古本屋で売るのは難しい/神保町で断られ続けた体験記
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。
自分の手違い(発注ミス)で、今年1月に出版された学術書(13,000円ちょっと)を2冊買ってしまいました。
東京神田の神保町は、日本一の古本屋街として有名。歴史系・中国学系の古本屋もたくさんあります。よく買い物をします。まちがって購入した2冊目の本を、自分がいつも古本を買っているお店で売ろう、と思いました。さいわい、関東圏に引っ越してきたため、直接持ち込めます。
(それほど、おかしなことは言ってない、という自己認識)
昨日は3件ほどハシゴしたが、店員のおじさんに、ものすごく冷たく断られました。「接客」すらしてもらえず。きちんと「断る」をしてもらえず、遠回しに嫌味を言われただけだった。
イチゲンさんお断り。冊数が少なければお断り。
あれ?うまくいかないな?同じような本が、それらのお店に古本として並んでいるし、自分で買ったこともあるのにな、と思ったのですが(「ワシはあなたのお店の客やぞ!」とは言わないけど)、
立場を変えてみたら、いちおうは理解ができたんですね。
ぼくは、「発売直後、13,000円の未開封の本を、数千円で買い取ってもらえたらいいな」という消費者の気持ちでいましたが、
見当違いも甚だしい。
お店からしたら、「得体の知れない新人営業マン」の飛び込み営業、人気のない本の「押し売り」なんですね。次々と「おいしい商売」を持ち込んでくれる相手としか付き合いたくない。買った瞬間に高額で売れる確約がある商品以外、仕入れたくない。たとえ1,000円であろうと出したくない。東京の一等地の家賃は高いので。
バイヤーの彼らに決定権があり、「偉い」立場にあるのだ。
だから、ぼくという人間と手持ちの本を、ちらっと見たか見ないかで、視線をあわさず、言葉を費やすのも惜しい、という感じで蹴っ飛ばす。
以上がぼくが経験し、理解した神保町の構図です。
そういえば、ぼくがまだ20代のころ、当時はなけなしのお金で、3万円だか5万円だかの古本を買おうとした。所持金が足りない。レジやドアに「クレジットカードが使えます」と書いてあったので、クレカを出したら、「そんな少額、ハシタガネの購入で、カードなんか使えると思うなよ(なめとんか)」と、古本屋で鋭く叱られたことがあります。
なかなかハードルが高い街ですね。
昭和の本好きからすると、聖地のように扱われていますが。
ブックオフオンラインというウェブサイトで検索したら、買い取り価格が4,400円でした。十分に満足ができる値段!
せっかく街に出てきたので、徒歩圏、秋葉原のブックオフ(実店舗)に持っていったら、「500円で買い取りです」と言われました。曰く、ネット経由で買い取りをするブックオフオンラインとは、まったく別だそうです。そうなのか。内部の仕組み、知らなかったですね。
本好き業界では、「神保町の古本屋は、目利きができるから適正価格をつける。ブックオフは、一律で買い叩くから、本の文化を冒涜している」という風潮が20年以上前からあります。
しかし、古本屋が目利きとするとは、「ひとを値踏みする」「売れない本は断る」ということです。
ぼくは、かけだしの古物商になるつもりはない。出版社の営業マンでもない。※最初からそんな設定はなかった。
古本屋のおやじたちに人間の尊厳?を傷つけられて、すごくイヤな思いをして、とりつく島もない会話をしてメンタルを削られるぐらいなら、若いアルバイトさんが営業スマイルで、タブレットを見せて、「500円です!」と言ってくれたほうが、まだ救いがあります。
だから、個人間売買の「メルカリ」があるのでしょうか。
が、もはや、ブックオフオンラインに個人情報を登録し……とか、メルカリに出品して発送作業をして、よく分からないクレームの可能性を背負うよりも、「さっさと捨てる!」がぼくのなかの正解でした。
13,000円の本を捨てるのは惜しい。生半可、本としての「現物」があるので何とかしようと思ったが。要するに、判断ミス(自分の頭と指が悪い)による損失なのだから、さっさと諦めるのが吉。含み損を抱えた株を、もっと気楽に切っているじゃないか。
休日にウロウロして、気持ちがイガイガして、「なんでこんなことになるんだっけ?」と考えている労力がムダです。たとえ数千円で買い取ってもらえても、そんなのは、それこそハシタガネです。時給です。お金ならば、また稼げばいいのではないか。
駅のごみばこに投げ込む直前に、所属しているサークル「早稲田大学三国志研究会」のグループLINE・ディスコードに、「先着1名であげます」と投稿したところ、もらい手が見つかりましたとさ。
次回からは、きちんと「秒で」捨てよう。
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