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退職は恐い?/だれかにとっていい会社

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

noteの更新が1週間ぐらい空きました。
この期間、大学院生として普通に勉強をしてました。

退職は恐い?

大学の先生たちに、「会社を辞めて、研究に専念したいと思っています」というと、みんな反対します。経済的な安定をみずから捨てるなんて、正気の沙汰じゃない!と。
ぼくがアラフォーであり(長く厚生年金を納めてきて、iDeCoの受取が射程圏内で)、退職しやすい経済的な条件(FIRE)に接近しているのに、みんな反対するから面白いですね。生活資金を10年分以上貯め、資産運用が7年目ぐらい。資産運用で毎年の生活費ぐらいは捻出しているけれども、会社を辞めることについて、賛成し応援すると言ってくれるひとはいない。

日本社会の風潮を感じます。

職場の同僚が、「あなたが辞めると仕事に穴があくから、辞めないでほしい」というのは、現実的なニーズとして理解できます。しかし、仕事で無関係なひとも、会社=安定を失うことを、自分のことのように恐れています。借金をせびられるから恐い、という意味ではなく、ふつうに恐い。普遍的な人情として恐い、みたいな。
たとえば、ガラス越し(テレビのなか)であっても、不慣れな手つきで包丁を使っているひとを見ると、自分の手が切れるリスクはないのに、恐いですからね。それと同じか。

だれかにとって「いい」会社

退職の心づもりが固まると、漠然と思います。ぼくが辞めたいこの会社も、だれかにとっては、いい会社なんだな、と。
・業種や仕事内容に興味がある
・やりがいがある
・人間関係に恵まれている
・出世競争に挑戦中
・所属の喜び、優越感
みたいなポジティブなことだけじゃなく、
・社会的地位を失いたくない
・家族を養うために辞められない
・住宅ローンを支払うために辞められない
・給料は我慢の対価でよい
・長時間労働だが抜けられない
・復讐や倍返しを計画中
など、ネガティブっぽい要因でも、何でもいいんです。自分が辞めていく会社も、だれかにとって「いい会社」なんだなと。その事実は、尊ばなければならないな、敬わなければならないなと。

就職活動のとき、就職を恋愛にたとえる話をよく聞きました。会社づとめと恋愛は、似ているのでしょう。
どうしようもなく性格が悪くても、どれだけお金をせびり盗んでも、暴力を振るって大けがさせても、会話がなくても、家事をまったくしなくても、だれかにとって「いい伴侶」なのかも知れません。
他人がとやかく言う筋合いはありません。

自分と会社の「相性」を考えなくてよくなった現在、いままでで一番、会社の環境に適応している気がします。
「会社にとって、良さそうなこと」をしなくてよい。
会社がぼくにして欲しいことと、ぼくが会社にしたいことは、一致するとは限りません。
ぼくが会社にとって良いと思うこと、良かれと思ってやることが、会社がぼくに望んでいることと一致するとは限りません。これまでは、独りよがりが多かったんでしょうね。
「相性」が悪化した結果、自分がよかれと思ってやることは、会社にとって余計なことでしかない。会社がしてほしいことを満足にやっていないのに、なにを余計なことをしているんだ??という見え方をします。

会社の仕事は、いかにするべきか。
後手・後手で最小限、過不足なく。これがベストです。

自分史上、もっとも会社員のレベルが上がったぼくが、さいきん何をしているかと言うと、「会社の発展を祈ること」です。

基本的に何もしない(最低限の逃れられないタスクはやるけど)。 何も考えない。 非効率・不真面目・無意味・理不尽(と自分に感じられること)を見ても、何も感じない。おだやかな心で、会社が発展することを祈るだけです。 皮肉ではありません。真摯な祈りです。
すると周囲と歩調が合ってくるんですね。誇張ではなく、いままででいちばん「うまく」働けている気がします。会社員かくあるべし。ようやく悟ったようじゃな、と老師(?)の声が聞こえてきます。

意識レベルを覚醒しているか否か分からないギリギリにまで落とす(むしろ本当に寝ているぐらいが丁度よい)。
小さな石が転がってきたら、軽く手をそえて、右か左に軽く軌道をそらす。おだやかな微笑みを絶やさずに。一言も発してはいけません。何事もなかったように、平静をよそおって。我流の付加価値なんて要りません。

自分が合わなかった会社だから、つぶれてしまえ!なんて思いません。この会社もこの環境も、だれかにとっては「いい」会社、「いい」環境なんだろう。敬虔な気持ちで見守りたい。ぼくが祈らなくてもこの会社は発展するかもしれないし、祈りもむなしく衰退するかも知れないけれど、その手応えを求めるのは、おこがましいことです。
ただ、祈るのです。
30代半ばで、退職という選択肢を噛まさずにこの境地に至っていれば、ぼくは出世できただろう、という気はするけど、それ以外の人生があってもよいと思います。手をこまねいて残りの勤務日数を費やします。いい意味で。

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