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働き始めパートナーを見つけ貯蓄し家を買ってもらいたい

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志を研究しています。
ぼくの活動は、さいきんの記事で、ご説明を試みました。

『ライフスパン_老いなき世界』という本を読んでます。
著者は、「老い」について研究しているひと。著者が研究に至る経緯、個人的なバックグラウンドについて、冒頭に書かれています。

著者には、いつまで経っても子供みたいに、興味のおもむくまま、エネルギッシュに生きている祖母がいたそうです。
祖母の生きざまは、「冒険と探検を愛し、夢想に浸っていた」と。

概して、子供はいずれ年をとり、学校にゆき、やがて働き始め、パートナーを見つけ、貯蓄をし、家を買うというルートに合流する。

ルートへの合流は、社会(大人たち)から要請される。よりミクロには、自分の親からそれを期待され、ときに強要される。

著者の祖母は、「そんなふうにしなくてもいいのだ」と教えてくれたんだそうです。つまり、ルートに合流しなくてもいいよと。

……という自由な祖母でしたが、いずれ老いるときがきた。晩年は、見るのもツライ、老人としての人生だったと。
⇒ ならば、老いなき世界を目指そう!!
というのが、著者の「老い」の研究のきっかけらしく、この点でぼくは、「自分にはその発想はなかった」と思うわけですが、それはさておき。

ぼくが会社を休職し、お金を自力で工面し、大学院への出席をしているというのは、『ライフスパン』の著者の祖母のような生き方です。さいわい、まだ(それほど)老いていないから、元気な時代の祖母のような状態。

ぼくとバックグラウンドの異なる『ライフスパン』の筆者ですら、「やがて働き始め、パートナーを見つけ、貯蓄をし、家を買う」を、社会のシガラミと感じていたように、このぼくも、ルートへの合流圧力を感じないわけではなく、社会的な疎外感、罪悪感がないわけじゃない。
が、……その祖母のように生きてみたいな、という気持ちが強いです。

先日、noteを通じてお目にかかった人と話しているなかで、
「佐藤さんの社会的・経済的なステータスは、類例なき稀有なものであるから、もっと突き進んでみてほしい。どうなるか見てみたい」
ということを言われました。

言うなれば、社会の「がん細胞」です。※自分で思いついた比喩
もとは社会の一部、社会の構成員だったのですが、「複製」に失敗して、ちょっと違った個体ができちゃった。
その「がん細胞」が、どのように増えるのか。もしくは、社会の免疫機能(同調圧力)によって殺されるのか、もしくは外科手術的なものによって切除されるのか。

わざわざ(月曜の朝一から)、この記事を書いていることから容易に分析可能なように、後ろめたいと言えば、後ろめたい。
お金の心配とは、完全に別の、居心地の悪さです。凡人ですみません、という感じです。
とまれ、社会実験という側面、実験サンプルとしての「役割」を担っているとするならば、このnoteのように、各時点での所感を残しておくことは、意味があると思っています。状況が変わると、感じ方はガラッと変わる。「そんなこと言うわけないじゃん」レベルで、意見を捨てかねないので。

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