博士号を取得したらやりたい仕事

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

今週から博士課程1年の授業が始まります。
※まだ入学式が終わっただけ

今の段階で、「博士号を取ったらどんな仕事をやりたいか?」
を考えるのは早計でしょう。
「もう博士号を取った気でいやがる」というご批判もあるでしょうが、人生って、わりとこんなもんだと思います。

博士号については、
・努力できる段階に到達した(博士課程に入学)
・努力することが明確なら、あとは実行するだけ
・実行段階が恐ろしく大変なのは百も承知の上だが
というステータスなので、おぼろげに先が見えてきました。

大学教員を目指していない

若者にありがちな職業選択の罠として、
・旅行が好きだから、旅行代理店に入る
・パンが好きだから、パン屋さんになる
・youtubeが好きだから、youtuberになる
という、事前調査なしで、好きなことと最短距離で結ばれる職業を「将来の夢」に掲げるという過ちがあるでしょう。

そんな失敗はするまいよ、とすまし顔で就職活動をクレバーに行った場合の失敗例として、
・社会の常識(親や親戚、先生の意見)
・待遇の良さ(給料、休暇、労働時間)
を優先し過ぎる場合があるでしょう。就職したはいいけれど、内定がゴールであり、職業人生のピークだ。就業後は「労働=ただの我慢」になり、身動きが取れなくなることがあり得るでしょう。

「博士号を取得したら、終身雇用の大学教員を目指す」
は、ぼくには職業選択のミスリード、思考のショートカットの産物ではないか?と疑ってしまいます。
※他の人が目指すことに文句を言いたいのではありません

ストレートで博士号を取得したら、文系ならばアラサーです。「アラサーで就業経験なし」ならば他に目指せる職業がない、という現実的な要請があるかも知れません。
※ぼくは当事者ではないので、ちゃんと調べたことがない

ただし大学教員には、他のあらゆる職業と同様、多面的で矛盾した膨大な付随業務があります。実態の情報収集をした上で、なおも大学教員になりたいというのであれば、それは職業選びとして最適なんだと思います(途中で転職するにせよ)。
しかし、「博士号を取ったから大学教員だ」と自動的に決めるのは、「ケーキが好きだからパティシエだ」「親戚の集まりで鼻が高いから、公務員になる」というショートカットだとぼくは感じます。
※大学教員の座席はレッドオーシャンのようですし

ぼくがやりたい仕事

いまから博士課程の大学院生になる。
自分の研究はきちんとやる(当たり前)。
ただしぼくの場合、研究テーマとは別の側面で、課題に感じていること、解決したいと考えている問題があります。

ぼくは大学卒業後、15年ほどの会社員生活を経て、大学院に通い始めました。自分や周囲を見ていて、感じてきました。「もっと大人が手軽に、好きな勉強をできたらいいのにな」と。

ぼくは文学部を卒業しました。日本史学専攻でした。
いま「博士(文学)」を目指すのは、東洋哲学コースです。東洋哲学コースで三国志に関する史学をやるのです。
世間一般では「(気狂いの)趣味」という扱いでしょう。

すぐにお金にならない勉強は「罪」なのか?
企業の研修(すぐ実務に役立つ)や、ハローワークが提供する講座や補助金メニュー以外にも、この世界にはおもしろい学びがあるのでは?
※会社やハローワークに「趣味」を支援しろと言いたいのではない

ぼくが見たところ、現代日本で即金性のない学問に興味があるひとは、
・金銭的リスク(学費や時間)
のみならず、
地位や名誉を失うリスク(気狂いとして後ろ指をさされる)
を抱えています。
あえて分かりやすい表現のため強い言葉を使っていますが、「読書」は異端の趣味であり、本格的にものを考えることは、後ろめたいことと捉えられているような気がします。
「バカなことしてねえで、働け」って言われます。
市民権がない、という状態ですね。

「全員が本を読むべきだ」なんて思いません。そんな社会改造は危険思想だと思いますし、押しつけです。
ある分野で潜在的に、本を読んだり、ものを考えたり、考えを文章で表現したい人が、人口100,000人中に100人いるとする。いまは社会的な圧力(経済面、常識)のせいで、100,000人中に1人しか本格的に取り組んだことがない。興味を表明できない。
何らかの方法でぼくが仕事を通じて社会と関わり、100,000人中4人ぐらいが、「不経済な趣味」として退けられている勉強に、短期間でも熱中できるチャンスを得られないだろうか。※熱中した結果、つまらなければ退出すればよいし、新しい人が算入すればよいと思います

数字は適当ですが、何となく当たっていると思います。日本国で読み書きをする体力がある人口を1億人と見積もれば、「100,000人中に4人」の比率を引き延ばすと、4000人になります。十分に多いですね。
このnoteは母集団が特殊なので、「学びが好き」がもっと多いように見えますが(笑)、数値感覚は会社勤めでの体感を反映しています。

学びのプラットフォーム(リアルな飲食店、動画配信の仕組み)を作り、学びたい人と学んだ人のあいだでお金を授受する仕事に、

東浩紀さんの事例があります。ぼくは、タイミングによるものか、東浩紀さんの著作(哲学)やビジネスと本格的に「出会う」ことがなかったんですが、活動記録は楽しく読むことができました。
同じことがしたい!というわけでなく、言葉選びがピンとこないこともありましたが、それぞれの段階で東浩紀さんが目指していたことは、「自分も近いことをやりたい」という感じでした。

本格的に身銭を切り、人生をかけて学問をして思索する人が、めちゃくちゃ大量に登場する必要はない。しかし、身銭を切った人が絞り出す話を、「ちょっとしたお金(月に1千円とか)」を払って遠巻きに眺める人が、数百人いれば、そのひとは食っていけるんです。

ぼくの場合、15年の大企業での経理経験があります。
東浩紀さんの会社は、内側を固める事務方の人材がいなくて、苦労をしたそうです(お金を持ち逃げされたり)。その役割ならば、ぼくはできそうだぞ、という気がします。ぼくが手伝えばもうちょっと円滑だったのではないか?と空想しながら、上の本を読みました。

東さんとは、たまたま「出会わなかった」。現状すでに東さんの周りには、円熟した濃密な人間関係が構築されていることでしょう。東さんの会社に入りたいという気持ちはありません。
しかし、同じようなことを目指すひとは、どこかにいるし、時々現れるのではないか。そういう志を持った人がやっている事業を、ぼくは経理経験をつかって支えたいと思います。

ブッキングが不要な「埋め草」として、内部スタッフである自分も学問の発信者に回らせてもらえたら、さらに楽しそう。当事者となれば、サービスの手ごたえや課題が身にしみて分かるでしょう。

インターネットで検索したり、人材紹介会社に問い合わせても、そういった求人案件はないだろう。求人案件として綺麗にカッティングされて世に出たポストは、あまり面白くないのではないか。

「無用な趣味」と切り捨てられている学問?ができる環境、同好の士の内部で金銭の授受が成り立つ仕組み(ビジネス)を作りたい。
そういったことをしている(目指している)人と出会えるように、ぼくが行動を起こさないといけない。

博士課程の卒業に3年から5年かかるので、「すぐに雇ってほしいです」という趣旨のnoteの記事ではありません。
おのずと、出会いたいひとに出会えるように行動していこう、という意思表明でした。

アラフォーで大学院に出席し始め、博士号を取るのが40代なかば。
最短で博士号を取れれば、まだ自分は44歳とか45歳です。ビジネスにおいては、全然「若い」しエネルギーを発揮できそう。

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