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優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば/社会全体の富は増大する

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

ルトガー・ブレグマン『隷属なき道』を読んでます。
本の装丁が古くさくて、1980年代の著作かなと思って読んでいたら、著者が1988年生まれでした。びっくり。

第七章は、「優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば」。
すぐとなりに、「優秀な頭脳が、銀行員や会計士よりも研究者や技術者を選べば、才能はより社会に還元されるのだ」と、あります。

もう結論がまとまっちゃってるんですけど、
これだけじゃあ、何のことか伝わらないと思うので、抜き書きしてみますと、2つのタイプの職業が、対比的に論じられているんです。

・銀行員や会計士

社会の富を移転するだけで、ときに富を破壊する(投資銀行が好例)
価値を生み出さない、くだらない
…にも拘わらず、高い給料を得るので、才能と野心と思考力を要する
銀行が1万円もうけるごとに、経済の連鎖で、社会から6千円が失われる
(=負の外部性)

・研究者や技術者、教育者

社会の富を生み出す、社会全体が向上する
価値を生み出す
にも拘わらず、銀行員や会計士よりも、給料が低い
研究者が1万円もうけると、経済全体に、5万円が還元される
(=正の外部性)

この章には、デイビッド・グレーバー(ブルシット・ジョブの著者)のアイディアも反映されているようです。

優秀な才能が、銀行員ではなく、研究者になるような世の中のほうが、きっといいよねと。さすれば、
「芸術家や歴史家や、哲学思想家の授業がきっと増える」
とあります。ほら、このnoteの読者の皆さんの心に、刺さりましたよね。いいこと言ってるじゃないですか(笑)

ぼくは両方の職業に接近している

さて。
ぼくが、銀行員や会計士に代表される職業、
すなわち、ブルシット・ジョブ(くそどうでもいい仕事)に関心をもち、このnoteで(やや敵対的に)扱うのは、理由があります。

ぼく自身が、くそどうでもいい仕事で、今日まで稼いできたからです。
まさにその定義に見合うように、やっている自分自身が、自分の仕事を、「くそどうでもいいのでは??」と、怪しんで苦しんできました。

ぼくは、銀行員ではないし、会計士の資格も持っていませんけど、
企業の経理職として、広義で、銀行員や会計士と同じような仕事をしてきました。社会に対する害悪の度合いとして、「同罪」を自任しています。
富の配分とか、複雑なルールによる管理と監視をやってきました。

皮肉なことに、
そこで貯めたお金で、会社を休職させてもらい、いま、大学院の授業に出ておりまして、研究者や教育者との接点を増やしています。
休職できたのは、他でもなく、(社会的に付加価値ゼロの)給料の高さのおかげだったりするのかも知れませんけどね。なんてこった。

今日の午前も、研究者や教育者が、どのように価値を生み出しているのか、という現場に、38歳にして、再び立ち会っていました。

まさに、ルトガー・ブレグマンが、図式的に対立させた2つのタイプの仕事に、どちらもかなり接近しております。
両者のあいだを、フラフラするものです。これは、ちょっと稀有な体験であり、突きつめれば、ぼく自身が、ちょっと稀有な存在になれるのではないかなと、思ったりします。

ルトガー・ブレグマンが、見取り図を示してくれまして、ますます、楽しくなってまいりました。
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