橋下徹さんの“戦争指導”発言は正しい。
昨日ツイッターのトレンドに上がっていたのが、橋下さんの物議を醸した?発言である。いわく「戦争指導こそが政治家にとって最も重要な資質である」と。
わたしは元自衛官として、いまは一市民として、この発言はちっとも間違っていないばかりか、本質的なことを述べていると思う。もっと一般的な表現に言いかえると、文民統制とかシビリアンコントロールといわれるものであろう。
これに対してツイッターでは、「戦争をしないように、平和を実現していくことが政治家の役割では?」といった批判も散見された。
しかしもし和平工作がこじれて戦争になったら、有事には政治家がすべての指揮をとらねばならないのではないだろうか?
武力攻撃事態、あるいはそれに類するグレーゾーン事態に際して、政治家には以下のような対応が求められていると思う。
・住民避難・保護、国民の生命と財産をどのように保つか
・自衛隊が円滑に行動できるような法的枠組みの整備
・ただでさえ食料自給率も資源自給率も低い中でシーレーン(海上輸送路)を防衛し、いかに食糧や資源を確保していくか
・どのように自国に有利なかたちで停戦や終戦に持ち込むか…
そういったもろもろのことを全部ひっくるめたら、それが“戦争指導”と呼ばれるのではないだろうか? 当然ながら、政治家は平和のことだけを考えていればそれでいいわけがないし、もっと広い視野から考えてもらう必要がある。
かつての戦争では、軍部は“統帥権”を盾にして、戦争指導から政治家たちを締め出し、軍人たちだけですべてを決定していた歴史が日本にはあった。その結果、途方もない犠牲を払って敗戦を迎えることになってしまった。
当時の認識ではおそらく、「自分たちは天皇の軍隊であり、天皇陛下が全軍を統帥されるのだから、腐敗堕落した政治屋どもがそれに口出しするなど許されない」…そういうふうに捉えられていたのだと思う。
しかし戦後は、こうした苦い体験を反省したうえで、これからは文民統制=シビリアンコントロールをしっかりやろうという話になったのではなかったのか。
自衛隊の幹部は、任務達成に必要な戦術指導を行う。しかし戦争指導は、政治家たちが大局的な観点からやらなきゃしょうがないのではないか。こうした議論もなく、ただ橋下さんの発言に対して感情論で反発している向きが多いのは日本にとって残念なことである。