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アラフォー大学院生の「第3の人生」/若手のために

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

大学卒業後、15年間ぐらい経理・経営管理の仕事をして(第1の人生)、38歳のときやってきたコロナ禍をきっかけに、休職して大学院に通い始めました(第2の人生)
修士課程を2年で卒業し、いまは博士課程1年生です。

若手の特別研究員に応募した

修士課程では会社(経理・経営管理)と両立していたんですけど、メンタルも体力も持たない。遅くとも博士課程2年生のときは、会社を続けていないでしょう。
そういうわけで、大学院生(博士課程1年生)が申請できる「若手研究者」に生活費を給付する制度に応募しました。採用されれば、博士課程2年、3年の2年間の生活費・研究費がもらえます。

アラフォーは「若手研究者」か?
日本の平均年齢は49歳なので平均以下ですが、そういう問題ではないでしょう。コンプラ的に「年齢差別」はNGなので、応募資格だけは与えられているようです。
生年月日を記入し、経歴を書く欄があったので、年齢がバレバレ。年齢を理由に「低評価」が付くかも知れない。年齢と無関係に、内容で「低評価」が付くかも知れませんが、却下理由は通知されません。

本当に「年齢差別」を撤廃したければ、年齢を書かせちゃダメなんですけどね。原理的には、90歳でも応募資格があるってことですからね。

先輩たちの体感は「給付金」に近いですが、正しくは給付金ではなく、「特別研究員」に雇われるという制度なので、「就職の年齢差別」に配慮が必要です。デリケートですね。
審査者が苦笑し、「応募資格に年齢不問と書いているが、『若手』の制度だって言ってるじゃん。35歳以上は合格させないのが不文律だよ」と暗黙の足切りをしているかも知れませんが、それならば諦めます。

こんなことを書くと怒られますけど、ぼくが今回申請して得たことは、「研究を他人に理解されるように表現することは、これほど難しい」という学びでした。研究者としてのレベルアップには役立ちました。
ぼくの経済状況に照らすと、このお金が入るか否かは、学問を存続できるか否かを左右しません。「だったら申請するなよ。座席をあけろ」ってことになりますが、所属する人文科学では「600人が申請し100人が通過する」という規模感なので、ぼくの影響度は薄まるでしょう。

15年の会社員生活は、今から思うと、最初の1年は激務で体調とメンタルが破綻して鬱症状になり、10年以上はいわゆる「ブルシットジョブ」で苦しみ抜いた期間でした。幸せだったとは言えませんが、事務職のスキルは揃いました。学問を継続できるだけの資金は貯まりました。このように苦労して得たお金なので、多少の「保全」をさせて頂いても罰が当たらないのではないか、というのが主観です。わがままだったらすみません。

博士号を取得したらどうするか

博士課程は5年間ぐらいで卒業したいと思っているんですが、博士課程を卒業したらどうするか。

ぼくは現状、大学教員を目指していません。大学教員にはさまざまな仕事がありますが、ぼくがいちばん魅力に感じるのは「教育」の側面です。しかし、ひとに教えたければ、大学という場に限定せず、自分で生徒(お客様)を探せばいいと思っています。
ある大学に雇用されれば、その大学にくる学生さんにしか教えることができない。「単位がほしい」「いい成績をくれ」「手間をかけたくない」という学生さんの利害・打算に巻き込まれるので、教育もままならないでしょう。

自分がアラフォーから大学院に行ったので、「大人の学び」「趣味としての学び」に興味が強い。大人に訴えたいことが多い。だから、「教育」するにせよ、どこか1つの大学に就職することが最適解に思えません。
しかも、文系の博士号持ちが大学教員(正規雇用)になるのはレッドオーシャンです。優秀な「年下の先輩たち」と競い合えば、かならず年齢の高さが不利になるでしょう。負け戦に飛びこまなくてもよいと思います。

ぼくの人生をキーワードでまとめると、
・経理職、経営管理、事務職(第1の人生)
・三国志、中国学、漢文、大人の学び(第2の人生)

これをうまく交わらせることができたら、それが「第3の人生」と言ってよろしいものになるでしょう。現時点はメドがありませんが、大人に学びの楽しみを味わってもらえるサービス?の事務方の責任者とか。

社会を見渡すと、日本の文系学問は窮乏し、優秀な人材に来てもらえないという地盤沈下の状況にあると思います。博士号を取得するまでに奨学金をたくさん借りなければならず、博士号を取っても大学教員に就職できない。多くの大学生にとって「学問」「進学」は現実的な選択肢ではない。
若手が好きな勉強、興味があり意義があると思える勉強を続けられるための、経済的な支えになるための仕組みをつくる。その事務方の仕事ができないか。大人がお金を払って学問を楽しみ、そのお金を大学院生に移転させる、みたいなビジネスができたら最高ですね。

ぼくはアラフォーなのに恥ずかしげもなく「若手」の研究員の採用に応募しましたけど、未来を担う「若手」は20代だと思うんです。矛盾していて申し訳ないのですが、「持ち時間」は大事です。
20代の時点で心折れずに、学問を志せる=リスクを取れるような社会になってほしい。社会全体がむりでも、文系学問でそういう環境が少しでも改善すればいいなと思います。
文系学問に興味はあるが、カネがないから、興味が1ミリもないけれど「新卒カード」を有効活用してよく分からない会社に入り、仕事に疑問を感じながら、半端な中年になって学問への情熱も消し去る、、これがもっとも避けたいシナリオです。

ぼくは博士課程の1年生なので、「研究者の入口」に立ったところ。ストレートで進級進学すれば、24歳で到達できる学年です(飛び級をすればもっと早い)。24歳にとって、3年後、5年後(アラサー)の未来は、想像もつかない未来でしょう。卒業後のことを考えることは難しい。漠然とした不安があるだけに違いない。
しかし、いま41歳のぼくが博士号の取得後(40代半ば)を想像することは、全然難しくない。「第3の人生」の準備が早すぎるということはない。

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