得したので、この記事を書いています。

必然的に、定型業務ばかりの人生になると、人生がつまらなくなるのでしょう。だって、定型業務は、大切だがあまり意味がないから。
会社の仕事がつまらないのは、会社のせいじゃないです。会社での仕事をおもしろくしよう、意味を見出そうというのは、制約のなかでのゴマカシであって。ゴマカシは、ないよりはあったほうがいい。苦い薬をゼリーで流し込むようなものだ。しかし、本質に迫る価値観の転換はむりです。
就職活動で、生き方を巡る問いの答えを導こうとするのは、薬をつつむゼリーのマイスターになるようなものだ。

おそらく、個人が経験するなかで、もっとも汎用的な「マニュアル化できないこと」は子育てなんだろうなあと思います。ぼくは子供がいないから分からないですけど、皆さんそうおっしゃいます。

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